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なんだろう、よく分からないんだけど、良くも悪くも日本の今の教育観とか学歴社会とかっていうのは、福沢諭吉の「学問のすすめ」に端を発しているんだなと思った。
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先生に薦められて呼んだのですが、やっぱり本当に立派な考えのもとにしか生まれない本だと思いました。勉強になりました。
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〜「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。著名なこの一文で始まる本書は、近代日本最大の啓蒙家である福沢諭吉(1835‐1901)が、生来平等な人間に差異をもたらす学問の意義を、平易な文章で説いた17の小篇からなる。西洋実学の批判的摂取をすすめ、明治の人心を啓発したその言は、今日も清新である〜
ご存じ、1万円札の人の書です。読むまで誤解していましたが、天は人の上に…とは、みんな平等って事ではなくて、生まれつきの差はあるが、学問は平等である。悲観する前に勉強しろ。努力しろって事だったんですね。後はぬるま湯に浸かるなとか、したことのないことを批判するなとか、そんなことする前に勉強しろとか、そんな感じで、ちょっと説教クサイ部分もありましたけど、共感できる部分もありました。正直、読むまで、福沢諭吉ってあまり好きじゃなかったんですか、読後、印象が変わりました。
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「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ。サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ,カシコキ人アリ,オロカナル人アリ,貧シキモアリ,富メルモアリ,貴人モアリ,下人モアリテ,ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」(天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ)この冒頭に頭を殴られたような気持ちになりました。学問は平等だ。人間は学問をしなければならない。学問をしないものが貧しいのは当たり前だ――厳しい意見ですが確かに一理あります。胸にグサリとくる言葉が多くて恐縮しました。
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金持ちになりたかったら勉強しろ!人は生まれながらにして、貴賎貧富の別はないけれど、学問したかどうかで別れる!
自由とわがままの違いは他人に迷惑をかけるかどうか!
学問とは実のないもの、難しい文字や学問ではなく、実のあるもの、計算や天秤や帳簿のつけ方とかをいう!
もともと初編だけのはずが14編までになった。
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はじめて読んだとき、心を揺さぶられた。あの感動は忘れられない。自分の中にあった言語化できていなかった部分が共感したんだと思う。すごい、なぜ、日本のお札の顔が一万円札だけ変わっていないのか納得。読むべし。
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この歳になるまで、「学問のすすめ」と言えば、文字通り、国民に対して学問を推奨したものかと誤解していた。お恥ずかしい限り。欧米列強のアジア植民地化政策に対し、国家の独立の為に個々人が学問を通して独立の精神を磨き、対抗していくべきというナショナリズム満載の国家論を説いた本だったとは。
現在読んでも全く色あせないこの内容を、江戸時代が終わって4〜5年で書き始めたのも驚きだが、その時の彼の年齢が30代だったというのも更に驚き。キーワードは「独立自尊」。
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さすがに名著と言われるだけあって,読み応え万点。5つ星です!
本書は,学問しなさい,ということだけを主眼に書かれているわけではない。
天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずというのは有名な書き出しであるが,賢人と愚人の違いは学ぶか学ばないかの違いであるといっている。ここぐらいが学問しなさいと言っている箇所である。また,学問とは文字を読み理解し納得するのを学問したと言うのではなく,それを今の自分の環境に置き換え,行動を起こすことが学問であると言っている。
自由についても論している。自由と言っても,わきまえを知らなかったらそれは我儘だと。自分のお金で酒色・放蕩にふけるのは自由というのに似ているけどそうではなくて,その人は色々な人の手本となって世間一般に伝播していき,人の妨げをなすので,自分の金と言えどもそれは罪であると。
その他,国が自由独立できるのは個人が自由独立の意思を持っていないといけないとか,法律は例え親がころされたからと言って敵討ちをしてはならず,法の裁きによりなさいとか,人との交際の中で一番害があるのは怨み,望みであるとか,保護と指図はバランスが取れていないといけないとか。。。
ぜひ読んで見てください。繰り返し。
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福沢諭吉の『学問のススメ』をよんでショックをうけた。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言えり」から始まる130年前にその当時の日本人を啓蒙するために書かれたこの本、いま現在読んでもその指摘は当てはまるように感じたからだ。当時、明治5年の日本と西欧を比較し、なんの根拠もないものを事実であるかのごとく振舞う漢学者を批判している。そして西欧の実学(科学)に基づいた教育の必要性を主張している。
今の日本はどう変わったか。漢学者にかわって力をえた蒙昧なメディアは大衆を扇動し、大衆は与えられた情報を自分で精査ことなくメディアに踊らされている現状。曖昧で独立心がなく人と人がもたれあっている関係も130年たった当時から今はどれだけ変わっているんだろうか。福沢諭吉はいまだに僕らにメッセージを送り続けている。
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格差社会が当たり前だった時代に国民は平等に学問を身につけなければならないと言っていたり、先見の眼があるのはさすが。
たしかに一人一人が自分の国っていうある種の責任感みたいなものを持っていないから今の日本は弱いんだろな。
