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今の段階では全読していない。昔、教科書にのっていて忘れられなかった詩が入っているので買ってみた。訳者は違うが。
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。
頷いた。
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読んでいる私がこのなかの「俺」になってしまいそうな錯覚を覚えて気味が悪かったんだけれどもそんなことは思い違いであってただとても面白かっただけなんです
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薄くて安くて貧乏人に嬉しい
下準備に『ランボオの手紙』をオヌヌメします
難解だけど何故か繰り返し読んでしまう作品です
色んな訳を読み比べると面白いかも
原文読めるのが一番なんだろうけど
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この激しさで以って魂をぶつけた詩作をこの後一切捨ててしまった、
彼の絶望はいかばかりだったのかと思います。
しかし詩作に熱中しているときの、
天才的な勘でする言葉遊びを楽しむ子供のようなランボーを想像するのは和みます。
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インテリチックで美の感性にあふれている
悪徳まみれを装いすぎてる感もある
マッチョイズムにたいしてある種の恐れと憧れを抱いているかもしれない
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(2004.05.06読了)(2003.03.28購入)
「新・考えるヒント」のための第2弾、ランボオ。Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud通常、アルチュール・ランボーと呼んでいるけど、フランス語の読みは難しい。
中原中也の詩は一度ではなかなかわからず、読み直すと少しは、心に響くものもあったけど、ランボオはさらに一段と心に響きにくい。難儀なことだ。家の神さんは詩に対する、音楽に対する、感性がなかなか優れているけれど、僕はなかなか大変だ。
著者 ランボオ
1854年10月20日 アルデーヌのシャルルヴィルで生まれる(フランス)
1870年 「酩酊船」
1873年 「地獄の季節」執筆 「飾画」もこの頃
1873年7月10日 ヴェルレーヌによるピストル事件
1874年 ロンドンでフランス語の教師
1875年 ストッツガルトで家庭教師
1876年 オランダ植民地志願兵としてジャヴァ滞在
1877年 サーカス団の通訳としてスウェーデン、デンマークを巡回。
マルセーユで荷揚人足。
1878年 キプロス島の石切り場の監督
1880年 紅海の入り口のアデンとアビシニアのハラルを根拠地として商業取引。
(アデンは、イエメンの都市。アビシニアは、エチオピアのこと)
1891年2月 ハラルで滑液膜炎にかかる
1891年5月 マルセーユへ
1891年11月10日 死亡 37歳
ランボオが生まれた1854年は、ペリーが再度やってきて日米和親条約が調印された年である。1868年が明治元年。1877年西南戦争。ランボオが作品を執筆していた1870年から1875年ごろは、日本では明治が始まったばかりの頃ということになる。
ランボオの作品は中原中也も翻訳しているし、小林秀雄も訳している。感受性ゆたかな人々に訴えるもののある作品なのだろうと思う。
感受性の鈍い僕にはなかなか難儀なことである。インターネットで、ランボーを検索してみたら、ランボーの詩は、青春時代の書きなぐりだというような説もあった。16歳から20歳ぐらいまでの時期で作品の製作は終わっている。
「地獄の季節」の冒頭の作品には「俺の生活は宴であった」「俺は『美』をひざの上に座らせた。苦々しいやつだと思った。」「俺はとうとう人間の望みという望みを、俺の精神の裡に、悶絶させてしまったのだ。」というような文章がある。青春の傲慢とでもいうものであろうか?文章の才能を感じさせるものでもあろう。
「一番高い塔の歌」には、次のような一説がある。
時よ、来い、
ああ、陶酔の時よ、来い。
青春の謳歌であろうか?高らかにうたう。
「飢」という詩は次のように始まる。
俺に食いけがあるならば
まず石くれか土くれか。
毎朝、俺が食うものは
空気に岩に炭に鉄。
実に自虐的だ。これも青春特有の空元気か。
何度も眺めていれば面白いものも見つかるようだ。
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正直前半はそんなに面白いとは思わず。しかしこれが書かれたのは筆者が若干十代のときのはず…『悪の華』ほど毒吐きではないものの、その分若さによる激烈さに溢れてます…
