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人類学の本。この本では、いままでとは異なる知見がいくつか含まれていた。
一つ目は、農耕に関するのも。農耕は定住と結びつけて考えられがちだが、そうではない。定住は農耕しなくても行われていたし、狩猟採取民が農業に関与することもあったということ。第一に、農耕が始まってから定住するまでに、タイムラグがあること。また、狩猟採取民は、多くの知見を持っていて、選択的に農耕に従事した。例えば、焼畑をしたり、氾濫したシルトにタネを撒いたり。いくつもの研究が示しているように、農耕の方が狩猟採取よりも、大変。そんなものに、喜んで手を出す賢い狩猟採取民はいない。
二つ目は、なぜ米や小麦が好まれ、レンズ豆や芋類が好まれなかったのか。これは、納税に関わる問題だ。もし国家が税を集めるならば、同じ時期に一斉に回収するのが好ましい。それを満たしていたのが、米や小麦などだ。豆類は転々バラバラに生るため、回収するのが難儀であるし、芋類は地中に隠せる。だから、穀物が選ばれた。
三つ目は、国家の崩壊に関する考え方。しばしば、国家の崩壊は暗黒時代と称されるが、果たしてそうだったのかということである。農耕は栄養バランスに欠け、労働も多く求められる。国家の発展を支えていたのは、数多くの奴隷だ。あなたは、一部の支配者や国家の発展のために、身を粉にして働きたいだろうか?国家の崩壊は、それを嫌った人々の逃走が主な原因だ。つまり、大部分の人にとっては「崩壊」ではなく「エデン」への脱出だった。多くの人は勘違いしているが、万里の長城は外部の敵から身を守るだけでなく、奴隷を逃がさないためのものでもあった。
他にも多々あるが、私の知識は充分では無いので、気になった方は直接読むことをオススメする。
少し根拠が欠けているように思える部分もあったが、著者もここは「私の考えである」と明記しており、私見と客観的意見を区別しやすくなっている。
内容も、通説だけでなく新しい考えも含まれており、非常におもしろ本であった。ただ、難易度は高いので、人類学の本を初めて読む人にはお勧めしない。
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『実践 日々のアナキズム』がとても良かったので、こちらも追読。視点がとても興味深い。学際的とはこういうことかと思う。
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文明人とは生成途上の家畜である!
と喝破した書。
国家に穀物生産を強要され都市の城壁という畜舎で家畜化される人類と穀物生産を拒否し都市を脱走して辺境の野蛮人たるを選ぶ人々の抗争を活写。
家畜化された穀物生産複合体の所有権を奪い合う初期国家のエリートと最強の野蛮人たる遊牧騎馬民族という闇の双生児の激烈な闘争と隠微な共謀の世界史を描く。
最新の考古学と生物学と歴史学を総動員しヤンガードリアス期後の定住化から最初期国家の成立にいたる歴史の謎に挑んだ意欲作です。
炭水化物抜きダイエットの副読本と違うからご注意を
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タイトルの「反穀物」と副題の「国家誕生のディープストーリー」のつながりが、ん?という感じであったものの、いわゆる4大文明でも有名なメソポタミアで、定住してから国家ができるまでと、初期国家ができたとしてもすぐに崩壊してしまった理由など、歴史の教科書等で一般的なイメージとは異なる分析・考察がなされている本。
個人的に興味深かったのは、家畜動物から由来する病気のリストで、麻疹はヒツジやヤギの罹る牛疫ウイルスから、天然痘はラクダの家畜化と牛痘を持ったネズミから、インフルエンザは水鳥の家畜化から、およそ4500年前に生じたと考えられているというもの。現在でも、ホモ・サピエンスと、ブタ、ニワトリ、ガチョウが高い密度で共存している某地域が、とあるウイルスの起源であることもうなづける。
また、定住している人は狩猟民族に比べて全般的に不健康で、幼児と母親の死亡率が高かったにも関わらず、定住農民は繁殖率が高く、死亡率の高さを補ってあまりあるほどであるという点も、狩猟採取民と農民の人口統計学的な差が、5000年という文脈で考えると、今の世界につながっていることがよく分かった。
本書は、医学、疫学の話はメインではなく、定住してから国家として成立するまでの社会システムの重要なポイントは奴隷制にあったことや、徴税と穀物の関係など、新しい視点も多々あり、かつ、ウル第三王朝、ウルク、キシュ、ニップル、ラガシュ・・・という響きも何とも言えずワクワクし、興味深い本だったなーという感想です。
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初期国家発生の要因とその目的に加え、AD1600年代までのメジャーな存在だった「不在のリヴァイアサン」(=遊牧国家含めた無国家民)と国家の並行進化について紹介した書籍。
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人類がアントロポセンを引き起こす所以、国民国家が当たり前に語られる現代で、国家がいかに歴史的に暴虐だったかを提示してくれる、知的好奇心がそそられる本。ジェームズ・C・スコットは何読んでも面白いです。
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レビューはブログにて
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国家の起源についての驚くべき本。
石器時代の狩猟社会は人間にとって結構幸せな時代で、新石器時代で農耕が始まって人間は不幸になったという感じの話はときどき聞くわけだけど、この本はさらに議論を先に進めている。
これまでの通説では、国家の起源は、農耕が進むにつれ、灌漑を行う必要がでてきて、自然発生的に国家が生まれてきたという感じであったと思うが、スコットは、最近のさまざまな研究を組み合わせながら、その理解を覆していく。
国家をなんと定義するかによって、なにを起源とするのかは、いろいろな議論がありうると思うが、スコットは税(穀物や使役など)を徴収するということに国家の基本条件を求める。
そうすると、国家が成立する以前に灌漑などは自然発生的に作られていたいうことになる。
では、どこから国家はやってきたのか?
