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世界の名だたるオーケストラを知り尽くしている著者が、楽団員や各パートに焦点を当て、淡々とそのあり様を書き綴っている。オーケストラと指揮者の微妙な関係についての記述もなかなか興味深い。
歌劇や交響曲等を演奏するオーケストラは、ヨーロッパにとっては、演奏される楽曲を含め(もちろん作曲家も)、彼らの文化資産であることは間違いない。
一方、アメリカではその位置が微妙になり、文化資産としての意味合いよりショウ・ビジネスとしての立ち位置が勝っていると感じる。
さらに、日本、オーケストラの立ち位置は今後どうなっていくのか。クラシックは欧米からの輸入文化であり、今後、この分野がどのように日本文化に根付いていくのか(いかないのか)、また、人口減少が進みながら趣味嗜好の多様性も進むなかで、日本のオーケストラの立ち位置というのはどうなるか。いまやインターネットでヨーロッパの一流のオケの演奏を楽しめる時代だ。欧米のオーケストラの息遣いを感じる本書を読みながら、ふとそんなことを考えている。
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読了。とにかく指揮者や演奏家の個人名がこれでもかと出てきて、名前を聞いたことはあったがそんな人物だったのか、となかなか興味深く読んだ。ただし、プレイヤーの名前が偏執的に出てくる部分は、ほぼ斜め読みである。
指揮者のようにある程度以上著名な人物だと、説明もなくいきなり名前が出てくるので、普段クラシックを聴かない人や、これから聴こうと思っているような人にはおすすめし難い。
特に第2部のパート紹介のような部分は、オーケストラについてあまり詳しくない人も楽しめると思うが、所属したことのある人であれば、「あるある」ということばかり書かれていてべつの楽しみ方ができるだろう。
残念だったのは、原著が2012年の発行なので、情報がやや古い。アーノンクールが存命だったり(2016年死去)、フィリップ・スミスが現役だったり(2014年に引退)していた。
この手の本にありがちだが、弦楽器に力を入れるあまり、管楽器、特に金管への言及が少ない。弦楽器の配置には図解も交えつつ7ページも割いているのに、イギリスでよくあるトランペットとトロンボーンが前後に並んでいる配置には触れずに「どこでもほぼ同一」などと書いてしまっているあたり、そもそも興味がないのかもしれない(原著者がフランス人なのでイギリスに興味がない可能性もある)
あと、原著のせいなのか誤訳なのか、間違いが多い。幻想交響曲にオフィクレイド2本は出てくるもののセルパンは指定されていないし、ショスタコーヴィチの5番の終楽章の冒頭にホルンが「穏やかな主題をゆるやかに」演奏する部分など無い(中間部分のソロのことか、もしくは誰の何番と間違えてるのか?)。カタカナの表記にしても、国内で一番通用している表記に従ったと言いつつ、ミシェル・ベッケの表記が「ベケ」だったり、サックバットを「サクビュット」と表記してしまったりしていた。
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海外オケの逸話がもりだくさん。固有名詞が多いのでカタカナが延々と続く。指揮者とオケの関係は国によって違うのが興味深い。パーヴォ・ヤルヴィはこういうタイプだから日本にいるのか…。
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クラシック曲名や人名については、多分、読み手のバックグラウンドに依存しますが。
クラシック音楽を文化として維持していくそれぞれの国の施策、メンバーのメンタリティや文化、オーケストラとしての組織論、各パートの役割や個々の人とは・・・という色々な観点でのあれこれが少しずつ語られていて、きっと少しでもオーケストラを聴いたことがある人なら面白いと思います。
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この本はぶあつくて知られていない小話満載でおもしろい。フランス人のジャーナリストによるもので、フランスの楽団は治安が悪すぎるようだ。