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現代社会における〈アイデンティティの危機〉を生み出したのは、実はその構成員が自己を持たない道具となり、彼らのアイデンティティが会社(あるいはほかの巨大な官僚制組織)の一員となることにかかっている、という事実である。
私が私の持っているものであるとして、もし持っているものが失われたとしたら、その時の私は何者なのだろう。
私はどろぼうを、経済的変動を、革命を、病気を、死を恐れ、愛を、自由を、成長を、変化を、未知のものを恐れる。
かくして私は慢性の憂鬱病にかかり、健康を失うことだけでなく、持っているほかのいかなるものをも失うことを恐れて、絶え間なく思いわずらう。
防衛的になり、かたくなになり、疑い深くなり、孤独になり、よりよくわが身を守るためにより多くを持つ要求にかりたてられる。
持っているものを失う危険から生じる心配と不安は、ある様式には存在しない。
私の中心は私の中にある。私のある能力と、自らの本質的な力を表現する能力とは、私の性格構造の一部であって、それを左右するのは私である。
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生きるということを「持つ」ことと「ある」ことから論じたもの。
哲学っぽいものの中では読みやすいと感じた。
意識したことはなかったが「持つ」という様式は自分自身の中にも深く息づいていることが実感できて怖くなった。
これからは自分の中の「ある」様式にもきちんと目を向けたい。
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「愛するということ」に感銘を受け、こちらも読了。表題訳まで昇華して理解できなかった。
生きる上での姿勢を大きな二軸で捉え、社会の変革の可能性を考察するが、何か核を掴みきれない。
自身がもっと能動的に読書する姿勢が必要か。
◯持つ様式とある様式の違い
・名詞的か動詞的か
・物か経験か
・私有財産とともに発達した持つ様式
・真の能動性で発揮するある様式
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生きるということ
愛するということより全然難しかった。
〇学び
“持つ“生き方と“ある“生き方の二つがある
持つ生き方は財産とかを所有して、それで安心感を得ている
ある生き方は、何にも依存せず、ただ自分の中で自分として自立している。
孤独を受け入れ、人に与えることによって、一体化しようとする生き方。
ある生き方は、とても生産的で能動的である。
例えば、持つ生き方の生徒は、授業中、先生の板書をメモして、記憶に止めようとする。
ある生き方の生徒は、その問題について自分の中で思考を巡らせ、先生から得た知識によって、さらに思考が深まる。新たな行動が生まれたりする。
持つ生き方の人は、芸術でも、それを買って保有しようとする。写真に収めようとする。
ある生き方の人は、それをそのまま楽しみ、経験する。自分の中の感覚を伴って経験する。
ある生き方の人は、自分の生き方を形式化できない。言語化すると何か違う物になる感じがする。だからこそ、絵や詩や音楽は、すごい。それに近いものを表現するからすごい。
持つことで安心しない。持っている物を失ったら僕らはどうなるんだろう。
純粋に持つことを目的とせず楽しむ。
〇考えたこと
ある生き方をしている人は何を考えて生きているんだろう。
ー聞いてみよう。
どうやったらなれるんだろう。
ー愛するということにも書いてあったけど、結局孤独に慣れる。
自分自身を愛する。相手に与える。与えて与える。
感謝を口にする。とかそんなところから始めよう。
〇やる事
孤独に勝つ!
ーユーチューブ消した
消費に逃げない!
ー自炊再開した
健康を大事に!
ー筋トレ始めた
成長するぞ!向上心を維持する
ー読書を毎日!本棚と机の上を綺麗に保つ。
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音楽雑誌のインタビュー記事の中でエーリッヒ・フロムの名前が出てきたので読んでみました。邦題よりも原題の「To Have or To Be ?」のほうが内容を想像し易いと思いました。一番理解できたのは第二章 日常経験における「持つこと」と「あること」、他の章は正直、私には難しい内容でした。
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タイトルから真っ先に感じたのは仏教的な内容なのかな、という印象で、確かに本書の中にも鈴木大拙の引用がありましたが、むしろ中世ドイツの神学者であったマイスター・エックハルトを多く引用しています。私はエックハルトについてほとんど知識がなかったため、今回エックハルトと仏教的な思想との共通点に大変興味を持ちました。フロムは2つの生活様式を本書の中で一貫して紹介し、人間は「持つ様式」から「ある様式」へと生まれ変わらなければならないことを主張しています。持つこと、それはお金であり、地位であり、何かを持っていることで自分を確かめるわけですが、これは仏教がたしなめているように、終わりがなく、しかもいつまでも欲望が満たされずにむしろ不満が強まる生き方です。それに対して、フロムによれば「ある様式」とは静的な状態ではなくむしろ変化、動的な状態を指します。自分の備忘録のために、フロムが述べている例えを簡単にまとめてみます。
<学習すること>
「持つ様式」の人は学んだことを固守し記憶する。知識の獲得を重視する。「ある様式」の人は学習することに対して能動的、生産的な方法で受け入れ、反応する。新しい疑問、観念、展望が頭の中に生まれる。
<想起すること>
「持つ様式」の人は1つの言葉と別の言葉が機械的、論理的に結合される。「ある様式」の人は能動的に言葉、観念、光景、絵画、音楽を思い出す。
<会話すること>
