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投稿者:gaco - この投稿者のレビュー一覧を見る
フロムの愛するということを読んだ流れで、こちらの本を購入しました。あることと持つことについて書かれており、フロムの時代から問題として書かれていたことが現代になっても解決されずに残っていると感じました。
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愛することは技術。
人を好きになる、恋愛関係になるというのは想像を越えるほど高尚な行為であるということを学びました。
自分を愛する、自己と向き合うことからはじめていきます。
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『生きるということ』読了。
読んでからの感想になるが、多分フロムを読むのに最初の本としては微妙なのかもしれない(晩年の本に該当すると思う)。新装版が出ていたから買ってみた。
表題は'to have or to be"であり、主題として、人としてのアイデンティティを「あること」に重きを持つか、「持つこと」に持つかについて論じている。
"究極的には、私はOを持つという論述は、私がOを所有することによって私を定義することを表す。主体は私自身ではなく、私は私が持つものである。私の財産が私自身のアイデンティティの感覚を構成している。"
本来人間は「持つ様式」と「ある様式」の両面を有しており、社会の影響を受けこのどちらかを優勢すると主張する。
そして(フロムがいうには)人間として「あること」を追い求めることがこれからの時代にあるべき姿である、という。
社会というものが個人の価値観を規定するということに大いに賛同するが、「持つこと」と「あること」というのは果たして対立するもので、どちらかからどちらかへ「移行」するものなのだろうか。どちらかの生活を選択しなければいけないというわけではなく、どの人もこの二つを行ったり来たりしているのではないかなぁと思う。
例えば、フロム自身が本書にてのべているが、学問において、持つこととは知識として「所有する」ことであり、あることとは知識に対峙し「思考する」ということである。しかし、「思考する」ことは知識の「所有」から生じるものであって、その意味で所有と思考はループの関係になる。
どちらにしても、最近自分自身が「走らされてるなぁ」と思うことが多くて、その意味で「あること」に身を置ける人間になりたいなぁと思ったりしたのであった。ちゃんちゃん。
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https://www.read4action.com/report/detail/?id=1961
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自分は、子育てと仕事の狭間で心の調子を崩しているが、ここ半年自分と向き合ってきた中で、考えを方向づける手助けになった。
社会学や心理学は門外漢なので、専門的なところを除いた文章から読み取ったことをメモする。
今の消費社会において、人々が自分を定義する術が『ものを”持つ”』ことに傾倒していると著者は主張している。これを"もつ"様式としている。社会的地位や権威、周囲からの評価、もっている家や車や服等々、己の内部から生まれたものではない"もの"が己を構成しているのが、今の資本主義社会に生活する人々である。消費をすることは一時的な満足感を得られるが、すぐに飢餓感を覚える繰り返しになる。それに疲れた人は、最終的には消極的な死を望むようになる。
ここまでで、自分が育休を挟んで仕事に戻ったときに感じた虚無感の正体を知った。仕事とその評価が自分を構成していて、それを除かれたときに自分を構成する核を見失ってしまったのだ。
この"もつ"様式と対比して著者が述べているのが"ある"様式である。これは自分の内部にある能動性によって生きるということである。外的要因によって自己を形成するのではなく、自分がどうありたいのか、常に自分を探り成長していくこと。周囲の人々を愛して、色々なことを分かち合うこと。言うは易しというのはことことだ!と思うけれど、たしかにこのように生きることが出来たら、自分という存在を肯定出来ずに苦悩することはなくなるかもしれない。そしてこの成長はどこかに到達すると思わないことだと著者は言っている。到達したいというのは結局のところ欲望=持つに帰結するためである。到達するか分からないけれど、日々成長を望むのだ。このあるという様式は現代のミニマリストに通ずるところがある。
つまり、人と比較して何を持っているか持っていないかを気にするなということだ。人より何かを多く持っていようが少なく持っていようが、それが自分そのものを変化させることはなく、自分がどうありたいかどうあるべきかを常に考え続けるのが、生きるということであるという内容だ。
難しい話も多く、読み始めて敬遠したくなるかもしれないが、ゆっくり自分に落とし込みながら読むと、お、これは!と思える部分が出てくるはずだ。働くことに疲れた、生きることを休憩したい社会人や、今の社会をあまり受け入れられない人におすすめである。
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所有から自由になり、ただ今あることに集中。年間保障所得の導入にも言及されており、驚きのオリジナル1976刊。
TO HAVE OR TO BE?