著者は、まず農耕や牧畜にともなって、植物や動物の家畜化(domestication)がなされるというところに着目する。つまり、人間の都合のよい個体を選択していくことで、より人間の扱いやすいものに種が変異、進化していく。
その家畜化の主体は、「人間」であるように見えるが、実は、人間自体も、家畜化された種との相互依存のプロセスで、自己家畜化が生じるという。
自己家畜化がすすんだ人間のコミュニティに対して、内部から、あるいは外部から、これを支配しようとするエリート層がでてきて、徴税を行うようになるのが、国家の起源ということになる。つまり、ある種の寄生的な存在ということだ。
なぜ、それが可能かというと、穀物という形である程度の期間保存できるかたちで富が生み出されて、かつ一斉の収穫時期がきまっているため、税を徴収してまわることができるから。
この国家は、外部の敵から、コミュニティを守るという役割も担う。あるいは、外部の敵に対して、襲ってこないように貢物をする。つまり、国家も外部の敵も、みかじめ料を要求するヤクザみたいな存在なのだ。
こうして、農耕の発達によって、人間は家畜化がすすんだり、ヤクザ的な存在によって、支配されたり、搾取されたりすることで幸福度は下がっていくのだ。
だが、著者は、この狩猟社会から農耕社会への変化が、国家的なものに不可逆的に「進化」していくわけでないことを強調する。
むしろ、「国家」は、安定したものではなく、しばしば短期間で崩壊する。が、「国家の崩壊」は、今日、わたしたちが想像するような悲劇的なことではなく、そこにいた人たちは解放されて、幸福度があがったりする。
そして、「国家」が機能しているときも、「国家」の支配から抜け出す人々も常にいた。「国家」を囲む壁は、外部からの侵入者から守るためであるとともに、「国民」が外部に逃げないようにするためのものでもあったのだ。
この分野の本はあまり読んでいないのだが、この議論はかなり説得力があるように思う。
ある意味、フーコーが「監獄の誕生」などで行った議論とも類似したものを感じた。ただ、フーコーは、そうした「監視社会」は近代のものとしたのだが、スコットの議論にのると数千年前からの流れであるということになる。
もう少しこの分野の本を読んでみようと思う。
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【感想】
農耕による定住生活が始まった理由は、狩猟採集生活から脱却し安定性を求めたため、と一般的には思われている。しかし、本書「反穀物の人類史」では、作物化・家畜化された穀物や動物と、農業国家の登場に4000年もの乖離があることに注目し、「定住生活はユートピアを目指しての選択ではない」と述べている。そこには自らを苦役に晒しても農業を始めなければならないほどの、やむを得ない理由があったのだ。
そもそも、狩猟採集生活と定住生活では、前者のほうが格段に健康的である。最初の定住地であった湿地帯では、木の実、肉、魚と、利用できる資源が豊富にあった。一方で、穀物を中心とした生活は栄養が偏りがちになり、またその穀物も、疫病や干ばつによって収穫が不安定である。農耕のための重労働は人々の寿命を縮めるし、集団生活は病原菌も蔓延しやすい。本書では農耕・定住化の選択を「集団でこめかみにピストルを突きつけられたのでない限り、とても正気の沙汰とは思えない」と評しているほどだ。
では何故理に合わない農業に進んでしまったのかというと、それは「気候変動」のせいであった。
少なくとも紀元前3500~2500年の時期には海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少し、乾燥が進んだということがわかっている。これによって、湿地帯で得られていた栄養価の高い食物が激減し、残された人々は少しでも豊かな土地、すなわち河川沿岸に過集中することとなる。
水資源が減少するということは、今までの農業のやり方も見直す必要があった。それまでは洪水による自然攪乱にまかせて種子をばらまけばよかったが、水の減少により灌漑事業を行う必要性が出てきた。灌漑事業は大規模なものとなるため、賦役、奴隷労働で掘削する網目状の運河システムが発達し、当然それを治める官吏も誕生する。これが国家と階級制度の萌芽となった。
「国家システムによる支配」の原型を作ったのは農業だが、それを強めたのもまた、農業によってだった。それは収穫物である「穀物」が支配の道具としてこの上なく便利だったからだ。
