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★★★
今月2冊目。
長谷川式スケールを作った長谷川先生が認知症に。
期待したけど、まあそんな内容がある本ではなかった
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認知症の専門医が認知症になった...
やはりドクターということで主に認知症のことについて書かれている。
専門医の発症からの経緯などが詳しく書かれているのかなぁ〜と思って読んでみたのだが...
少し期待外れの部分もあった。
(他の本をいくつか読んでいたせいかもしれないが...)
認知症だから...と扱いを変えるのではなく
介護する側に患者に対して「人ありき」やはり人としての敬意を持って...ということが常に根底にあれば、きっと長くなるであろう介護の時間もお互いがスムーズに(?)過ごせるということだろう。
多くの本にそう書かれており、私自身もそう思う。
一口に認知症といってもその症状は脳の損傷部分で異なる。
一人一人の症状が異なるということだ。
「人ありき」目の前の患者にどう寄り添うのか...
介護する側の心のあり方を問われている。
そして多くの場合、多分、きっと自分も少なからず行き着くところなのかもしれない...とも思う//
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今回は「自分が認知症になったらどうなるのか」という見方をしてみましょう。
認知症の臨床と研究の第一人者である長谷川和夫先生が80代後半になって認知症になったのです。認知症専門医が認知症になっていく過程で知る認知症の真の姿とは・・・。日本で認知症のテストといえば「長谷川式認知症スケール」。①年齢②日時の見当識(今日が何年、何月、何日かを問う)③場所の見当識(今現在の場所がどこなのか問う)④3つの言葉の記銘(3つの単語、桜・猫・電車(または梅・犬・自動車)を順番に暗記してもらう)⑤計算問題(数字を使った計算100から7を引いていく)⑥数字の逆唱(提示する3ケタの数字を逆から読んでもらう。正解したら次は4ケタで)⑦3つの言葉の遅延再生(④で暗記した単語を復唱してもらう)⑧5つの物品記銘(5つのアイテム-タバコ、ペン、腕時計など)を順番に見せ、後で何があったかを問う)⑨言葉の流暢性(野菜の名前などをできるだけ多く答えてもらう)・・・これを作ったのが長谷川和夫先生。2月にNHKスペシャルで「認知症の第一人者が認知症になった」(このwebsiteは読み応えあります、お薦めです)を見ました。長谷川先生が認知症になり番組の収録期間中の中でも進行していく姿は驚きでした。
この本はそんな長谷川先生の若き日から現在までの道のりをたどりながら、認知症が進んでいく過程での先生の思いを猪熊律子さんが聞き取りまとめたものです。先生の思いの中でもっとも大事なのは認知症の本質は「ボケること」そのものではなく、それによって引き起こされる「暮らしの障害」=「生活障害」なのだということ。
先生は、「年をとるのは自然の経過だから、『ああ、自分も認知症になったんだな』と受け入れて、上手に付き合いながら生きていく。」と言っています。だから周囲の者が認知症の暮らしの障害がどんなものなのかを理解し、生活を共にするときの知識や技術を周囲の人が知っておいてくれたら認知症の人にとっての生きやすさはかなり違ってくるのです・・・それを称して「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」・・・なんだと。
しかし、ここまで読んで私は思いました。先生がいうところの「検査や薬ではなく、パーソン・センタード・ケアの精神で生活の障害を支援しつつ老化の進行に付き合い、そして死に寄りそう」・・それって結局、昔の日本の大家族の中で普通に行われてきたことじゃないですか。大家族の中であったら、そして今ほど長寿じゃなかったら、家族とともに自然体で暮らしながら死を迎えられたんじゃないかと。それを長谷川先生が一生かけて疾病化し、病名も変え、診断手法も考え、医療化したことが本当に良かったのだろうか。結局、誰も老化は避けられず、脳の老化が先行することもひとつの自然経過なのだと。そしてそれを長谷川先生が身をもって示してくれたということではないでしょうか。
ところが、「認知症を病気にしてしまったことが本当に良かったのか疑問だね・・」などと、私が食卓で理屈をこねていると、現実的なわが妻が言うには、「病気と認められたからこそ、家庭と切り離すことができて、良かった・救われた」。ここで初めて、多くの女性にとって親世代や夫の認知症を介護することは老後に降りかかってくる災厄でもあったのだと気づかされました。
長谷川先生も認知症になりながらも快適な生活をおくれるのは奥様とお嬢様の二人の介護者がいるからなのでした。長谷川先生も私もまさに昭和男の「ボク」目線で認知症がわかったような気になっているだけなのかも・・・いやきっとそうですね。
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本を読む前にNHKスペシャルで特集をされていたので、どちらかというとスペシャルの方がリアルで面白かったかな。
長谷川式は診療で当たり前の様に用いられているものだけど、専門でもないのでそれが作られた背景や歴史は全く知らずにいた。今回その作成された方が認知症になったと言うのを聞いた時は結構な衝撃だった。「君の研究は君自身が認知症になって初めて完成する」と先輩から言われた事があると書いてあったのも、なんだか複雑な気持ちにさせられた。