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■ひとことで言うと?
いかに「ある」かを重視する社会への変革が必要
■キーポイント
・人間の2つの存在様式
→持つ存在様式:所有することを重視(自己=自分の所有物・消費物)
→ある存在様式:分かち合うことを重視(自己=世界の中の一なる存在)
→社会構造(社会の価値・規範)がどちらの様式が優位になるか(どちらにより価値を見出すか)を決定する
・「持つ」と「ある」
→持つ:受動的・消費的活動
→ある:能動的・生産的活動
・2種類の「持つ」
→存在的な「持つ」:生物的必然(生きるために必要な「持つ」)
→性格学的な「持つ」:社会的影響の産物(快楽としての「持つ」)
・2種類の「能動性」
→外面的能動性=疎外された能動性:外部から強要された能動性(「自己」の不在)
→内面的能動性=生産的能動性:内的欲求に伴う能動性(「自己」の発露)
・社会的性格:個人の精神的領域+社会=経済的構造との混合
→社会的性格≒存在様式の変革が社会構造の変革をもたらす
・社会変革の必要性
→「徹底的快楽主義」「自己中心主義」の社会構造が、心理的・経済的危機を招いている
→ある存在様式への変革・強い意志による社会変革の推進・社会活動への能動的参加によって、現在の社会構造を変革していかなければならない
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ようやく読了。けっこう時間がかかってしまった。
1775年に書かれた物とは思えない位、現代の問題が指摘されている。
大会社と政治の関係、
資本主義と貧困・労働者の問題、
1番興味ありありで読んだ部分が、家父長制の問題。
特に日本は根深い問題で、未だに夫婦別姓が認められないし、同性婚も認められない。
女は男の所有物で支配されるものという考え。
男女のことだけだと考えるのは古くて、人種差別にも波及さてれしまう考え方って事を認識できないといけないと強く感じた。(例:黒人奴隷制の開放、黒人軽視、アジア人軽視、ユダヤ人虐殺etc)
支配できる権利、支配される立場なんて物は無い。けど、「持つ」に固執していくと人をも所有したがってしまう。
心理学、経済学、歴史学の視点からも「持つこと」と「あること」について書いてあって、理解が追いつかない所も多々あった。
年月が経ったらまた読みたい1冊。
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・愛とは無条件に与えること
・自分から愛さなければ愛されない
・自己中心的な考えを捨てること
・自分を愛し過ぎると他人を愛せない(自己研鑽も自己愛に入る)
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フロムの本は、「愛するということ」とか、この「生きるということ」など、なんか若者向けの「生きる生きるべきか」という精神論みたいなタイトルが多いが、内容的には、そういうものではない。
フロムは、フロイトの精神分析とマルクス的な社会分析を統合して、個人の心理を、その個人だけの問題ではなくて、社会的な問題との関係でアプローチすることを始めた人。
この本の原題は、"to have or to be"で、所有することと存在すること、みたいな感じかな?
