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伊吹作品2作目。美しく読みやすい。読みながら脳内に映像化されたものが巡っていく。エピローグで主筆の想いが巡りめぐって、ハッちゃんに届いた時には涙が止まらなかった。先人あってのこの世、と改めて思う。
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昭和12年〜20年の戦争真っ只中でのお話。当時の状況を出版社の目線で見るというのは新鮮でした。主人公の波津子は謙虚でひたむきに生きていて、応援したくなるような気持ちになります。また、物語のいろんな場面で胸にグッとくるシーンが描かれていて、波津子や他の登場人物の言動に心掴まされます。戦争を生きた人たちの心の暖かさを感じました。
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久しぶりの星5つ。古き良き出版業界の様子が戦争によって環境が変わって行くが、大切にしているモノは変わらない、業界の矜持のようなものを感じた。昭和初期の洒落た言い回しは、その声が聞こえてきそうな臨場感があった。印刷業界に身を置く自分にとっては、言葉も馴染みがあって親近感も覚えた。
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乙女の友。その一冊に携わった多くの人が戦禍に巻き込まれながらも、彼方の友へと日々の美しさや楽しさを届けるために奮闘する物語。ハツコが幼くして夢破れた後、ほんの働き口として訪れた出版社。しかし、有賀主筆をはじめとした個性豊かな面々に支えられて、作家そして主筆へと成長する。
美しくて、面白くて、楽しいものを届けるという情熱がたまらない。様々な作家先生と編集部員が織りなすてんやわんやの日常の中で、少しずつ成長する主人公に胸が熱くなる。次第に戦争が影を落とす中で、有賀とハツコが離れ離れになった時、そして時を超えてまた通じ合えた時、人の想いや情熱は簡単には途絶えることはないと思えて感動した。
ちなみに私の推しキャラは史絵里さん。最後の満洲引き上げのエピソードでもまた泣いた。
霧島美蘭のかなしい人シーンも名場面。
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出征が決まった時、好きな人に想いを伝えるか?伝えないか?
幼馴染の慎ちゃん、自転車で2人乗りをしたあの少年部員、有賀主筆、、、
みな、とても苦しい。戦争なんて絶対してはいけない。この時代でなかったら違う人生を送れただろうに…
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【少女雑誌の灯す光】
伊吹さんの本を初めて読みました。
時は戦前の昭和。少女雑誌「乙女の友」が大好きで、その主筆とイラスト作家の先生たちにあと蛾れている佐倉波津子ことハツ。あるきっかけで、その主筆のアシスタント、という形で出版社編集部に雇ってもらえることになるのだけれど…
戦争という緊急事態と価値観の大転換の中でのお話。
いろいろ考えさせられた。
「そんな余裕のない状況なら、書物や雑誌など不要ではないですか」
コロナの緊急事態下に問われたたくさんの文化活動の意味。リアルだった。
出版社や書籍に関わる人々はどう影響され、どのような決断を経ていったのか。
違う時代の話。
たくさんの芸名。
おちゃめでカラフル。
教科書や授業では知りえない、生きている人間を感じられた本。
フィクションなんだけど現実でもある、そんな気がするお話だった。
灯台のような雑誌。「暗がりのなかに光をともす存在」。
状況がどんなに難しくなっても、「彼方の友」―全国の読者―との間に自らが課した約束を守り続けるために下す決断の数々。知りえないけれど。そんなことを考えたり。
女性とキャリア。今も男女のキャリア格差は閉じていない。この議論は今に始まったことでも何でもないことにあらためて気づく。主人公をはじめ、昭和前期にも強く生きる女性たちが生き生きと描かれている。
そしてなにより、この本は、ただ昔を書くのではなく、今老人施設で余生を過ごす主人公ハツが、夢うつつの状態の中、過去を回想している設定。
人の価値観に与える戦争の影響は大きい、ってそのあと読んだ村上春樹さんのエッセイに書いてたけれど、断絶があるぐらい、すごい激動の時代を生きてきた人が、今も生きていて一緒の社会にいるってこと、
凄い貴重だし、普段自分は忘れすぎてる、と思う。
本気で想像しないと想像できないことなのだと思う。
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あなたは、「少女の友」という月刊誌を知っているでしょうか?
