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なぜ日本人の私たちがモネの絵画に惹かれるのか…確かに!と思う点が。
モネのお人柄もよくわかる。
彼のあしあとを辿る旅に出たい。
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「あなたの再訪を待って、展示室で睡蓮は咲いています。」のメッセージ。
誰ひとりいない展示室に、睡蓮の池がひっそりとひろがっていた
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まるで友達のことを話しているかのように進んでいく本でした。ルソーが好きすぎる!笑
文庫本の最後には、コロナ禍でのマハさんの心情が書かれていて感慨深かったです。
いつかフランスの美術館へ行って現地で、実物を見てみたいな。
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モネの解説、というよりかはモネを好きな原田マハのモネ語りを楽しむ本、という印象でした。せっかくなので絵画の参考画像はカラーにしてほしかった。そうすればもっと解説が生きて入り込み易かったんじゃないかなと思います。早く気軽に美術館巡りできるようになればいいなあ。
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マネ、ドガ、ルノワール。誰もが知る「印象派」だが、モネの《印象―日の出》が「印象のままに描いた落書き」と酷評されたのがはじまりだ。風景の一部を切り取る構図、筆跡を残す絵筆の使い方、モチーフの極端な抽象化など、まったく新しい画法で美術界に旋風を巻き起こしたモネ。その波乱に満ちた人生を、アート小説の旗手が徹底解説。
筆者の書いた美術小説は好きでほとんど既読です。なので正直そこまで目新しい情報はなかったかな。新書のときに読んでいればまた違ったのかもしれないですが、昨今は美術展も多くて画家の人生も(特にモネのような有名な印象派は特に)紹介される機会も増えましたから。でもおすすめの美術館巡りなど、コロナが落ち着いたら行きたいな~と思ったところも。モダンアートには正直今もとっつきにくさを感じてしまい、美術に興味が出た頃から今までずっと印象派が好きな自分はわりと単純な人間なのかなと思ってしまった(笑)しかしルソーってこんなサロンに憧れてたのか、絵からは全然分からなかった・・・。
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ゴッホと同じ時代を生き、貧しい生活を送ったけど、真逆の、ほごらかで愛に溢れ、ひだまりの中で幸せに生きた人。マハさんの小説は司書資格が取れてから、春にでも読みたいな。
p.75 19世紀後半に起こった、絵画をめぐる変化
①当時のアカデミーの絵画や彫刻は、筆跡や彫り跡は残さず、ツルツルにして、肌が滑らかであればあるほどいいものとされていた。が、ロダンやモネなどの印象派は、作成に彫刻家が関わっていることの証「表現」を残した。彫刻を台座から引き摺り下ろすことは、人間性を復活させる意味で、同時代のアーティストから尊敬を集めた。
②絵のサイズの変化。新しいビジネスで財を成した信仰ブルジョアジーは、都市生活を楽しむ家やアパートの壁に飾るアートを求めた。王侯貴族の館に飾るために、大型の作品が主流だったが、パリのアパートの一室に飾る絵となると、カンヴァスがぐっと小さくなる。
③道具の変化。チューブ絵の具(いわばモバイル絵の具)が登場し、画家は既製品のカンヴァスを使用し、イーゼルと携帯用の画材箱をタウさえて、屋外に出て絵を描くようになる。(それまでの絵の具は、絵の具売りの商人が画家のアトリエを一見一見訪ねて、注射器のような真鍮のシリンダーに注入していた;暗いアトリエに引きこもり、石膏像やモデルと向き合い、黙々と筆を動かすもの)