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〈評論の神様〉小林秀雄の訳で有名な本だが、その訳は意外に雑(苦笑)。一つのセンテンスの中に「科学」と「化学」が混在したりしています(笑)。小林というと強面な印象があるが、ランボー生涯の絶唱ともいうべき詩『永遠』の訳を見ると、フラットというかたいへん大人しい訳で意外な感じです。
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時々、突然読む本。
まあそれはそれは酷く才能に溢れた中2病。これとカラマーゾフって、なんとなく同じイメージが湧くんだけどなんでだろう。
これを通勤時間に読むと、得も言われぬ気恥ずかしさを体感できますので皆さん是非。
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2011.01.17-
『地獄の季節』
苦しみを、怒りを、煮詰めて凝縮させて美しい結晶にまで高めた。
全身全霊で詩と向き合い、己の全てをかけて捨て去った。きっと彼は自分の思うとおりに生きたんだろう。そう信じたい。
地獄の夜
明らかに、俺たちはこの世にはいない。何の音も聞こえて来ない。俺の触感は消えた。ああ、俺の城館、俺のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼が来て、……ああ、俺は疲れた。
怒りのために俺の地獄が、驕りのために俺の地獄が、――さては愛撫の地獄が、俺には要ったのかも知れない。地獄の合奏。
疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。ああ、思ってもやりきれない。悪魔め、貴様も道化者だ、いろいろな妖力で、この俺が蕩かしたいとは。よし、俺は要求する、戟叉(げきさ)の一撃、火の雫、いいとも、結構だ。
ああ、また、生活へよじて行くのか、俺たちの醜さに眼を据えるのか。この毒、この口づけ、重ね重ねも呪わしい。この身の弱さと、この世の辛さ。ああ神様、お情けだ。この身を匿い給え、俺にはどうにも扱えない。――俺は隠されている、しかも隠されていない。
火は亡者を捲いて立ち直る。
「飾画」
大洪水後
『大洪水』の記憶もようやく落着いた頃、
一匹の兎が、岩おうぎとゆらめくつりがね草との中に足を停め、蜘蛛の網を透かして、虹の橋にお祈りをあげた。
少年時
Being Beauteous
酩酊の午前
断章
網を鐘塔から鐘塔へ、花飾りを窓から窓へ、金の鎖を星から星へと張り渡し、俺は踊る。
街
道徳も言葉もとうとう、ほんの単純な表現に還元されてしまった。自分を識ろうとする要求を持たぬ、この幾百万の人々は、すべて一列一体、教育を、職業を、老齢を曳いていく。
街々
鐘楼の群れは、人々の想いを歌い、骨で築いた城からは、聞いたこともない楽の音が洩れる。
ランボオは金属や宝石が好き。
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現代文、古文ともに、国語の授業の成績だけは良かった学生時代。が、詩だけは、全く分かりませんでした。
ほんの数冊、詩集や詩について書かれたものを読んでみましたが、やっぱりよく分かりません。その時は分かった気になるけど、何を理解したつもりになったのかすら、すぐに忘れてしまいます。
そんな私でも、ランボオのAube(黎明、または夜明け)を、美しいと感じ、最終行にたどり着くまでの21列を、1段ずつ降りながら、ゆっくりとその世界に浸るのでした。
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ひたすら凄いとしか言いようがないんだけど。
翻訳家の小林秀雄も凄い。
何たるボキャブラリー。
そもそも文学なんて 学生が読むものなんだから、何でも厨二病で片付けるのはどうかと思うよ。
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一読して、煌びやかな言葉ばかりで、イメージし辛いな、と思った。
最後の訳者後記まで読み終わってから、もう一度『地獄の季節』を読み返したら、今度はすっと受け入れることが出来た。
多分、度々読まないと、もっと深く文意を汲めないような気がする。
それはそうと、棕櫚と金剛石の比率が多いような気がするので、形態素解析してみたいと思った。
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早熟の天才ランボー。10代のうちに早くも筆を置き、武器商人へと転身し多くの謎を残して逝ってしまった。
彼の代表作である本書は今も血が通っているようで生々しく多くの人を惹きつけます。
詩人の中でも著しく才能のあった人物です。
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まるで、走馬灯の中に佇んでいるような感覚だ。その激しい流れの中で、様々な感情、情景、景色が躍っている。それは、一種の夢の世界か。いや、いってみればそれは狂乱だ。しかも、決してそれに惑わされている様子はない。幽かに見える芯は、とても閑静としている。その源はなんだろうか。激しい感受性の暴発の中で、静かに時間の中を泳いでいる、もう一人のランボーが居るようでならない。それは、静かにニヒルな微笑みを浮かべ、言葉を紡ぎ続けている。