国内で出版されている雑誌の数はおよそ3,500誌と言われています。そんな雑誌は発売サイクルから週刊誌、月刊誌、季刊誌といったようにその内容に合わせて刊行されるタイミングも異なります。あなたも何かしらそんな雑誌を購読しているのではないでしょうか?そして、それはあなたの子どもたち、そう大人だけではなく子どもたちにとっても楽しみの一つなのだと思います。
そんな雑誌の中に「少女の友」という月刊誌がありました。1908年に創刊され戦後1955年まで少女たちを夢中にさせたというその雑誌は、『川端康成や吉屋信子、堀口大學や中原中也ら錚々たる面々』が執筆陣に名を連ねていました。また、『表紙や挿絵、附録のイラストを描いた中原淳一も絶大な人気を誇った』とされています。
さてここに、2009年に「少女の友」創刊100周年を記念して刊行された『「少女の友」創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション』に『心を動かされた』という伊吹有喜さんが手がけられた物語があります。『「少女の友」の存在をベースにして架空の雑誌の物語を書こうと思い立った』伊吹さん。この作品はそんな伊吹さんが戦前・戦中・戦後と激動するこの国の姿を描く物語。そんな時代に生きた一人の女性に光を当てる物語。そしてそれは、『乙女の友』という少女雑誌の火を守り続けた人びとの壮絶な生き様を描く物語です。
『最近、目を開けていても夢を見る。見る夢は昔のことばかりだ』と『老人施設のベッドで』思うのは主人公の佐倉波津子(さくら はつこ)。『ハツさん、ハツさん』という呼びかけに薄目を開ける波津子に『面会希望の人』が来たけどいつものように断った旨スタッフは説明します。『卒寿を越えたら見知らぬ人が連絡してくるようになった』と思う波津子は『人にはもう会わない』と決めています。そんなハツにスタッフは、『どうしても、これを』と預かったという『小さな紙袋』を差し出します。中から出てきた『赤いリボンが結ばれた、薄くて黒い紙箱』。『リボンをほどくと、手が震えた』という波津子の手から箱は床へと落ち、『なかから小さなカードがたくさん飛び出し』ます。『ゲームの名前ですか?ムーゲ・フローラ?』と拾うスタッフに『ゲーム・フローラ』と訂正する波津子は箱の裏に書かれた『乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作』という『なつかしい名前』を見ます。『私を、見つけてくれた?会いに来てくれたの?』と思う波津子に、『おおい、ハツ公、と、彼方から友の声が聞こえ』ます。
場面は変わり、『おおい、ハツ公』と『幼馴染みの春山慎』に呼ばれて振り返るのは十六歳の波津子。そんな波津子に『来月号の附録だと得意気に』言う慎は、『フローラ・ゲーム』と書かれた紙と、『乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作』という紙を見せます。印刷所で働く慎は『絶対、人に言うなよ』と言いつつ試作品を波津子に届けてくれます。『西洋音楽の私塾』で学んでいた波津子は、『マダムの通いの内弟子として家事の手伝いをしながら、少しの給料と月に二回のレッスンを受けて』いました。『父が失踪』し���『肋膜の病』で療養中の母親と二人暮らしの波津子。そんな波津子は『女学生を対象にした雑誌』である『乙女の友』の愛読者であり、慎がくれる試作品を『帳面に貼り、自分だけの「乙女の友」を作るのが最近の楽しみ』でもあります。今回慎からもらった紙を見て『ゴールデンコンビのだ』と思う波津子。『「乙女の友」の表紙を描いている画家、長谷川純司の抒情画と有賀憲一郎の詩』が組み合わさった紙を見て喜ぶ波津子。しかし、マダムが塾を閉めることとなり、身の振り方を決める必要に迫られた波津子は、ジェイドと呼ばれる画家に騙されそうになるなどする中にいました。そんな中に『父の遠い親戚』である辰也から『ひとつ仕事を紹介しよう。雑誌社だ』と言われた波津子は、それが『大和之興業社、「乙女の友」編集部』と聞いて驚きます。『有賀主筆付きの給仕、小間使い、雑用係』と説明されて戸惑う波津子は、『あの詩を書く人に、あの端正な赤い文字を書く人のために、これから働くんだ…』と思います。『夢みたいで、頭がぼんやりして…』と言う波津子に、『大事な仕事があるんだ』と語り出す辰也は『彼の行動をちゃんと記録してほしい』と紹介に当たっての条件説明をはじめます。そして、夢にまで見た『「乙女の友」編集部』で働きはじめた波津子。戦争の影がちらつくきな臭い世の中を背景に波津子の波瀾万丈な人生が描かれていきます。