④画題の変化。都市整備と産業技術は、人々に新しいライフスタイルをもたらした。アーティストたちは、日々の暮らしの中にある、新しい風景に目を奪われた。駅や橋、鉄道、建造物、水辺や公園でくつろぐ人々、レジャーの様子、デパートや劇場、かでの情景など、その画題は現実世界に大きく広がりました。ですから、印象派の絵画は時代を移す鏡のようなもので、当時の風俗を検証するのにもってこいです。男性も女性もおしゃれで素敵な衣装を着ている様子が描かれています。
P.84 アリスの負も、カミーユが亡くなったあと、カミーユの子供二人も一緒に育てたわけですから、大したものです。色恋沙汰を超えて、人間同士として、するべきことをちゃんとしている二人の姿に心打たれます。
P.86 妻のカミーユが二人の息子を残し、32歳の若さで病死してしまいます。モネは亡くなったカミーユを《死の床のカミーユ・モネ》という作品に描き、この時以来、ほとんど人物画を描かなくなったと言います。そしてモネの心は悲しみに閉ざされてしまいます。自分が何を描くべきかわからなくない状況で、しばらくの間意欲を失い、絵筆を握ることさえできなくなってしまいました。そんな時、冬の大寒波がパリとその近郊を襲い、めったに凍らないセーヌ側が氷結します。滔々(とうとう)と流れるセーヌ川。そのセーヌ川さえも凍ってしまった。ここからは私の想像ですが、モネは自分の状況をセーヌに重ねて、「ついにセーヌも凍った。そして自分の心も凍りついてしまった」と思ったのではないでしょうか。ところが、春も近づいたある朝、目覚めたら、セーヌ川の氷が溶け、水面が動き始めたのです。その瞬間に、モネは気づいたのかもしれません。「この世界は一刻たりとも止まってはいない。同じ風景を見ているようでも、時間が��れている限り、それは一瞬しかない。その移りゆく世界を、自分はカンヴァスの中に留めたい」と。
P.99 「どうしてこのダイニングルームはここまで黄色でなくちゃならんのかね?」と尋ねるシーンで、「お客様や家族と楽しい時間を過ごす場所ですから。どんな影も潜ませないように、一番明るく彩ったのですよ」とブランシュに答えてもらいました。
P.119 モネは心から絵が好きで、どんな苦悩があっても、よろこびをもって絵を描くことを決して手放さなかった画家です。晩年、視界が霞む中で描かれた大睡蓮画について、なぜそこまでしなければならないのだろうかと疑問に感じたこともありました。しかし、モネにとっては青空の下がアトリエで、そこに出かけていくことに至上の喜びを感じていたのでしょう。最期まで創作への喜びを全身に満たし、カンヴァスに焼き付けたその作品には、愛おしささえ感じます。モネの作品を見て、不幸せな気分になる人は一人もいません。みんな幸せな気分になるのは、モネのよろこびが画面を通して伝わってくるからだと思います。
もちろんアートには色々な側面があり、幸せな気分にさせてくれるものだけがアートではありません。特に現代では、表現も作品も、人々の受け取り方も多様化しているので、「よろこびのない作品は作品ではない」とは、絶対に言えません。ピカソの《ゲルニカ》のように強いメッセージを発する作品もあれば、ゴッホの絵のように、作品を通してアーティストの苦悩を共有することも、得難い体験であると思います。
しかしモネに関して言えば、もちろん人生に苦しみや悲しみがあったけれど、それを表現することはよしとしなかった。これは私の想像ですが、それをしてしまったら、自分は負けだと思っていたのではないでしょうか。いちばん苦しい時に描いている作品にも、やはりよろこびが宿っています。どんなに大変でも、絵に向き合う情熱は変わらない。絶対に苦しみや悲しみを作品にしない。そのような覚悟がモネにはあったのではないかと思うのです。
P.137 <印象派の時代はいまと似ている?>印象は「表現」、つまり自分の痕跡を残すことを目指しました。現代のソーシャル・メディア上の活発な「表現」の発露も、そのことを物語っています。人間というのは、元来、表現したい生き物であり、19世紀にも、禁止されていた個人的な思いが一気に噴出しました。現代はインフラが整備され、SNS時代が到来、個人的な思いが表出しやすくなっています。さらに似ているのが、表現に対する寛容が社会に備わってきた点です。例えば、当時、女性のヌードはヴィーナスならOK、それ以外は題材としてNGでした。その常識をマネが《オランピア》を描いてドーンと覆し、確信できな表現に対するアレルギーが徐々に薄れていきました。フランスにも日本美術をはじめ、色々な刺激が外から入ってきて、人々は世界の広さに気づき、好奇心を目覚めさせます。世の中に色々な価値観があることを知り、「なんでもありだね」と認める雰囲気は、現代と似ていると思います。
