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なんども恐ろしい、そしてシュールな絵本。
短い文章ですが、その言葉はとても力強い。
侵略者として描かれているウサギ。先住民として描かれているフクロアリクイ。
文明の違い、自然と人間、在来種と外来種のことにも触れていました。
短い読み物なので、何回も見て考えることが大切だと思います。
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この絵本が提起する「問題は時を越えて現代に直結し、今の私たちを形作り、私たちの未来のありようを決定し、そしていつかは私たちが互いを、そして私たちをとりまく世界を、尊重できるようになるための鍵となるにちがいない」
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こんなことを書いたら、どこか?当局とか大きなところから削除要請が来るかもしれないが
私は、
ウサギは中国で、日本が侵略されてしまう話のように思えた。
怖い。
知らず知らずのうちに周りに増えてきて、自然に侵略されてしまう。
コロナだって発生源は中国だし。
領地も(島)取ろうとしている。
中国の企業も、密かに、日本には欠かせないくらい進出してきている。
やばいやばい!
早くなんとかしないと!と読んでいて思った。考えされる本。
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絵力が凄い!大型本なので圧倒されます。ウサギというので愛玩動物をイメージしていると別物が大量にやって来て先住民を駆逐します。色彩豊かな場面からモノトーンに変わるインパクトが大きい。船に乗ってやってくるウサギは白人で、駆逐されるのはオーストラリアの先住民を連想させますが、普遍的で歴史上繰り返してきたサピエンスの生き様です。今日の日本人から見るとウィグルをジェノサイドしている中国人像がダブります。ただ、この物語、ウサギの言い分を聞いていません。
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兎だと 豪州人にはなんか、
土人系でなくて、おおさうぢゃ、
19世紀ころに兎を放ったら
いまだにもっふもふなんぢゃった。
他へパラフレーズできる感じはある。
この作品は二十世紀ころのださうで、原作者へ絵柄を合せたさうであるが、
へー。
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絵はショーン・タン。これが初の絵本作品だそう。
先住民族が、ある日海の向こうからやってきたウサギに生活や土地を奪われていく。絵の中に『チカラ=セイギ』とあり、ゾッとする。
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月イチ絵本。
ショーンタンのデビュー作らしい。
文章は別の人だが。
いやなんというか、まず物語がなかなかにおぞましいのだが、そこにこのショーンタンの絵が加わってとんでもないものになった。
おぞましさ倍増。
スゲえ。
大航海時代のイギリスと原住民か?
はたまた外来種と在来種か?
いやいや、古き昭和生まれの老人と平成生まれの若者か?
色々なものや事を想像出来る。
ウサギが悪者・・・というわけでもないんだよなあ。
ウサギが我々を滅ぼそうとしているというわけではなく、我々が徐々にウサギになっていくんだよなあ。
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当時、24歳でこの絵を描いてる
ショーン・タン、すごいなぁ。。
20年も前の作品だったことにも驚き。
いっさいの古さを感じない世界観でした。
ただ、内容としてはなんとも言えず。
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「美しい冒険旅行」という1971年の映画がある。
そちらの作品を思い出すとともに、根深い問題に思いを巡らす。
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振り返ってみると、私たちは様々なものを犠牲にしながら現在を生きているのだと痛感させられた作品でした。この作品は犠牲になる側の視点で支配者、権力者を描いているけれども、彼らを単に悪者として描いているわけではないように感じます。最後のオープンクエスチョンから、地球というひとつの惑星の中で、私たちはどうしたら人と生き物たちと自然と共存できるのか、考えさせられます。読み応えのある絵本です。
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表紙のあまりの美しさに手に取った。
中身も1ページ残らず美しかった。絵に見惚れすぎて最初は話が頭に入ってこなかったほどだ。
改めて読み返す。
話としては、ある地に別の土地から『ウサギ』たちがはるか昔にやってきた。最初は友好的なウサギもいたが、次第に数が増え、最終的にウサギと先住民の間で戦いが起こり、先住民は多大な犠牲を伴いその地はウサギたちに侵略されてしまった。