スペシャルで言っていた認知症になっても景色は変わらないって言う言葉が印象的。認知症と言うファクターで患者さんを見るのではなく、1人の人間としてちゃんと尊厳を持って接していく事が認知症への理解を深めていく事なのだと理解した。
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いつも見ている認知症のことがわかっているようで全然わかってなかったなーとしみじみ。
長谷川式スケールのことも知ってはいましたが、こんなに素敵なお人柄のドクターだとは知りませんでした。
当事者目線での認知症が、家族にも当事者にも医療職にもすごくわかりやすい本
生きること、死ぬこと、長生きすること、老いることについて考えさせてくれる本です。
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認知症診断のものさしを作った長谷川先生がご自身が認知症になった経験から当事者の視点で認知症を語る。認知症診断の歴史などにも振れることができる。
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認知症とは暮らしの障害、
認知症になったからといって、急に別人になるわけではない。これまで生きてきた続きである。
学生から医療関係者、一般の方までよむことを勧めたい。認知症とは脳の自然の変化である。
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作者が認知症という病に対して、医療者として向き合い続けてきた姿勢がよくわかる。
認知症という病とともに、その病に苦しむ人を診続けてきた姿に胸を打たれた。
医療・介護の限界を誰よりも知りながら、少しでもこの認知症という病に苦しむ人が、「その人らしく生きる」事が出来る様に働き続けた姿が、この本を通してよくわかる。
高齢者社会が更に進む中で、誰もが認知症の方に関わる社会になるであろうし、また自分がそうなるかもしれない。その中で、どうすれば「その人らしく」「わたしらしく」生きる事ができるのか?という問題を、私たちも考えなければいけないのであろう。
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認知症研究の第一人者の長谷川先生が、自分自身が認知症になり、患者の目線でも、認知症について語った本。NHKのドキュメンタリーにもなりましたね。
印象に残った言葉をいくつか。
認知症は、いったんなったら固定しているものに思われがちだが、そうではない。普通の時との連続性がある。ボクの場合、朝起きたときは、いちばん調子がよい。午後になると、わからなくなってくる。夕方から夜は、やることが決まっているので、何とかこなせる。そして、眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がすっきりしている。
同じく、自分が認知症だとカミングアウトした、オーストラリアのブライデン氏の言葉。「私は最も私らしい私に戻るたびに出るのだ」。最初の著書は、「私は誰になっていくの?」。認知症になって、私はどうなるのかの不安。でも、2冊目は、「私は私になっていく」。脳の表面にある、認知脳は失われても、その下の感情脳、そして、その奥の私自身になっていく。
その人の存在そのものを支えることが、「スピリチュアル・ケア」ではないか。
YH
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長谷川スケールを開発した、国内において認知症の権威である長谷川先生の著作。「認知症の診断基準」を作成するほど、この病を知り尽くしている先生でさえ、認知症にかかるのは防げないのだということを知ってから、ずっと読みたかった本。
高齢化社会において、認知症は身近な存在となりましたが、正直なところ、よくわからない病気でした。
認知症になったらどうなるか、例えば、物忘れがひどくなる、今日が何月何日かわからなくなる、というのは知っていても、認知症になったらどう感じるか、どう症状が進行しているのか、というのをわかりやすく、専門家としての見地もまじえながら、当事者が語ってくれる、たいへんありがたい一冊でした。
確かさが、あいまいになっていく病気で、今日が何月何日何曜日かわからなくなってしまう。
それでも、人間は、生まれたときから現在まで連続して生きていて、認知症になったからといって、昨日の自分の続きに今日があることに変わりはなく、そのひとがいなくなってしまうことではない、ということにハッとしました。認知症になったら最後、何も分からなくなると思っていたのですが、そうではないことに気が付きました。
生きることは老いること。老いることは生きること。認知症の認識が、読了前後で変わりました。
認知症になっても、それは「暮らしのしょうがい」であり、認知症とうまく付き合って共生することができる社会の大事さを説く長谷川先生。
ですが、絶対にやってはいけないこととしてクルマの運転をあげていたことが印象的でした。昨今のニュースをみるに、これからも認知症のひとが増えるからには、きちんと社会の側からも対応していくことが大事だと思います。
そのほかには、かつては痴呆は差別的な名称だとして、認知症という新しい名前がつけられるまでの経緯(ほかの候補は、認知障害、記憶障害、アルツハイマー、もの忘れ症などがあったそうです)、認知症治療の歴史など、興味深いことがたくさんありました。