穀物は数えやすい、つまり「課税しやすい」。穀物は目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして「分配」ができる。加えて、ジャガイモや木の実と違って、穀物は「目の高さの地上で」「同時に」熟す。しかも一粒が小さく均一的であり、重量・体積を正確に測ることができる。ということは、収穫の季節になると、国家の徴税官はおおよその収穫量を判読でき、査定できる。
こうした特徴があったからこそ、穀物は第一級の政治的作物になり、課税を通じて国のシステムを安定化させる要因を担ったのだ。
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以上は本書の一部抜粋である。
本書は220ページ程度と非常にコンパクトだが、一行一行に情報がびっしりと詰まっており、読みごたえは抜群だ。
ただ難点として、これでもかというぐらい微に入っているため、脱線や話の飛躍が結構多い。一応、①農業は人類が選択的に選んだわけでなく、ほかに選択肢がなかった→②気候変動と穀物が国の原型を生んだ→③国家の発展は病原菌や飢餓、戦争など、多くの場合で狩猟採集生活より悲惨な結果を生んだ という流れを押さえて置けば、迷子になることはないだろう。
私たちは「農業の発達と国の発展」はニコイチとして当たり前に思っているが、それを改めるきっかけになるかもしれない一冊だった。
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【まとめ】
0 まえがき
国家形成にまつわる根本的な疑問は、わたしたちホモ・サピエンスがいったいどういう経緯でこんな暮らし方――作物化・家畜化された植物と動物、および人間による前例のない集住――をするようになったのかということだ。
そして、この暮らし方は国家の特徴でもある。国家は、作物栽培と定住が始まってから4000年以上もあとにできた。こうした幅広い視点で考えると、国家という形態はどう見ても自然ではないし、既定のものでもない。
1 農業の始まり=定住生活の始まりなのか?
標準的な歴史は穀物の作物化を永続的な定住生活の基本的な前提条件としている。狩猟や採取には大きな移動と分散性が必要だから、定住など問題外だという推定が、今も広く支持されているのだ。
しかし定住は、穀物や動物の作物化・家畜化よりはるかに古く、穀物栽培がほとんど行われない環境で継続することも多かった。
同じく絶対的に明らかなこととして、作物化・家畜化された穀物や動物が、農業国家らしきものが登場するずっと前から存在していたことも分かっている。最新の証拠に基づけば、この二つの重要な「飼い馴らし」とそれを基礎とする最初の農耕経済との年代差は、4000年にもなると考えられているのだ。
また、定住は乾燥地帯から発生したと支持されている。乾燥地帯で農業を行うには灌漑事業が必要で、それが国家形成を促進したと思われているが、実はこれも誤りである。
最初の大規模な定住地は、むしろ湿地帯だった。生活のために依存したのは穀物にではなく、湿地の豊富な資源にであった。当時のメソポタミア南部は乾燥地帯などではなく、むしろ狩猟採集民の天国ともいうべき湿地帯だった。海面が今よりずっと高かったことと、ティグリス=ユーフラテス三角州が平坦だったおかげで、現在は乾燥している地域にまで大幅な「海進」が起こっていた。灌漑による大規模な穀物栽培などしなくても、ほぼ自生植物や海洋資源だけに依存していれば、かなりの人口は生じてくる。また農作物を育てるにも、自然の畝や土手の水位の高いところを破るだけで灌漑ができ、自然が準備した畑に種子が自動で広がっていくようになっていた。
われわれが考えるべきは、なぜ旧石器時代の祖先が大急ぎで農耕に飛び込まなかったのかではなく、そもそもなぜ、わざわざ植物を植えたのかということになる。一般的な答えは、穀物は収穫したら穀物倉で何年も貯蔵ができるから(=生活の安定につながるから)というものだ。
しかし、この説明は基本的なところで精査に耐えられない。これは暗に、植え付けた作物からの収穫が野生種の穀物から得られる実りより信頼できることを前提にしている。しかし事実はその反対に近い。そもそも野生の種子は、それが繁茂する場所でしか見つからないものだ。