P.140 <私たちがモネに惹かれる理由>印象派の作品の中には、日本美術が生かされているので、私たちが見ても親しみを感じ、また安心を覚えるのです。頭で考えるより、心で感じてしまう。20代��私は。無条件に心惹かれてしまうから、あえて客観的に見ようと、抵抗のサインを示していたのだと思います。具体的には、構図や色、画題の選び方が、日本人の好みに合っています。昔から優れたモネの絵が日本に入ってきているから、慣れ親しんでいるというのもありますね。モネは、草や花を、命が宿っているように描きます。それは日本人んお感覚と似ています。わtらしたちは巨木があれば尊さを感じ、日向に小さなすみれの花が咲いていれば話しかけたくなります。そこには、自然の中に神や命が宿るという、日本古来の自然感が染み付いています。何人かの海外の現代アーティストに、「『万物に神が宿る』という考え方は、日本人の優れたところですね」と褒められたことがあります。しかし西洋の場合、自然というのは、もともと神が作ったものですから、崇拝の対象にはなりません。神というのは上位概念で、地上にある全てのものは神が創造したものだからです。そして自然は、御さなければならないもの、コントロール可能なものです。日本では、自然に争わず、神の力に恐れおののき、荒ぶれば「鎮めてください」と祈ることにより、私たちは癒やされるのです。
P.144 フランス語のメッセージが目に飛び込んできた。「あなたの再訪を待って、展示室で睡蓮は咲いています」。ーーそのメッセージと動画は私の胸の奥深いところにそっと触れてきた。不意に熱いものが込み上げて、気がついたら私は泣いていた。なんの涙だろう。絶望、不安、寂しさ…いや違う。これは希望の涙だ。そんな気がした。世界が完全に閉じてしまった今、この瞬間、それでもモネの睡蓮は花を咲かせている。そして決して閉じることはない。その事実に私は胸打たれた。どうしたって起きてしまう人生の不幸、避けられない災厄、世界を覆い尽くす不穏。それらに抗って睡蓮は花開いている。クロード・モネは、自然の摂理にままならぬ人の営みを重ね合わせて、大丈夫、いずれ花は開くのだからーと諭してくれているのではないか。そう気がついて、私の心に希望の灯火がともったのだ。
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著者と同じように、モネのあしあとを巡りたいと思うようになった。私自身あまり美術作品に触れる機会が決して多いわけではないので、本書をみて、こうやって美術作品に触れていく、読み取っていく?表現のしかたが正しいのか分からないけれど、事が面白いんだろうなと思った。 解説書?本書はどのようなジャンルになるのか知識が乏しい自分にはイマイチ分からないけれど、初めてがこの本で本当に良かったと思います。 covidが落ち着いて自分も落ち着いたら、すぐにフランス行きのチケットを取ろうと思う。
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モネの作品は親しみやすく、好きな画家の一人なので、モネの足跡を知ることができ、大変興味深かった。いつか、朝のオランジュリーに行き、公園でサンドイッチを食べ、マルモッタンに行く、そしてジヴェルニーにも行けたらいいなと思った。
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あしあと2作品目。今度はモネのあしあと。モネについて詳しく知ることができるし、原田マハ先生の説明が本当にわかりやすくてあっという間に読み終わってしまいました。文章も良かったですが、使われている写真などが自分にとっては見たことが無いものが多く、モネを思い浮かべる材料としてすごく役立ちました。
この本を片手にパリをジヴェルニーを訪れてみたいと強く思いました。絶対に行こう!
