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「泡」という言葉が持つファンタジックでセンチメンタルなイメージ。だけど、この物語の中で「泡」は苦痛の象徴でしかない。
高校二年生。思春期真っただ中の青年にとって、この泡の原因はつらいだろう。いや、高校生じゃなくてもつらい。これが、今の自分に起こったとして、仕事も外出もままならなくなるだろう。そうこれは人と接することを避けたくなる「呑気症」という病気に悩む高校生の話。
学校に行けなくなった薫に、逃げ場所があってよかったと心から思う。
年も関係も少し離れた親戚って、ある年代の子どもにとってすごく救いになることがある。親兄弟よりも遠く、責任もない関係。
大叔父兼定が経営するジャズバー。このジャズバーというのもいいね。高校生男子にはあまりなじみのないであろう世界。雇われている岡田という男の存在もいい。無口な職人のような岡田との付かず離れずの関係。
自分にはまだわからない大人の世界に少しだけ触れることで、自分の目の前にいる人には自分の知らない時間が流れているのだという当たり前のことを知る。
だから、自分に流れる時間もまた、自分の目に見えているだけの時間じゃないと感じる。
結末まで語らない。夏が終わったあと、薫がどう生きていくのかはわからない。兼定も岡田も、この先どう生きていくのか何も語られない。それでも、それぞれの人生にそれぞれの時間が流れていくのを感じる。
ファンタジックでもセンチメンタルでもない泡の正体。それが自分の中にある新しい何かを包み込むモノであればいいのに、と。
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読み損ねてしまった。そんな感触です。
本を読むうちに映像が頭に浮かぶ事はママありますが、松家さん凄さはそれが二次元では無くて三次元で、それも質量を伴って実体化する様に感じられる事です。特に何か大きな事件が起こる訳でもなく、数人の登場人物の日常が静かに淡々と綴られる物語。そういう意味では既読の『火山のふもとで』や『光の犬』と同じです。ただこの作品では、頭の中で実体化が始まったところで、疑問が湧いたり引っかかる事が出て来てあと一歩の所で停まってしまう、そんな感じでした。それでも、不登校になった主人公の少年、シベリア抑留を経て海辺の町でジャズ喫茶を営む大叔父、その喫茶店に流れ着き、大叔父から「人は殺していない」と評され働くことになった岡田という男、そうした造形は良いですね。主人公の年上の女性に対する淡い恋も、けりをつけないエンディングも良いですし。
主人公の呑気症などの夾雑物や、所々にある追い辛い文章の流れなどで実体化が停まった感じですが、私の読み方に問題が有った様な気もします。そういう、読み手(私)の状態を選ぶ作家さんだと思います。
また何時か、読み返してみたいと思います。
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ここ3作ほど松家作品に入り込めなかったが、本作は久しぶりに、描かれる丁寧な生き方を堪能することができた。まだシベリア帰りの男が生きていた時代。彼と交差した、集団の中に適応できなかった若者、少年もその後どうなっていったのか。掌編であるが、その後に流れる時間にも思いを馳せることのできる作品だった。
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高校生薫は学校に行けなくなった。大叔父兼定の営むジャズ喫茶で働くことになった。岡田も流れて兼定のもとに来た。兼定は戦争でシベリアに抑留される過去があった。
作者の作品はすごく好きだったけれど、その中では、あまり心に響かなかった。
私の調子が悪いのかな、、
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戦争のこと、学校のこと、その他、生きていくことの色んなこと。恋愛のこと。
世代の異なる3人が、偶然みたいに一緒に過ごした海辺の町のジャズバー"オーブフ"での2ヵ月。
視線が時代も人も飛び越えて変わるから、
今までで1番日常的じゃない小説かな。
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高校2年で不登校になった薫と、夏休みの間彼を預かることになった大叔父の兼定。海辺の町でジャズ喫茶を経営する兼定と、無口な従業員・岡田と共に過ごした薫の成長が読みどころか。現代ならばなんらかの病名(精神的な)が与えられそうな薫の症状も呑気症だけで片付けられてしまう。薫の中に鬱積した思いや、兼定の戦争体験がシンクロし、とても重い読後感だった。シンプルなタイトルの“泡”には、いくつもの意味が込められていると思った。
