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この本読んでわかったこと。自分はハロプロが好きなだけであって、アイドル全体が好き、ってことではないこと。そんなこと、早くわかれよ、ってことですが、アイドルすべてに目を配り、そのそれぞれに時代的意味を考察している作者、偉いです。たぶん、南沙織や「中三トリオ」の時代に、職業歌手としてのプロフェッショナリズムとは違う存在価値を言い表す記号がアイドルと言う言葉で、それが1986年KYON²の「なんてったてアイドル」で、人に言われるものから自称するものになったのだと思います。結果ではなく自己目標であることによって平成になってアイドル・カンブリア紀が生まれているのでしょう。昔は「歌は世につれ、世は歌につれ」だったのが、「アイドルは世につれ、世はアイドルにつれ」になったってことかも。と、いうように社会とアイドルという言葉の関係、あるいはアイドルであろうとしている人とアイドルという言葉の関係は置いておいて、はて、オタクとアイドルって言葉の関係はどう変化しているのだろう、が読了後の疑問です。そう、ここしばらくハロプロ沼にはまっている自分にアイドルとして好き、という気持ちは入っているのかな?システムとしてのハロプロに対する箱推し感は、宝塚が好き、とか大相撲が好き、みたいな感じでアイドルって括りはいらない気がするのだけど、それがアイドルに嵌っているということなのか?とよくわかんなくなりました。