第二に、この視点は、植物���植え、世話をし、実を守るという、定住に伴う生業リスクを見過ごしている。歴史的に見て、狩猟民や採集民の生業の安全は、まさに彼らの移動性と、権利を主張できる食料資源の多様性にある。
植物を植えはじめた初期では、狩猟採取と農耕のハイブリッドであったと考えるのが妥当だ。多様な湿地環境が提供してくれる複数の選択肢を利用し、いくつもの食料網にまたがる生業選択肢を有していたのだ。
2 感染症
ではなぜ人々は数千年をかけて、支配的な生活様式としての農業に進んでいったのか。固定された畑で農業や牧畜を営めば、そのための苦役は急激に増大するとわかっているのに、なぜ狩猟採集民はそんな選択をしたのだろう。集団でこめかみにピストルを突きつけられたのでない限り、とても正気の沙汰とは思えない。
農業の導入をめぐる議論は様々存在し、それぞれ異論反論が飛び交う熱い分野となっている。メジャーなのは「ブロードスペクトラム革命」と呼ばれるもので、利用する資源のうち栄養価の高いものが減り、農耕に比重を移さなければ生きていけなくなった、とする理論だ。しかし、これもはっきりと真とは言えない。
ここで明確に揺るがない事実が一つある。人口圧が高まっていたにも関わらず、人口が伸びなかったのである。
紀元前1万年の世界人口は、ある慎重な推定で約400万だった。それから丸5000年が過ぎた紀元前5000年でも、わずかに増えて500万人だった。新石器革命の文明的達成である定住と農業が行われていたとはいえ、これでは人口爆発とはとてもいえない。人類の生業技術は進歩したように見えるのに、長期にわたって人口が停滞している。
理由は「伝染病」だ。
紀元前3000年代半ば以前の人間、家畜、作物の病気で、病原菌がどんな役割を果たしたかについては、証拠がほとんどないので、必然的に推測になってしまう。しかし文字記録が急増するのに合わせて、伝染病の証拠の割合は増えていく。作物栽培が大きく広がるよりずっと早く、定住と家畜の生育からだけでも群集状況は生まれていて、病原菌の理想的な「肥育場」となっていたのだ。
また、定住と群衆による疾患をさらに悪化させたのが、急激な農業化による、必須栄養素の不足だった。加えて、作物そのものも単一化によって害虫や疫病の被害を受けやすくなっている。
では、こんな状態でも何故新しい形態である「農耕生活」が生き残れたのか。それは、死んでもそれ以上に増えたからだ。狩猟採集民と比べて全般的に不健康で、幼児・母体の死亡率が高かったにもかかわらず、定住農民は前例がないほど繁殖率が高く、死亡率の高さを補って余りあるほどだったのだ。
「こめかみのピストル」には二つの可能性が考えられる。すなわち、多くの狩猟採集民が選択によって、またはやむをえずに農業をするようになったか、あるいは、農耕にともなう病原菌が風土病になり、農民の致死率が下がっていたのに、彼らと接触した狩猟採集民にはまだ免疫がなかったために壊滅的な打撃を受けたか、だ。
3 国家の形成と、支配の道具としての「穀物」
国家が形成されたのは、沖積層に穀物とマンパワーを集中させ、それを支配、維持、拡大したからだ。
沖積層に人々が寄り集まった要因の一つは、気候変動だ。ニッセンは、少なくとも紀元前3500~2500年の時期には海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少したことを示している。乾燥が進んだということは、河川が主流へと縮小し、残った水路の周辺に人びとが急速に集まったこと、それと同時に、水を奪われた地域の土壌塩類化によって、耕作可能地が急激に減少したことを意味している。こうしたプロセスのなかで、人びとは衝撃的なほど集中し、それによって「都市化」が進んだ。掘削した運河へのアクセスは死活問題となった。ウンマやラガシュといった都市国家は、耕作可能地やそこへ引いてくるための水をめぐって戦った。やがて、賦役や奴隷労働で掘削する網目状の運河システムが発達した。
「乾燥」は、国家作りになくてはならないものとなり、代替となる採集や狩猟生活を消滅させたのだ。
そして、国家の安定において大きな役割を果たしたのが「穀物」だ。いったいなぜか。
それは、穀物が数えやすい、つまり「課税しやすい」ことにある。穀物は目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして「分配」ができる。穀物が「地上で」同時に熟することには、国家の徴税官が判読、査定できるという、計り知れない利点がある。こうした特徴があったからこそ、コムギ、オオムギ、コメ、トウモロコシ、およびヒエやアワなどの雑穀は第一級の政治的作物になったのだ。