でもやっぱり空想論っていうか・・・それが出来てれば苦労してないよっていう感じの所はあるかな。
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役に立たん学問よりも、役に立つ学問をしろ。
そんな感じで、机上の空論を否定する福沢諭吉。
「文字を読むことのみを知って物事の道理を弁えざる者は、これを学者と言うべからず」
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文語体で書かれており、現代では使わないような言葉も多いので、もし原文だとハードルが高く感じられるようでしたら、現代語訳版をオススメします。 http://booklog.jp/users/a-k-i/archives/1/4480064702
以下、要約と感想です。
『学問のすすめ』を読んで
ここ30年変わらぬ一万円札の顔が、明治の世に書いた一冊の本。その言葉は現代人の心にも響く。冒頭の一文はあまりに有名だ。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。 人は生まれつき平等であることを唱えた言葉だ。けれども、実際には人間は平等でない。人の貴さ、富みは千差万別であり、その違いを生むのは学問である。だから学問をすすめるのだ。現代人の多くは本のタイトルと最初の一文を知ってはいても、なぜ学問なのかということまでは知らない人が多いのではなかろうか。ここでいう学問とは実学のことだ。国民が西洋の実学を批判的に学び、独立の精神を持つことができれば、この国の政治も安定し平和に暮らす事ができる。福澤は、自分の身のまわりのことに満足せず、世のために働くことが学問に励む者の勤めであると主張している。
本文は文語体なので私たち現代人にとっては読みにくく感じる面もある。しかし、言葉に勢いがあり、学者だけでなく当時の国民にも広く読んでもらえるよう平易に書かれている。分かりやすい例え話をふんだんに盛り込んであるので、2世紀の時を超えて直接語りかけてくるようだ。そして、孔子や孟子の教えさえも批判するなど、痛烈な言葉が多い。
中でも私にとってショッキングだったのは、ただ働いて衣食を得る事は「禽獣に劣ること莫らしむるのみ」と断じていることだ。人が衣食住を得るところの99パーセントはすでに自然が造り上げてくれていたもので、人が加えた力はたったの1パーセント、道に落ちていたものを拾う程度の力にすぎない。自立して生活する事は「蟻の所行」で、それに満足している人は「ただ蟻の門人と言うべきのみ」だそうだ。読んでいて心がズキズキする。たしかに言われてみれば、人が衣食住を得て満足するのであれば、人間の生涯はただ生きて死ぬだけかもしれない。そういう人間しかいなければ、世の中は今も昔も変わらないだろう。私は「生きる」ということを考えたときに真っ先に「生計を立てる」ことを思い浮かべた。生計を立てて、家族を養いまた新しい命を育てることが自分にとっての「生きる」ことだとなんとなく考えていた。働いてお金を得て生活を送ることももちろん大切なことだが、それが実に初歩的なことであることを突きつけられ目が覚める思いがした。
福澤は戦争が終わり、人心の変動が続く「今」こそ学問に励む好機だと訴えている。時代は変わったものの、私たちにとっての「今」も過去の文明の末にある「進歩の先鋒」に立っていることには違いない。諸外国の文明に追いつかんとする明治の世は、グローバル化の波に乗り切れない現代日本に重なって見える。学問に励む価値は、時代を経ても衰えていない。
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読みにくい。当時の子供に読みやすかった作品がここまで読みにくいのは時代の流れ。
読みきってないのは秘密。何れ時間があるときに読破する予定。
途中まで読んだ感想としては、非常にタメになった。という誰でもいえるような感想。
でも、読んでみれば分かる。その凄さが。
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『自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。』など、学問の重要性を中心に、生きていく上で学ぶべきことが書かれている一冊。
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学問に対する心構え・とらえ方に一石を投じる本。
「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」という有名な出だしから始まる本。
人は生まれながらにして根源的には同じであるが、結果的に差がつくのは学問の量というわけ。
いわゆる「社会的地位」の「高い」といわれる仕事、これは「高貴」だからつけるのではなく、学問の積み重ねによるもの。
つまり医者・学者・政治家・官僚・大企業の経営者・弁護士…確かに勉強してるわな。
そしてここでいう「学問」とは、人生に彩りを添える文学のようなものだけではない。
当時「学問とは教養、もっといっちゃえば机上の空論」とみなされていたのだが、
(田舎じゃ「百姓が字なんか覚えなくていい」って言われてたみたいだしねw)
諭吉いわく「実生活で役立たなければ学問にあらず」と。
だから当然、百姓であれ商人であれ、学問は必要であると。
ここでもう、学問とは何かという今までのとらえかたに変化を加えたねー。
面白いのは政治に対するとらえ方。
文明を進めるにあたり、政府が政策を打ち出しているが、
国民1人1人の意識が変わらなければ、文明開化などしないのではないかということ。
(「タコツボ理論」:友成真一「問題はタコつぼではなくタコだった!?」参照 と、まんま言っていることが同じ…)
そして物事を成し遂げるには、政治家だけに任せてはいけない、国民1人1人が国のために何かをしなければ。と。
なぜなら職業は違うけれど、みな日本に住む人間なのだから…と。
あと「独立」についても随分書かれているけれど、ぐさっときたのは
「衣食住を自分でまかなっても、独立とはいえない」ということ。
自分の餌をとってこない動物なんていない。
だから自分の食いぶちを稼いでいるだけで満足しているうちは、別に悪くはないけれど、蟻と一緒である・・・と。
したがって、人間であるからには、世に何かを残すくらいでなければ「独立」といえない、と。
はー、これ脳天打ち砕かれたねー。
自分の食いぶちを稼ぐのは蟻と一緒って(笑)
生きている証を時代に打ちつけたいよね・・・・
また男女平等について、これが書かれた時代を考えると、諭吉はやはりとても合理的な人だと思う。
根源的には同じ人間なのに…と女七大学を批判。
力の強い者が弱いものを屈伏させるのはおかしいよね!!
まだまだ書きたいけど、続きはぜひ本物を読んでください!笑