“老人施設でひとりまどろむ佐倉波津子に、小さな箱が手渡された。「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった”と内容紹介にそのはじまりが記されるこの作品。そこには、”戦前、戦中、戦後という激動の時代に情熱を胸に歩む人々を、あたたかく、生き生きとした筆致で描”く極めて伊吹さんらしい物語が描かれていきます。第158回の直木賞候補作にもなったこの作品は、文庫本544ページという圧倒的な物量で描かれてもいます。
そんなこの作品は『最近、目を開けていても夢を見る。見る夢は昔のことばかりだ』と『老人施設』で老後を送る『卒寿』を超えた一人の女性・佐倉波津子が主人公となります。〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた5つの章から構成されるこの作品は、そんな今の波津子と、過去の波津子が生きた時代を描く物語がランダムに組み合わされながら展開していきます。そして、そんな物語の読みどころはその過去を描く場面にあります。では、まずは、戦前の日本が描かれる物語から、時代を表す表現を抜き出してみましょう。
・〈第一部 昭和十二年〉
- 『七月の盧溝橋事件から、大陸では事変と呼ばれる戦争の状態が続いている』。
・〈第二部 昭和十五年〉
- 『産めよ殖やせよ。開国以来、富国強兵政策とともにあるこの風潮は最近とみに強くなっている』。
・〈第三部 昭和十五年 晩秋〉
- 『神武天皇の即位から二千六百年目を迎えるという、紀元二千六百年祝典の影響で町は先日まで賑わっていた』。
戦争の足音が次第にハッキリと聞こえてくるようになる時代背景が描かれているのが分かります。間違いなく戦前の状況です。そんな世の中をこんな言葉で語られる光景が支配していきま��。
・『何がパリ、リボン、ボンボン・ショコラですか。あなたがた、恥ずかしくはないのですか。どれも敵性語でしょう!』
・『今年に入ってから、着物の袖は活動的ではないし、虚栄にまみれたものとして、街頭にハサミを持ち出し、袖の切り落としを迫る婦人たちがいるらしい』。
『敵性語』という言葉には強い恐怖心が湧き上がります。この国では一年前まで続いたコロナ禍で似たような光景を目にしました。自粛、自粛、自粛、そして、マスク警察の登場、八十余年経ってもこの国に暮らす人々のベースにある感覚が何も変わっていないことを実感させられた日々には心から恐怖を感じました。この先間違いなく同じことが繰り返されるであろう未来の日本。そう、戦争など二度と起こって欲しくない、そんなことも強く感じました。
・〈第四部 昭和十八年〉
- 『数日前には空襲の際の混乱に備え、上野動物園のライオンたちが薬殺されたという記事が新聞に載っていた』。
・〈第五部 昭和二十年〉
- 『この一月の空襲で銀座、有楽町界隈で亡くなった人の数は二百名近いと聞く。なかでも銀座四丁目、五丁目界隈で上がった火の手の勢いは強く、四丁目の交差点付近は服部時計店を残して、焼け落ちてしまった』。
〈第四部〉で挙げられるのは、有名な『上野動物園』で行われた動物殺処分です。そして、〈第五部〉では、いよいよ激しい戦禍、『東京大空襲』に見舞われる東京の生々しい光景が描かれていきます。ここに時代感を見事に描き出す伊吹さんの筆致が冴えに冴えわたります。伊吹さんは、代表作とも言える「犬がいた季節」や、三部作でもある「なでし子物語」でも複数の時代にわたって変化していく世の中の有り様を物語に上手く表出されていらっしゃいます。とは言え、それらとも違って戦前、戦中という伊吹さんご自身も体験されていない時代の空気感の描写はなかなかに苦労されたのではないかと思います。この作品の巻末には数十冊に及ぶおびただしい参考文献が挙げられていますが、この作品に真剣に向き合う伊吹さんの強い熱意に驚かされもします。しかし、あまりにリアルに醸し出される時代感には、読んでいて、自分もそんな戦争の真っ只中にいるような息苦しさが伝わっても来ます。この作品は表紙が相当にミスリードをしている作品だと思います。この表紙からはこの作品の本筋の部分を全く見ることができません。このレビューを読んでくださってこの作品に少しでも興味を抱かれた方はどうかこの表紙をなかったものとして手にしていただければと思います。