税の評価担当者はふつう土壌の質で畑をランク付けする。その土壌での具体的な穀物の平均収穫量がわかれば、それで税の見積もりが可能になる。年ごとの調整が必要なら、農地を測量して、収穫直前にサンプル部分の作物を刈り取れば、具体的な作物年度の推定収穫量が得られる。最終的に小さな粒になるため、経理上の目的で小さく分割すれば、重量・体積で正確に測ることができる。
穀物は国家の形態を安定化されるための「支配の道具」として、このうえなく優秀だったのだ。
4 初期国家の脆弱性
・病気
→過度の定住、交易、戦争によって伝染病のまん延が加速し、大規模な定住地の多くが消滅する。
・環境破壊
→伐採と過放牧によって森林破壊が進み、燃料不足、河川の氾濫、塩害が起こる。
・戦争
→侵略と国防のためにマンパワー資源が浪費され、経済が不安定になる。
5 野蛮人の黄金時代
国家はほとんどが農業現象なので、いくつかの山間渓谷を除けば、どれも沖積層に浮かぶ島々のようなもので、一握りの大河が作る氾濫原に位置していた。強力にはなったかもしれないが、その支配が及ぶ範囲は生態学的に限られていて、権力基盤である労働力と穀物の密集を支えるだけの水がある、豊かな土壌だけだった。
不毛な地域である後背地は、国家の中心地から見た「野蛮人」のテリトリーだった。「野蛮人」とは採集民、狩猟民、遊牧民である。そして、野蛮人による脅威こそが、国家の成長を制限する単一要因として、最も重要なものだった。
国家は野蛮人にとって、略奪と貢納という面でおいしい場所だった。捕食者として国家が定住して穀物栽培する人びとを必要としたのとまったく同じように、定住人口が集中し、穀物、家畜、マンパワー、商品がそろっているところは、捕食者である野蛮人にとって格好の略奪の場となったのだ。ラクダ、ウマ、喫水が浅くて機敏に動けるボートなどが登場して捕食者の可動性が高まると、略奪の範囲と有効性は大きく拡大、増大した。
しかし、国家の登場が野蛮人にもたらした最大の恩恵は、捕食の場としてよりも、交易拠点としてだった。
国家の農業生態系は非常に幅が狭かったので、生き残るためには、沖積層外部からの多くの製品に依存しなければならなかった。国家と無国家民は自然な交易パートナーとなり、国家の人口と富が増えるにつれて、近隣の野蛮人との商品交換も増えていった。
野蛮人が供給するものの大部分は、最も高価な部類の家畜――ウシ、ヒツジ、そしてなにより奴隷だった。見返りとして野蛮人が受け取ったのは、織物、穀物、鉄器・銅器、土器・陶器、職人が作る贅沢品などで、こちらも「国際」交易から得られたものが多かった。
キーポイントは、国家というものは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していたという点にある。国家からの逃亡の原因は途方もなく多様だ。伝染病、凶作、洪水、土壌の塩類化、課税戦争、徴兵など、すべてが着実な漏出の理由になるし、ときには大量脱出のきっかけにもなる。逃走し近隣国家へ向かう者もいただろうが、多くは辺境へと逃れて別の生業形態を営んだだろう。彼らは事実上、意図して野蛮人になったのだ。こうした状況では、それは残念な後退や不足として見られるどころか、安全、栄養、社会秩序の大幅な改善だった。野蛮人になることは、多くの場合は運命を好転させるための選択だったのだ。
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本書の内容はこれまで一般的な歴史教育で教わった、農耕が始まることで出来た余裕で神官や貴族が生まれ国家が形成されたという常識を否定するものである。「サピエンス全史」でユヴァル・ノア・ハラリも似たようなことを言っているが、小麦や稲などの穀物を土台とする国家は、実は穀物に飼いならされているという主張。
家畜やヒトが農耕社会が原因で得た進化の適性や国家と蛮族の関係性などの視点も面白かった。
難を言えば話題があっちこっち行って結論がしっくりこない。というか結論がない。
同じ作者の「ゾミア」は非定住民は未開ゆえに国家の支配を逃れる目的で穀物生産を行わないという選択をしているという筋が一本ある。まだ「ゾミア」読んでないけど。