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短いエッセイ風の文章だが、歯に衣着せぬ批判、指摘が非常にシャープで、爽快感を感じた。民主主義の歴史的例として取り上げられる事実も、目から鱗であった。
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西洋から他地域に伝播したとされる民主主義や、その源流としての古代ギリシャのいち付が、あまり考古学的に確かな説明ではないことを記している。
人類の民主主義の発生や実践は、社会と社会(集団と集団)の交流が生じ、コンセンサスを得る必要がある際に、それを解決するための知恵として生み出される/その際の民主主義の形態は、今世の中で流布している代表性民主主義とは異なった形態があったことなどを明らかにする内容。
文化人類学的に、モダンな社会が自らを見る目の射程を広げてくれる良著だと思う。
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原題は「西洋など存在したためしはない あるいは、民主主義はあいだの空間から生まれる」。タイトル通りのテーマで「西洋」を冠する文明のいかがわしさを指摘し、民主主義の起源を問うエッセイ。本文は120ページ足らずと短く、付録、著者以外によるフランス語版序文、訳者あとがきを合わせてようやく一冊分の分量に仕立て上げた形にみえる。
西洋文明と民主主義を二本の柱にしているのは前述のとおりで、西洋文明についてはその概念のいかがわしさを突く。いわく、西洋的な文化などというものはあちこちの大陸でなされた発見の継ぎ合わせからなり、その発展についても非西洋人によって大いに担われるとする。西洋文明の自明性に安住する価値観への批判として受け取れる著者の指摘は、なにも西洋文明に限らず場所を変えても通用するだろうし、「伝統」という観念自体にも同じく当てはまるものだろう。
もうひとつの本書のメインテーマというべき民主主義の起源の探求については、主に民主主義を「国家」と対置させてその本質を考察する。著者いわく、民主主義というものはその起こりからして国家の外にあって多種多様な人びとが結束の必要性に迫られ、コンセンサスを見出す過程で要請される手法だという。だから民主主義の起源が古代アテネにあるというのは、あくまでせいぜいここ一世紀から二世紀のあいだに西洋が民主主義の母体であるという根拠づけに引っ張り出された根拠に過ぎない。民主主義的なコミュニティのありかたそのものは時代と場所を問わず、アメリカの先住民や海賊船など、あらゆる場所にその試みの痕跡が認められる人類の普遍的な観念といえる。そして、民主主義が発生したのが国家と国家の「あいだの空間」だったというのが原題の主張にあたる。
また、国家への言及としては、次の一文が表す国家と民主主義の相性の悪さについての著者の認識がとくに印象に残る。
「国家とは、その本性からして、真に民主化されることなどありえないものなのだ。要するに、国家とは基本的に、暴力を組織化する手段にほかならない」
冒頭の通りの分量の少なさと、さらに他の著書での主張と重複するところも少なくないため、著者作に触れたことのある読者にとっての新奇さはそこまででもないかかもしれない。むしろ、著者に興味をもった方がはじめて触れる著作として適当とも思える。
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国家の統治に使われる民主主義なんてものは、本来パチものだ、というのがグレーバーのアナキズムの立場。また、西洋は古代ギリシアやローマからデモクラシーの伝統を引き継ぐ正統な後継者、と位置づけるが、それを鼻で笑う。まず、18世紀までデモクラシーなんて嫌われ者で、モブ/群衆による愚政がイメージされてたではないか。また、平等性と話し合いに基づく政治的意思決定をデモクラシーと呼べば、近世の大西洋の海賊や、アメリカのイロコイ族によく見られたじゃないかと、著者は言う。著者のアナキズムをコンパクトに知れる良書。翻訳もとても良い。流れる筆致である。
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アメリカの国旗とか憲法はネイティブアメリカンのイロコイ族の影響が大きい、とか、サパティスタ、とか、ハンチントンの文明の衝突議論の仕組みとか、民主主義は海賊とかアフリカの飛地で始まった、とか、面白いです。