「持つ様式」の人は自分が持っている知識を頼りに会話をする。「ある様式」の人は自我に妨げられず、自発的、生産的に反応する。あるという事実、生きているという事実、そして抑制を捨てて反応する勇気があれば何か新しいものが生まれるという事実に頼る。
<読書すること>
「持つ様式」の人は小説を最後まで読んだ時に、その物語を持つことができる。しかし小説の中の人物を理解したり、人間性への洞察を深めたり自分自身についての知識を得たわけではない。哲学書についても「持つ様式」の人は、誰が何を言ったかを頭に詰め込み、それを正確に述べられることを目標とする。「ある様式」の人は、本を読みながら考える。著者が気づいていないこと、その背後にある当時の価値観、著者が間違っていることなどを考える。
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たくさん所有していることが素晴らしいことだ、という価値観から自分を解き放ってくれた初めての本。
印象に残ったところメモ。
- 物事を書き留めることはそのことについての想起能力を弱める
- 持つ人物が持っているものに頼るのに対して、ある人物はあるという事実、生きているという事実、そして抑制を捨てて反応する勇気がありさえすれば、何か新しいものが生まれるという事実にたよる。彼らは持っているものに対する不安な気がかりのために自分を押し殺すことがないので、会話の際には十分活気付く。
- 読書は著者と読者の会話
- 子供にはある権威が必要。子供は、成長する子供に努力を期待しながら、自分はその努力をしていないことを自らの行動によって示す人々からの、圧力や放任や過保護には反抗する。
- 日常生活で使う物、財産、儀礼、善行、知識、思想、それら自身が悪いのではなく、それらに執着し、それらが自由を損なう鎖となるとき、それらは私たちの自己実現を妨げる。
- 私たちがあることこそ実在であり、私たちを動かす精神であり、私たちの行動を推進する性格である。
- 私の個人性の全ては決して理解されない。なぜなら2人の人間は全く同じではない、同じ経験、人生の道を歩んできたわけではないから、感じ方が違う。
- 利己的な態度が優位を占めた結果、私たちの社会の指導者は、人々を動機つけることができるのは物質的利益の期待、すなわち報酬のみであり、連帯や犠牲への訴えには人々は反作用を起こさない、と信じている。
- 時の要請にそむく以外には何もしないことによって、私たちは自由であるという幻想をいだくが、実際には時の牢獄から仮釈放されているにすぎないのである。
- 彼らが自己の哲学を当然のことと考えているのは、ただそれが彼らにとって常識にすぎないからなのであって、彼らは自分のすべての概念が一般に受け入れられた準拠枠に基づいていることに、気づいていない。
- 人間は本能による決定を欠く、つまり脳によって進みうる多くの方向を考えることが可能なので、私たちに必要なものは全面的な献身の対象、価値の基礎である。
- 売ることと交換すること、消費することを重要視する市場的性格においては、あらゆる関心が欠如し、情緒的な絆、つまり恋人、友人に無関心になる、物以上になり得ない。
- 人間の性格は次の条件が存在すれば変わりうる。私たちが苦しんでいて、しかもそのことに気付いている。私たちが不幸の原因を認めている。不幸を克服する方法があることを私たちが認めている。不幸を克服するためには、生きるためのある種の規範に従い、現在の生活習慣を変えなければならないことを、私たちが容認している。
- 持つということは、現代産業社会における基本的な存在様式であって、私たちは物を持つことを自己の価値、同一性、あるいは存在のあかしとすることに慣れてしまった。これらは限りなき生産と消費という悪循環を生み出す
- あるということは、何ものにも執着せず、束縛されず、変化を恐れず、たえず成長すること。他社との関係では、与え、分かち合い、関心をともにする生きた関係。これは生きることの肯定。
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1694183488919118286?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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やっぱフロムの描く言葉ってすごく難しいです。
なかなかスゥーっと理解が追いつかない難しい書き方で、生きるということは、難しいなって思いました。To Have or To beという2軸で書かれています。よりよく生きるには…。今の僕にはより“良く"の良くがわかりません。 今この瞬間を思いっきり生きていてそれでいいじゃん。それがいいじゃんって思いました。 この本は、僕の友達から、おまえ生き方下手だけど、本当は1番ありのままで生きてるのがおまえなのかもな!下手くそな人生だけど俺は嫌いじゃないよって言われて誕生日にもらいました。 うーーん。 生き方が下手。 何も言えないけど、俺は俺のやり方で生きるということ。を今この瞬間を思いっきり生きて。パッとある日自然に何も誰も居なかったよーに死んでいきたいと思いました。
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訳者が指摘するように、まだ同性愛が逸脱・異常と見なされていた時期の仕事ゆえの難点は無視できない(あるいは、まともに恋愛できないと本書で指摘されるサディストやマゾヒストに関して「彼らの」声を代弁する作業もまた必要だろう)。だが、それを踏まえてもいまもなお読ませ、考えさせる強度を備えた仕事であると唸る。個人的な経験に属する愛をここまで一般化・普遍化して平たい図式として展開し、そこから現代社会がはらむ異常・病理まであぶり出すその手つきに舌を巻く。そして、そんな時代においてこそ自分の実感に誠実に向き合う必要がある