幻想的で特徴的なデフォルメの絵は非常に美しいと共に、残酷さを、恐怖を感じさせた。
私は読みながらいろいろとショックを受け震えた。泣きたくなる気持ちになった。それでも目を離せなかった。文章も素晴らしいが、どうやったらこの短文からこれだけの絵を描けるのか驚嘆に値する。
先住民たちは戦いにやぶれ、そして、
「そして わたしたちの 子どもを さらった。」という場面では、先住民の子どもたちがウサギたちの飛空艇に紐で繋げられ、雲一つない鮮やかな青い空を舞っている。
個人的に、額面通りにさらわれたと捉えてもいいし、空を舞って運ばれていく子どもたちの絵を見ていると、彼らは天国に行ってしまったのではないかとも思えてしまった。
本作について、文章のジョン・マーズデン、絵を描いたショーン・タン、訳者の岸本佐知子、それぞれ解説やどういう思いでこの作品を作り上げたのかがコメントされている。マーズデンはオーストラリアの作家で、おそらくオーストラリアへの入植と、先住民の迫害を示唆していると思われるが、他にもいろいろな立場へと読み替えられる。先住民が迫害され根絶やしにされたのは、歴史上オーストラリアだけではない。
読みながら今のウクライナ人を根絶やしにせんばかりの、ロシアによるウクライナ侵攻を思った。
それを思うと余計身体が震える。
しかし岸本さんがコメントしているように、「『ウサギ』に勝者はいない。ウサギを一方的な悪者にして終わりにしてしまうには、この物語はあまりに重く、深い。」
岸本さんのコメントを見て、改めて最後のページを見た。荒れ果てた荒野と星空の中、ウサギと先住民が一緒に星空へと続く暗い穴を覗き込んでいる(ちなみに岸本さんは水に映った星空をいっしょに見つめているシーンと解釈している。そっちの方が正しい気がする)。とても寂しい絵だった。私にはその穴が両者を隔てているようにも感じた。しかし穴のそばを回り込めば、手と手を取り合える気配も、寂しい中にほんの少しだけ感じられるのだ。
ショーン・タンは「いちばん最初にジョンの文章を読んだときの僕がそうであったように、この本が一人ひとりの読者に、何度も繰り返される歴史上の因果について、紛争のパターンについて、破壊と和解について、深く考えるきっかけとなってくれればと願っています。」とコメントしている。
最後の文章、「だれが、わたしたちをウサギから救ってくれるのだろう?」に最初は嘆きと懇願だけを感じた。とても胸が苦しくなるラストだった。
けれど、「わたしたち」を、わたしたちの土地やそこに住まう生き物たちを救うのは、部外者であってもいいし、破壊し侵略した「ウサギ」自身であっても良いのではないか。
そう思った。
一生手元に置いて、何度も何度も読み返したい。
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祖父の、祖父の、そのまた祖父の時代にウサギたちはやってきた。
・・
かれらは海からやってきた
・・
ウサギたちは、わたしたちのように森には住まなかった。
かれらは見たことのない食べ物をもちこみ、よその動物をもちこんだ
ウサギは国じゅうに広がっていった ・・
さらにたくさんのウサギがやってきた。
ときには、かれらとのあいだで戦いが起こった。
だがウサギはあまりに数が多かった。
わたしたちは戦いにやぶれた。
かれらはわたしたちの草を食いつくした
・・・
そしてわたしたちの子どもをさらった。
・・
あの黒々とした豊かな土地はどこへいった?
・・
だれが、わたしたちをウサギから救ってくれるのだろうか?
ジョン・マーズデン 文 1950メルボルン生
ショーン・タン 絵 1974西オーストラリア・フリーマントル生
オーストラリアにやってきたイギリス人をウサギにたとえ、先住民の追いやられた歴史を表した。こんな短い文で表されていることに感嘆する。とがったウサギと茶色の景色がざらざらして、アボリジニのくやしさと重い怒りを現わしていると感じた。
21.1.30初版 図書館
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ウサギの目の怖さに、手が止まる
本当に恐ろしい
水溜まりを一緒に覗くように、同じ景色を同じ目線で見られるようになればいいのに
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白いウサギと黒いウサギ。
白いウサギが悪者なのかと言えばそれも違う気がします。
年寄りたちが言ったように、彼らは自分の国のことしか知らないのでしょう。
自分の国の歴史において、それが正義だったのでしょう。
そうしないと自分たちを守れない。
だからと言って、彼らが正しいものかと言えば違うことはこの本を読めば明らかで。
彼らの論理では、そのうち虎やライオンが来てしまえば絶望しかない。
未来はどこにあるのでしょうね。
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原文の方をよんだ
気づきを挙げればキリがない
争いは憎しみと悲しみ以外何も生まず残されるのは絶望なのだと思った