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現在は知り尽くされているモネの生涯や印象派誕生の歴史、西洋美術史との関わり合いが、マハさんの感性によってわかりやすく楽しく表現されている。ちょいちょいマハさんが入れてくる合いの手のような例えや感じ方が、ただの美術観賞本とは違う味わいを醸し出していて読み手を楽しませてくれます。
付き合いはじめの彼の部屋に遊びに行って、ブーグローの絵があったら引いちゃうけど、ルソーだったら付き合ってもいいかも!と思っちゃう、とか、マネの『オランピア』が苦難を乗り越え最終的にクレマンソーの仲介によって目的のルーブル美術館に収まった事については「クレマンソーは頼りになる男ですね」とかwww 思わずニコっとしてしまうつぶやき?が随所に盛り込まれていて楽しい気分にさせてもらえます。
オランジュリー美術館は朝の光がさす朝一番に行くのがお勧めなんて、、過去訪問したのは午後だったから次回は絶対開館と同時に行こうと心に決めたり。
いつもマハさんのアートに対する深い愛情と強い思いに触れる度、癒され心を豊かにさせてもらえます。マハさん、ありがとうです^ ^
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何故かこのタイミングでモネに触れてみたくなり、本書を手にしました。
さすがマハさん。
無知な私にもわかりやすく理解する事が出来たと同時に一層モネの作品(実物)を見てみたいと強く感じています。
だからこそこのまま「ジヴェルニーの食卓」を続けて読もう!
と思ったら...
大量にある積読の中に無い(汗)
マハさんの著書もまだまだ積読がいっぱいあるのに...
なぜ???
美術館に足を運ぶよりもモネに対する熱がある内に続けて読みたい!
明日は最強寒波が襲来するとの予報ですが、様子をみながら買いに行くしかないですね。
そして来年には必ずモネの作品を見に行こう!
説明
内容紹介
マネ、ドガ、ルノワール。誰もが知る「印象派」だが、モネの《印象―日の出》が「印象のままに描いた落書き」と酷評されたのがはじまりだ。風景の一部を切り取る構図、筆跡を残す絵筆の使い方、モチーフの極端な抽象化など、まったく新しい画法で美術界に旋風を巻き起こしたモネ。その波乱に満ちた人生を、アート小説の旗手が徹底解説。
著者について
一九六二年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。森美術館設立準備室勤務、MoMAへの派遣を経て独立、フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。二〇〇五年「カフーを待ちわびて」で日本ラブストーリー大賞を受賞し、デビュー。一二年『楽園のカンヴァス』(新潮社)で山本周五郎賞受賞。一七年『リーチ先生』(集英社)で新田次郎文学賞受賞。
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妻の死を乗り越え、画家としては致命的な白内障の乗り越え、素晴らしい作品を残したモネにただただ敬服。益々モネが好きなりました。
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美術史とモネの伝記を掛け合わせ、作者の思いを詰め込んだ作品
モネの3つの重要な出来事、を序盤に頭出ししたあとの構成がイマイチ不親切なのは、薄い本で一気読みを期待してたからなのかなあ
とにかく、モネへの思い入れは伝わるし、コロナ禍であとがきかえて書かれた最終節に込められた気持ちも伝わった
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「絵を見ることは、アーティストと会話すること」とは「画家はどんな気持ちで、どんな時代背景があったのかを、いろいろ想像」すること。
記憶力が悪い私ですが、何度も絵を見て、本を読むことで、朧げながら、時代背景がわかるようになってきて、想像することができる!
「第五章マハによるモネのあしあと案内」を参考にフランスに行きたい!もちろんこの本と「ジヴェルニーの食卓」、「モネの食卓」を持って行きます。
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物語ではなく、新書が文庫になった本。
私自身、書物として美術の分野に初めて触れたが、美術に興味が持て、もっと知りたいと思うような作品でした。日本の絵画もゴッホやモネたちに影響を与えていたことを初めて知った。フランスに行ってみたい、モネのあしあとを辿ってみたいなあ〜。そう思わせてくれる原田マハさんの書き方好きだな〜