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天下御免の傾奇者・前田慶次と史上最高の忍者・風魔の小太郎、その一対一の勝負も、そろそろ佳境である。
序盤こそ、小太郎の幻術によって追い込まれてしまった慶次だが、死人であるからこそ、苦境に立っても彼の心は折れず、小太郎が目の前に視えた勝利に対し、一瞬の驕りを抱いた瞬間を見逃さず、一気に五分の状態へ持ち込んだ。
小太郎が強者であるのは言うまでもないが、ハッキリ言って、超接近戦へ持ち込まれてしまうと、肉体性能の差が如実に出てしまう。
逆転できぬ、と悟り、潔く、敗北と死を受け入れた小太郎も見事だが、その小太郎を自分と同類であるがゆえに、命を奪わなかった慶次の懐のデカさにも、ただただ、唸らされる。
けれど、そんな男前の慶次であっても、時には失態を犯してしまう。いや、失態を犯すって言い方は、少し違うな。この(9)では、慶次が、決して、完璧な人間でない、と読み手に示している、そう書くべきか。
これほどの武を誇り、人間的な厚みも見せる慶次であっても、時には、自分に惚れてくれている女性を泣かしてしまう事もある。そこで、自分の気持ちを偽ったり、謝り倒そうとしない点にもまた、読み手は、カッコいい男だ、と痛感させられる。
また、この(9)では、慶次と、彼の朋友である奥村助右衛門の友情が、いかに熱いか、も色濃く描かれている。
親友と“家族”、どちらを取らねばならないか、を真剣に悩みぬき、民を守るために、慶次を自分の手で斬る、その後で、自分も腹を切る、と言う決断に至りながらも、一世一代の覚悟が無駄となる結果となってしまい、声を殺せぬほどの悔し涙を流す助右衛門の姿には、読み手も胸が痛くなってしまうだろう。
そんな苦しみを味合わせた己の愚かさに、慶次もまた、空を見上げて涙が溢さないようにしている。その姿もまた、読み手の胸を締め付けるはずだ。
そして、この(9)の後半では、『花の慶次‐雲のかなたに‐』の中でも、屈指の人気編であろう、佐渡攻めに突入している。果たして、慶次はこの佐渡で、どんな大暴れを魅せてくれるのか、楽しみだ。
この台詞を引用に選んだのは、諸行無常の儚さを表示しているなぁ、と感じたので。
前田慶次が最強であるのは、わざわざ、言うまでもない。
けれど、そんな慶次であっても、変わりゆく時代の奔流、それには抗い切れない。
彼だからこそ、この場所にいられるが、他の者はそうもいかない。
慶次らのような「いくさ人」が己のままで生きていける戦も、これから、徐々に減っていき、生き辛くなっていく。
秀吉の様に、無尽蔵の金を抱き、それをバラ撒いて、人を集められる者が、デカい顔をするようになっていく。
それに対して、慶次が不貞腐れたり、自棄になったりせず、「寂しい」と言う感情を噛み締め、それが共感できる友を大切にする姿は、本当に胸が熱くなる。
慶次でなかったら、小太郎に「忍者としてのプライド」を捨てさせる事は出来なかったんでしょうね。
「これからは、全て、金で動く世の中になっていく。金で動かぬものは、はみだし者さ。世の中から、どんどん抹殺されていくん���」
「寂しいな」
「ああ、そんな時代だ。お主のような男がいなくなれば、俺も寂しい」(by前田慶次、風魔の小太郎)