ここから推察すると、所有という概念をマルクスを援用しながら、資本主義や市場経済との関係から批判的に分析していくだろうし、またその分析にはフロイト的な精神分析、超エゴなどが資本主義的なものから構成されている、みたいな話しにもなるであろう。
基本的には、そんな話しで、1976年にでたこの本は、そこに冷戦下での核戦争の危険性や石油ショックやローマ会議の報告も増えた持続可能性の話しも入ってくる。
この辺のところまでくると、先日、読んだ斎藤幸平さんの「大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝」が思い起こされてくるわけだが、内容的にもかなり近いものがある。フロムは心理学者なので、マルクスの読解も経済主義的なものでなく、その先にある人間の解放みたいなところをおさえているから、話が似てくるのは必然かな。
また、今日の非人間的な社会における官僚的な人間の事例としてアイヒマンもでてきて、アーレントの議論を彷彿とさせる。
ここまでは、ある程度、想像されるところだが、驚きは、この本では上のような話は後半のほうで出てくる感じで、前半は、ユダヤ教、キリスト教(とくに神秘主義的な傾向をもつもの)の解釈や仏教や禅の解説をかなり丁寧にやっていること。
フロムは、晩年、宗教的なものの研究に力を注いでいたというのは知っていたのだが、なるほど、その成果がここに現れているのか。。。。基本、フロムは無神論なのだろうが、ヒューマニストなんだろうと思う。で、その究極は宗教の本来の教えとも統合できるようなものだとする。
最後は、社会を変革するための諸々の提言がなされて、この本は終わる。今読んでもその重要性とラジカルさは低下するわけではない提言だな〜。
やはりもはや心理学という世界を超えて、人類が生き延びるためのフロム渾身の思考と著作だな。今読むと、ところどころ引っかかる議論はあるものの、これはもっと多くの人が読むべき本だな。
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「To Have」(持つこと) と「To Be」(あること) の対比を通じて、(よく) 生きるということの本質について考えさせられる。
本書では両者の様式の違いが日常生活、産業構造、宗教、そして精神分析的側面から丁寧に解説されている。「(持つこととあることは) 全ての人間の中に矛盾しながら混在し、社会構造 (社会の価値観と規範) がどちらを優位にするかを決定する」「『人間の性質は変わらない』という精神分析的な常識は、性質の形成に影響を及ぼす外部環境が変わらないことを前提にしている」というフロムの主張から一縷の希望を感じた。私たちは、日々の生活を社会構造 (= 経済的構造) に暗に定義されて過ごしているが、この社会構造自体を作り出しているのは我々一人ひとりであるという事実を忘れがちである。ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」の如く、変革は私たち自身の能動性に委ねられている。
最終章では「人間の性格が、持つ様式の優越から、ある存在様式の支配へと、根本的に変わることによってのみ、私たちは心理的・経済的破局から救われる」という前提のもと、いくつかの具体的な提言がなされる。このような「意識変容」は抽象的な議論になりがちに思うが、本書における「陪審員」のアナロジーは腑に落ちた。ここでは、彼らの意思決定内容に高度の洞察と客観性が示されるのは、「関連する全ての情報を与えられ」(情報の透明性)、「長い討論の機会を持ち」(オープンで民主的なプロセス)、「下した結果が生命や幸福に影響を与えることを知っている」(責任意識) ことが能動性を生み出すと主張されており、ビジネス的シチュエーションにおいても十分に実践的な内容であると感じた。(が、その先にある「あること」を忘れてはいけない)
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70年代の元祖脱成長論のまとめ的一冊。
イリイチ、シューマッハー、マンフォード、ラトゥーシュ、バルファキス、斎藤幸平、水野和夫、広井良典、山口周などの産業主義批判や脱成長論を展開する著者らの書籍に共感する人たちにオススメ。
最後の章にかけては上述の著者らと比較しても、我々人間が達成しなければならない目標について箇条書きで分かりやすく示してくれている。
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社会と価値のあり方を「もつこと」と「あること」の二つの視点から掘り下げ、社会と人間をより「あること」に重点を移すべきことを訴えている。一貫した視点で、今の社会が「もつこと」に大きく傾いており、「あること」に変革しなければ破滅しかないことを結論づけている。
マルクス、エックハルトを多く引用している。
細部にわたって、示唆に富む書であった。
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人を愛するためには、ある程度ナルシシズムから抜け出ていることが必要であるから、謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。
愛は受動的なものでなく能動的なもの。精神的に未熟だと受動的なものだと勘違いしてしまう。与えることが愛。
自分を信じているのだけが、他人に対しても誠実になれる。根拠のない自信ではダメ。愛に関して言えば、重要なのは自分の愛は信頼に値するものであり、他人の中に愛を生むことができると信じること。
人は意識の上では愛されないことを恐れているが、ほんとうは無意識の中で愛することを恐れているのだ。
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原題は"To Have or To Be"
観念的で難しく、なかなか読み進められない
「問題がある」と「I have a problem」の違いか?
捉え方や心の持ち方か?
と思いながら、やっと数ページ読んだ