NHKドキュメンタリーの方は未視聴ですが、みてみたいです。
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認知症になったら自分は自分でなくなるのではないか…急にすべてが分からなくなって、今までの自分はなくなってしまうのではないか…そんな不安がずっとどこかにあった。認知症は誰でもなり得るものであることを知っていたし、症状を聞きかじっていたし、何より身近にそういう人を見てきてその人の内面が全く想像できなかったからである。
しかしこの本を読んで、認知症になってもその人はその人であるということ、その人として扱うのが正解なのだという、非常に当たり前だけど大事なことにまず気づけた。認知症について自分の捉え方もだいぶ変わり、自分が認知症になった時についても、また他者が認知症になった時についても、今回この本を読んで学んだことは必ず活きる考えになるだろう。
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認知症の医療に関わる第一人者である長谷川先生が認知症の当事者として書かれた本。誰もが避けて通ることのできない老いに真摯に向き合う姿勢が素晴らしい。母の介護をすること、自分の衰えを突きつけられて重荷を感じることもあるが、誰もがそうして生きていることに勇気付けられた。認知症の患者と介護者のみならず全ての人に読んで欲しい。
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認知症のレジェンド長谷川先生が、認知症になってから書いた本。わかりやすい文章で読みやすいので、多くの人に読んでもらいたい。
認知症になっても日々は続くし、その人の本質は変わらないから、パーソンセンタードケア(その人中心のケア)が大切。認知症の人の話をよく聴く、待つ、その人に時間をあげる。
認知症の本質は、暮らしの障害だから、地域ケアで支える。
トムキットウッドの「オールドカルチャー(疾患中心の見方)」から「ニューカルチャー(ケアの質により大きく変わるとする見方)」と呼んだそう。
アルツハイマー型認知症になった義父を訪問した際に「みなさまはどなたさまですか?どなたかわからなくて困っているんです」に対して、長谷川先生の娘さんが言った「おじいちゃん、私たちのことをわからなくなったみたいだけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っているから大丈夫。心配いらないよ」と返したというのが素敵だった。
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認知症の評価として有名な改訂長谷川式簡易知能スケールを作った長谷川和夫さんの本。
頭でロジカルに理解しているけど、体感が伴わないと、真に理解はできていないことは多い。
そんな中、認知症の大家として有名だった長谷川先生自身が認知症になられて、当事者としての感覚を発信されたこの本は非常に勉強になった。
認知症についての知識だてげなく、認知症になった人の気持ちも理解できた。
なかでも、ハッとさせられる言葉が何個もあった。
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「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔もいまも連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」
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「認知症」と診断されると、ステレオタイプに「この人は認知症だから理解できいだろう」と当人と話し合おうとしなくなりがち。
でも、実際は理解できないこともあるけれど、理解できることもある。1人の人として尊重しなければいけないなと改めて思った。
また認知症の人に限らず大切なことを学んだ。
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「聴く」というのは「待つ」ということ。そして、「待つ」というのはその人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。
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ぼくはいままで、人の話を聞いているつもりで遮ったり結論を先に言ったりしがちになっていたけれど、その根底には「相手に時間を使いたくない」と思っていたからかもしれない。だからこの言葉が胸に刺さった。
相手のスピードに合わせて待つことこそ「聴く」ことなのだ。
最後に、大忙しの中様々な実績を挙げられてきた人ならではの話。
90になった今でも、やりたいことがいっぱいあり、やらなければいけないと活動し続けている長谷川先生。
その秘訣は、「明日やれることは今やる」だった。
ぼくは今まで「明日やれることは明日やろう」だったけれど、人にはそんなに時間はない。
本当にやりたいことな、1文でもいいから前に進もう。そうするとそれが未来につながり希望になることを学んだ。
まだ、ほかにも言葉にしきれないほど学びがあった本だった。
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認知症の本だと思ったら自分史の本だった。逆に、認知症になってもこれだけ覚えてるぞという文献としての価値があるかもしれない。