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山本さんの2度目のチャダルの旅、10余年の時を経て様変わりしたチャダル。変わらない友の心、変わりゆく社会、人々、インフラ、、
旅する人の思いの変化は、チャダルの変化についていけないのだ。というより、今の全然平和でもないのに平和ボケして全然もはや先進でもないのに先進国ヅラしてる日本に暮らしているかぎりどんどん取り残されて、ぼんやりしていたら追い越されてしまう。しかし観光客に荒されているチャダルの入り口を過ぎたらそこは孤高のザンスカール。コロナ、パンデミックという理由で、どこにも訪れることができない今ならいたずらに羨ましいと思うこともなく、落ち着いた気持ちでアツすぎずも温かい山本さんの心持ちで一緒に旅を楽しめる、、しかしザンスカールの冬はこの世とは思えない世界。おまけにいただけた夏のザンスカールの美しい写真集をながめて、凍れる手先を温める思い。
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昔、インドを旅した時、デリーでよくした話は、「これからどこに行く?」「スリナガルかレーか・・、とにかく涼しいところへ」。結局僕はどちらにも行かなかったけど、北インドは今でも憧れている。
レーから旅の入り口バクラ・バオまでは車で数時間。道はそこで途絶え、急峻な地形に阻まれて冬の間はその先に行くことはできない。陸の孤島。ただ、厳冬の時期、ザンスカール川が凍ってしまう時期を除いては。
川の上の氷の道を地元ではチャダルという。そのチャダルを辿ってヒマラヤの麓、チベット仏教を信仰する人々が暮らす、ザンスカールという土地をの最深部までを巡る。土地の人々の家、多くはガイドの親戚の家だが、に泊まりながら、その土地で暮らす人々の冬の生活、信仰がだんだんと描かれる。
旅の途中から考えるのは、「ミツェ(人生)」のこと。「あれほどまでに強大な自然に囲まれた土地で、わずかな畑と家畜とともにつましく暮らす人生に、意味はあるのか。辿り着くことさえ困難な山奥のゴンパで、瞑想と仏への祈りにすべてを捧げる僧侶たちの人生に、意味はあるのか。」。静かに、著者は答えを見つける。
この旅の最中もレーと繋がる道路の建設が進んでいた。今頃はもう一年中外界とつながっていて、この冬の旅も、ザンスカールの冬の生活も完全に過去のものとなっているかもしれない。
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いつか行ってみたいが、日程的に諦め続けている場所。この本に描かれた風景が素晴らしくて、ますます憧れが募った。写真が良い。これは本棚に入れて再読しようと思う。
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自分は、チャダルはおろか、雪山にも行ったこともないし、今のところ縁もない。それでも、静まり返った中、しんしんと雪が降り積もるチャダルの風景が目の前に浮かんできた(途中途中に旅の様子を映した写真が入っていることもあるけど)。パドマとゾクパを著者が信頼していることも文章から読み取れたし、そういう人との繋がりの「良さ」が旅の醍醐味の一つだということを改めて感じた。
おそらくパドマであろう人物の横顔が焚火でぼうっと映し出されている写真がとても印象に残っている。なんだか会ったこともないのに、彼が今もザンスカールで生きている実感を文章と合わせて読むことで感じた。
そして、最後の「人生に意味があるかどうかの基準がこの世にあるとしたら、それは、その人が、どれだけあるがままに、まっすぐに、自らの人生を生きているか、ということに尽きる」という言葉がとても響いた。厳しい旅を乗り越えた著者の言葉だからこそ、自分に深く響いたのかもしれない。
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日常とかけはなれ過ぎて、何と言ったらよいか。行ってみたいが。そう思う時に行くべきとよく言われるが、ちょっとハードル高すぎて。もっと行きやすい所から行くだろうから。