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岡田のキャラは好きだったけど、個人的に文章が読みにくい。話者が前触れも章立てもなく変わることが特に。
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高2になって間もなく学校に行けなくなった薫は、太平洋を望む海辺の町でジャズ喫茶「オーブフ」を営む大叔父・兼定の元に身を寄せる。
シベリア抑留の重い過去をもつ兼定、ふらりと現れオーブフにいついた何やら訳ありの青年・岡田、自分の居場所を模索する薫、無口な3人の2ヶ月の夏の日々。
最初はコロコロと変わる目線に戸惑い、なかなか進まなかった。兼定と薫の鬱屈がそれぞれの目線で語られ、なかなか重苦しい展開。
岡田も何かありそうだけど、その辺は語られないのが逆に気になる。
薫は同じ年頃の高校生に比べて十分に大人で、物事の本質を見抜く目があるが故に悩んでいるように思う。兼定や岡田がいるジャズ喫茶という得難い環境に置かれたことで、生きていくための大きななにかを掴んでいく過程がみずみずしく描かれて心地よい。
泡というタイトルに込められた様々な意味が胸に染み入る。薫はきっと、もう大丈夫。たとえ学校に戻れなかったとしても、この回り道は決して彼のマイナスではないと信じたい。
なんだか、一人旅をして、砂浜でずっと海を見つめていたいと思いました。
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三人それぞれ飲み込んできた言葉たちがあって、語られるものも明かされないものも、その匙加減が独特のバランスだった。
著者らしい静かな雰囲気の文章で描かれる、世代を超えたブラザーフッド的な話というのも新鮮。
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3.8
何かにつけ生きにくさを感じる主人公・薫が、地方の温泉地でバーを営む叔父・兼定の元にひと夏の間身を寄せる。
そこで巡り会う大人達の中で、少しずつ自分の居場所を見つけて行く物語。
海辺での酔ったカオルとのシーン等は、尻のあたりがむず痒くなるような(笑)、まさに青春〇〇という感じなのだが…
兼定という人間のバックボーンに、シベリアでの体験や家族にさえ望まれない復員等が濃密に横たわり、バーテンダーの岡田の醸し出す雰囲気や女達の恋の駆け引き等、時間や経験の積み重ねを感じさせる印象が色濃く、単純に「青春小説」とは言い難い。
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高2の薫は、学校での日々に馴染めず学校に行けなくなった。薫は、夏休みを海辺の温泉地でジャズ喫茶をやっている大叔父の兼定の元で暮らすことにする。シベリア抑留体験のある兼定と店を手伝う岡田の元で、薫の夏休みが始まる。
薫の感じる学校での違和感や店での兼定と岡田や客たちの章、兼定のシベリア体験と帰国後の章が交互に語られる。兼定、薫、岡田、年代の違う3人だが、それぞれにその世代からはじかれてしまっている。大きな事件が起きるわけではない一夏。でも、薫はきっと自分の人生を歩んでいけると感じさせる。
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今なんでここ(学校)にいるんだろうと漠然と窮屈に感じている高校生におすすめしたい。この本を読んで答えが見つかるわけではない。でも自分を信じてみようかと思える。
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不登校の主人公少年が、夏の間遠く離れた土地に逃避し親戚の経営するジャズバーで働き、自分なりの生活の指針を見出していくという物語。
薫が学校の「イナゴの群れ」になじむこともできず、かといって確固としたやりたいこともなく、これからの自分を想像することもできずというのは、割とポピュラーな感じではある。そんな繊細な思春期の緊張や息苦しさ、寄る辺なさを空気と一緒に飲み込み続け、腹をパンパンにして苦しみ、こっそり一人湯船でおならにして絞り出す毎日。これが第一に現れる主題の「泡」なのだからちょっと驚く。
喫茶店で働くうちに、受動的に苦しみに耐えることを繰り返す毎日ではなく、自ら取り組む「繰り返し」の作業や生活が自分の素地となり、自分を解放することに気が付く薫。いつの間にか、兼定の抱く「泡粒のような、偶然に生まれてただ消えていくちっぽけ自分たち」というイメージを共有するようになる。
