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"「もしかしたら、あいつは俺にうんざりしてたんじゃないのかなあ。俺もあいつのことは、表面的にしか分からないのかもしれない。あいつはどんな女だったのか。幸せだったのか、うんざりしてたのか。すべては推測にすぎないんだ。夫婦なんて他人だよねえ、結局」"(p.104)
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いろんな人生があるもんだなあとしみじみ思った。テーマが散骨だけに、読んでいて悲しくなる部分もあったが、それよりも死を受け入れて生きている人の生き様に感じるものがあった。
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大切な人との出会い、別れ、それらの体験を通して、力強く歩み続ける5つの家族をめぐるノンフィクション。
話しの組み立てかたが、ところどころで引っかかる部分があり、最後は飛ばし読みしてしまった。
特に、ストーリーの中で筆者(や筆者の思い)が突然現れるので、フィクションだったかノンフィクションだったかと、少々戸惑う部分があった。
また、親しい人の「死」を経験したかた(取材される側)の思いを受け取り、一つのルポとしてまとめるには、取材者が少々未熟なのではないかという印象を受けた。
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家族や友人を失い、自由な方法で見送った五組の人々をドキュメントしたものだ〉。
どのご家族も明るい。
散骨の旅へ同行しているようで楽しかった。
登山家で医師の原真さんとエリザベスさんのエピソード『マカルーで眠りたい』が印象深い。
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著者と同じく、死んだら、、、、ということを時折考える。
死を考えることは、生を考えることだと思ってるから。
原真さんの話はちょっと圧倒されたなー
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自分が死んだ時に一番やってほしいのは、最初の世界各地で散骨。あとはエリザベスさんがすごくて一番印象に残ってる。登場人物みんな愛を持って自由を楽しんで自分の人生を生きてるって感じがした。
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散骨をされた6つのものがたり。
「誰かが愛した誰かの話を聞き、その記憶を自分の中に取り込んだ時、世界と自分の境界は限りなく曖昧になる。そして、その無数の見知らぬ人々も、いつしか〈私〉になるのかもしれない。」
そして、川内さんを通したものがたりが自分の中に取り込まれた感覚になりました。
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文庫本にしか載っていない著者のお話が載っていたので、また再度読み返す形になりました。何度読んでもココロ熱くなるお話ばかり。また、少し先に読んでみたいと思える本です。
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『目の見えない白鳥さん〜』『パリでメシを食う。』に続き3作めの川内作品。
愛する人を散骨という形で送ることにした人たちのお話。
川内さんの書くさっぱりした文章が好きです。
パリの話を読んだときからすごい人だなと思ってたけれど、
今作の描き下ろしのお父さんの話を読んですこし納得しました。
悲しみのない世界は愛や喜びのない世界と同じ、て言葉がすーっと胸に入ってきました。
いつか自分の周りの大切な人を見送ることになったときに、またこの本を手に取りたいと思います。
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川内有緒さんの文章って、自然体で、優しくて、どこか包み込むような印象を与えてくれる気がします。
重い題だなと思いながら手には取ったものの、良い意味で先入観を打ち砕いてくれました。
死者との向き合い方のあるべき論でも、ただ悲しみを書き連ねるでもなく、5組の家族の愛する人の死との向き合い方や、故人の生き様が優しい文章で綴れていました。
別れは、避けては通れない道。
頭では分かっていても、いざ対面するまで向き合い方を考えるのって難しいと思うんです。でも、この5組は、突然愛する人の死が差し迫った時、誰に聞くでも相談するでもなく、自然とそれぞれのやり方でベストを尽くして、それぞれの方法で弔っていました。
死との向き合い方に正解はないし、十人十色で良いんだなと思え、勇気をもらえました。
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本書はさまざま形で散骨をされた遺族の方のルポ。
ご本人が望んで…というケースが多いけれど、全体通して残された方の気持ちの整理という意味合いが強いと感じた。
身内を亡くした時、深い悲しみって消えないんだなと気付いた。
日々の暮らしの中で、薄れたと思ってもちょっと奥に移動していただけで突然生々しい感じで襲ってくることがある。
遺骨はお墓に納めて土に還すのがよいとお坊さんは言っていたけど、ちょっぴりいただいているのでいつか私も天気の良い日に故人の好きだった場所にサッと撒いてみたい。
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ゆっくりゆっくりと読み進めました。
書店員さんからオススメされた一冊。
正直、凄く惹かれて決めた本ではありませんでした。でも、自ら手に取ることはないだろうと思われるジャンルだったので、勧められるがまま手元に招きました。
とても良かったです。
「散骨」や「弔い」という言葉から連想するような悲壮感や重々しさはあまりなく、むしろ清々しさや前向きさを感じるところもありました。
私は、人に会いたくなりました。
今、この世界で会える人たちに。