そして、この作品はもう一つの特徴を合わせもっています。これも表紙や内容紹介からは全く見えないものです。それこそが、戦前の雑誌編集者の”お仕事小説”の側面を見せるところです。主人公の波津子は、『尋常小学校』、『高等小学校』を通じて『女学生を対象にした雑誌』である『乙女の友』に夢中になっていました。なかでも『生徒のあこがれは有賀憲一郎の詩と長谷川純司の絵』という中に思いを深めていく波津子。そんな波津子はやがて編集部に勤めることになり、主筆である有賀と深く接していきます。そんな中では当然に編集部のお仕事のリアルが見えてもきます。
・『台割りとは雑誌や印刷物の設計図にあたる目次のような表で、これを作ることを編集者たちは「切る」と言う』。
・『執筆者から受け取った原稿を印刷所に渡すと、数日後に活字で組まれて編集部に届く。ゲラと呼ばれるその刷り物を校閲の目を通してから、執筆者に届け…』
物語では編集部で働く波津子の目を通して雑誌が作り上げられていく行程を垣間見ることになります。今の世であればさまざまなものがデジタルで動いていくのだと思いますが、当然ながら全てがアナログな世界です。また、そんな”お仕事”の世界にもきな臭い動きが見えてもきます。
『雑誌を作りたくとも刷る紙がない。それから今後、当局の覚えよからぬ社や雑誌には紙がまわされない。そうなると完全に干上がってしまうな。兵糧攻めの始まりだ』。
今では考えられないことですが、『すべてを切り詰めて、余力は国家のために』という世の中においては、表現の自由もどんどん制限されていかざるをえません。そんな窮屈な時代にあって、それでも『乙女の友』を少女たちに届けるために奮闘する編集部の面々。”お仕事小説”はもうお腹いっぱいという方であっても、このシチュエーションに出逢われたことはないと思います。戦前・戦中の編集者の”お仕事”を見るこの作品。間違いなくこの作品のおすすめポイントだと思いました。
そんなこの作品は、上記した通り、『卒寿』を迎え『老人施設』で暮らす今の波津子が、〈昭和十二年〉〜〈昭和二十年〉という16歳から24歳までの自らの若き日を振り返る中に展開していきます。そんな振り返りの起点となるものが、今の波津子を尋ねてきたという人物がもってきた『乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作』と箱裏に書かれた『ゲーム・フローラ』の箱でした。そんなきっかけを得て過去を振り返っていく波津子。生活苦の中で女学校への進学もままならず、父親とは連絡が取れなくなり、『肋膜の病』で療養中の母親と二人暮らしの波津子は、幸いにも家の2階に居候していた『父の遠い親戚』である辰也から『大和之興業社、「乙女の友」編集部』での仕事を紹介されます。
『毎日、おつとめして、雑誌を作りたいです』
そんな波津子の思い。当初、雑用係を余儀なくされた波津子でしたが、読者として長年接してきた『乙女の友』への熱い思いが評価される日が訪れます。
『表紙の原画を見たときの驚きと、原稿用紙の升目に字を書いていく楽しさ。気になる連載の続きを原稿でいち早く読む折のときめき』。
『乙女の友』の愛読者だからこそ抱く『雑誌を作りたい』という真摯な思いの先に、それを”お仕事”としていく中での波津子のキラキラした喜びが浮かび上がってきます。
『編集部から送り出した記事が日本中の読者のもとに届き、やがてその反響がハガキに乗って、再び銀座のあの部屋に戻ってくる不思議さ』。
雑誌として送り出した先に一方向で終わることなく『反響がハガキに乗って』戻ってくるということへの新鮮な喜び。だからこそ、自分も『作ってみたい』と心からそんな仕事を思う波津子。
物語は、主筆の有賀や表紙を描く長谷川、そして同じく編集部で���僚として支え合う史絵里などとの関わりも色濃く描かれていきます。まるで波津子を主役とする大河小説を見るかのように展開していく物語は、一方で戦争真っ只中の時代へと向かっていきます。史実に刻まれた通り、『この街は大規模な空襲を受けた』と陰惨を極める世にあって、それでも『乙女の友』を作り続けることに情熱を傾ける主人公の波津子。そして、そんな物語が迎える結末、そこには、戦争を生き抜いた波津子の力強い生き様が強く印象に残る物語の姿がありました。
『昭和の時代ははるか遠く、気が付けばここに一人でいる』
『卒寿』を迎え、『老人施設』で余生を送る主人公の波津子。この作品には、そんな波津子が戦前・戦中・戦後を『乙女の友』編集部で必死に生きる姿が描かれていました。自由が次々に奪われていく戦中の息苦しい描写に息を飲むこの作品。戦前・戦中の雑誌編集者の”お仕事小説”でもあるこの作品。
厳しい言論統制が敷かれる中にあって、それでも『彼方の友』である読者に本を届けようとする編集者たちの熱い思いを見る素晴らしい作品でした。