そして、何も思い描くことのできなかった、やる気もなかった自分のこれからについて、あらためて「それまでにできることはなんだろう」と、自問できるようになるのだ。
この後半の流れは見事だった。「癒される」のではなく、「やりたいことはこれだ!」でもなく、不登校が解決するでもなく、薫が自分の足で歩いていくための指針のようなものをゆっくり掴んでいくに留めるというのがすごい。たしかに彼に必要なのはそういうことなのだ。「集団を離れてから恨んだりするな」という岡田の言葉も好きだ。やりようのない怒りや恨みが熟成して長年人を蝕んでしまうのはよくあるし、こういうため込み型の人ってそんな風になりやすいと思うことがある。
こういう話に戦争の話を絡めるのはちょっとジジ臭い感じもするのだが、主人公はそれを一切聞いてないので過度に説教臭くはないかも。面白かった。
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パン焼き職人と一緒になった岡田が継いだ喫茶店に夏休みのバイトで通う大学生は誰だろう?、とこの本を読み終わって考える。
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絶妙なトリオによるJAM SESSION。
「もはや『戦後』ではない」(昭和56年「経済白書」)以降の良き昭和の空気感が、戦後や60年安保の残り香を吹き払おうという時代を背景に、まだ何者でもない若き精神の迷いの日々を鮮やかに描いた著者の最新作。
登校拒否の高2の薫と、シベリア復員兵の大叔父・兼定、その兼定の経営する海辺の町のジャズ喫茶の店員・岡田が主な登場人物。夏休みのひとときを、なんらかの「過去」を引きずる大人たちと過ごし、曖昧模糊としていた自分の立ち位置や、生きることの意味や「未来」についての手ごたえを感じはじめる思春期の日々。太平洋の海と砂浜のまぶしい光を見るように、終始、目を細めながら読み進められる瑞々しい作品だった。
薫の青春の夏のひと時がメインテーマではあるが、ときおり、兼定、岡田がソロを取るパートがある。そのあたりの“ソロまわし”もJAZZのセッションのようで面白い。
タイトルの「泡」は、最初、なんのことだろうと思う。
「こんどは腹筋に力を入れ、湯船のなかで下腹の空気を押し出して、泡を立てる。」
こんな表現が出てくる。要はおならだ。呑気症の薫の放屁の悩みのひとつの象徴でもある。あるいは、「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて・・・」と方丈記で鴨長明が例えた人の生のことでもある。
「砂浜に海水が吸い込まれると、小さな泡がつぷつぷとつぶれながら消えてゆく。その小さな音がする。自分もこの泡のように、いつか消えてゆく ― それまでにできることはなんだろう。」
自分の悩みのタネであった泡から、自分の人生のメタファ―としての泡まで、泡を通じて、その感じ取り方から少年の成長が描かれていた。
いや、むしろ、あわてて成長しなくてもいいんじゃないか、と本書は訴えているのかもと思える。
集団生活からドロップアウトした薫を、大叔父兼定も岡田も、特に構えた風もなく受け入れる。それぞれに、集団、組織、あるいは家庭というものに馴染めなかった過去があるのではなかろうかということを匂わせる大人たち。だからといってアウトローな人生を進めるのでもなく、自然体の対応が、非常に常識的で、著者の良心を感じさせる。
とはいえ、岡田にこうも言わせる。
「学校になんか行かなくてもいい。集団に慣らされたほうが気持ちは楽だけど、集団はまちがえるから。しかも真面目で熱心なのがいると、もっとひどいことになる」
太平洋戦争を体験した兼定、おそらく戦後安保あたりの時代を生きた岡田を通じ、今の世の中における長いものに巻かれる自我のない無抵抗な風潮へのメッセージではなかろうかとも深読みできたりもする。
ジャズ喫茶を舞台に、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ウィリアムスの演奏を通じて、薫に、まだ十代と怖気づくこともない、もっと自由に羽ばたけと、さりげなく背中を押す感じも悪くない。
薫は、夏が終わり、東京の自宅に戻ることになるが、きっとこの先、大丈夫だと思わせるものがある。高校を卒業して、大学生になって、またふらりと海辺の町のジャズ喫茶「Обувь(オーブフ)」に顔を出すんじゃなかろうか��
そんな姿を楽しみに本を置くことができる至福の読後感。