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【琉球大学附属図書館OPACリンク】
https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BC06172346
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コロナ危機が引き起こした憲法問題について、日本だけでなく全世界の事象を取り上げて執筆時点での問題点を抽出して論じている。行動の制約に焦点が当たっていて、それはそれでやむを得ないところではあるが、個人的には行動履歴の追跡とプライバシーの問題点をもっと詳しく取り上げてほしかった。加えて、コロナの感染が広まる過程で中国の理不尽な行動に関する記述が抑えられているのはどういった理由によるものか?
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■総括
コロナ騒動で最大の問題は、「表現の自由」が確保されていないことだ。現政策に都合の悪い言論は印象操作され、SNSでもバン(削除)されることが常態化してしまっている。ワクチンの危険性やマスク着用の有害無益さを述べる科学的知見ですら「陰謀論」として否定されている現日本は、さながら「大本営発表体制」の戦時体制である。
コロナ騒動での人権制限は営業の自由、行動の自由、ワクチンにおける自己決定権など様々な論点があるが、その中核はなんと言っても表現の自由だろう。批判が封じれているなかで健全な民意は形成できないのは自明だ。
にもかかわらず、著者の反応は鈍い。1ミリも表現の自由の侵害が起こっている懸念を認めていない。さらには、他書(感染症と憲法)によると、著者はSNSによる言論操作をデマを封じるソフトな対応として肯定的評価まで与えている。表現の自由のない国家には未来はない。その現実の危機を1ミリも感じていない、その点で著者による分析視点を疑わざるを得ない。
表現の自由が事実上侵害されている現状認識が無いことと裏腹に、統治問題では専門家集団の育成を提言している。
医学専門家集団(医クラ、分科会)は民意の支持を受けていると全面的に肯定し、さらに、だから、「こういう専門家集団を今後も育成すべし」とまで述べる。そもそも言論空間が大本営発表に染め上げられている中で、民意の後押しがあることは何の意味もなしません。
専門家集団に権力を持たせるのは民主政に反します。帝国陸軍の参謀本部の立てる作戦が「間違いだらけ」だったのと同様に、医学専門家集団の提言が正しい保証はどこにもありません。また専門家集団は何の責任も取らない「茶坊主集団」だ。厚労省がやりたい政策を描き、役人に都合の良い専門家集団に審議をゆだね、政策を実現していくのは民主的コントロールの及ばない「行政の独裁化」が実現する事につながります。
この憲法学者の見解には全面的に賛成しかねる一冊でした。
(1)コロナ禍の統治問題(政治家と専門家の関係)
第4部の統治に関する記述はいただけない。分科会などの専門家の意見が市民に支持されており「民意」を受けているのだから政権の行動を拘束しても良いという評価を下している(p233)。この著者は従来の権力分立・立憲主義を「古典的」と捉えているため、今風の立憲主義なら問題が無いと思っているのだろうが、私から見るとどう考えても、民主的コントロールの基本が欠落しているように思える。
(ここから)
一般に、選挙で選ばれていない専門家が政策を左右することは、民主主義との緊張関係をはらむ・・・法的な強制力を持たない医学専門家とその提案が、多くの市民に支持されているという意味で民意を媒介に政権の行動を拘束したからである。・・・とはいえ、この事例が制作過程における専門家の役割について何ら示唆を与えないわけではない。本章の理屈が成り立つならば、ある政策領域で非常時に専門家の政策的影響を高めたければ、政府の内外を問わず何らかの専門家組織を設けて高い評判を得られるよう育成することは有益と考えられる。
(ここまで)
一連のコロナ騒動で、この「医学専門���」なる集団がどれだけ政権与党の力をバックに、言論を規制して反対派を「陰謀論者」扱いしているか、その実例は枚挙にいとまがありません。「反マスク・反ワクチン・反規制」を掲げる言論は厳しく規制され、言論空間がゆがめられているという問題意識が欠如しています。
じっさい、「アクリル板は有効だ、ステイホームで8割過ごせ、そうじゃないと40万人が死ぬぞ」という大本営発表が続けられた結果、恐怖というショックを与えられ、おびえた国民が自由を自己拘束するようになっただけであり、それを「民意が支持した」と評価をするのは明確に誤りだ。
騙される国民大衆も良くないが、それを操作する行政側(専門家・厚労省・政権)はもっと糾弾されるべきだ。
また、そういう専門家集団は何の責任も取りません。政治家は選挙で落とすこともできますが、間違った予測ばかりの西浦教授(専門家?)は栄転しています。
専門家は民意を反映した存在ではなく、間違っても何ら責任を取らない「茶坊主集団」。専門家を政府が「飼い慣らして」子飼にすれば、いくらでも民意を無視して「やりたい放題」になります。ただでさえ民主政が育たず「難しいことはお上に任せておけばよい」という風潮がまかり通る日本社会で、これで良いと思うんでしょうか?本当に疑問です。
(2)疾病予防のための人権抑制について
疾病予防を達成するための適当な手段なら広範に認めてしまうようです。必要最小限度の規制以外は「過度な制約で」人権侵害でしょう。人権と安全のバランスの取り方が非常におかしいと私は思います。
(ここから)
しかし2020年11月現在、少なくとも2020年当初と比べて新型コロナウイルス感染症の特性や感染拡大のあり方が徐々に判明している以上、必要最小限度かを度外視して、感染拡大予防という目的であらゆる規制が正当化されることにはならないだろう。
(ここまで)
この点は素晴らしい説明です。非の打ち所がありません・・がここからの説明が驚き。
(ここから)
それゆえ、規制は、感染者が店内に入ることを抑止するためか、店内での感染拡大を最小限にするために、科学的根拠に基づいて判断された危険の程度に応じて、地域や業種・業態、そして営業形態を分けた上で、来客や従業員の検温やマスク着用、パネルや消毒薬設置、席数や入場客数の制限、営業時間の制限といった手法を、期間の限定と組み合わせて行うことが出発点となろう。
(ここまで)
これを出発点にするのはダメダメです。検温、マスク、アクリル板・・・どれもこれも無駄な方策で内心誰しも「意味ないな」と思っています。きめ細やかに馬鹿な方策を積み上げれば、それは「恥の上塗り」にしかならず、それを強制される人たちには人権制限を何重にも積み上げることになります。
ひょっとして「科学的です、感染対策に効果があります」と天下の専門家集団に言われれば「竹槍訓練」でも始めるのでしょうか。時と場合に分けてきめ細やかに竹槍を持ち出せば、人権と疾病予防のバランスが取れたとでも思うのでしょうか。