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空の神様けむいので ラスト・プリンセス徳恵翁主の真実 みんなのレビュー
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紙の本
知られざる肖像
2021/09/18 22:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本馬恭子の「徳恵姫」が徳恵翁主の童歌や和歌の存在すら触れていないので、この本の著者が執念のように童歌や和歌を探し出す光景は目を見張るものを感じる。著者は「徳恵姫」の問題点は気がついているだろうが、ほとんど触れていない。敢えて書かないのだろう。
また「徳恵姫」は宗正恵の夫の「鈴木N氏」の正確な年齢を明らかに出来なかったのは、著者の親族が知らなかったのだろうか?それとも宗武志は徳恵翁主と離婚してすぐに宗正恵と1つ年上の女性と再婚した事が「外聞が悪い」と判断したのか触れていないように、恋愛結婚の相手がお気に召さなかったのか。「鈴木N氏」が詩人の宗昇らしい事は知っているが、当の本人が生年月日と最終学歴以外は明かさないのでイマイチ確証が持てなかった。この本の著者は本馬恭子が触れていない宗武志の再婚相手に取材しているから、宗正恵の遺骨が発見された時に、おそらくそれほど面識がないはずの宗昇に連絡したので、「記憶のみなわ」に収録されてインターネット上で引用されているブログに全文が掲載されている「手帳」になったのだろう。「手帳」は宗正恵の五十回忌で詠まれたのか?、と思っていたが、聞いた事、見た事を詠んだようだ。
53頁の「李方子の自伝として刊行されたもの」についての記述を読むと、どうやら本田節子の「朝鮮王朝最後の皇太子妃」は読んでいないようだ。この本は昭和63年に出て、文庫化もされているので、平成元年の展覧会で徳恵翁主に関心を持ったのならば書店で新本が買えるだろうに。また昭和53年に出た本から引用するより初出の昭和43年刊の「動乱の中の王妃」を使うべきだ。
権藤四郎介の「李王宮秘史」は彼が旧韓国宮内部に勤務した明治40年から刊行された大正15年までを調べるには必読だが、この本から引用されている「1916年」の「エピソード」ならば寺内正毅は朝鮮総督ではなく内閣総理大臣だ。権藤の間違いまで引きづらなくてもいいのに。金用淑は「朝鮮朝宮中風俗の研究」を書いた時に、そこに気がついたらしく「日本人総督」と曖昧にしている。
ここで権藤が書いている事が大正15年に制定された王公家軌範に結びつくのか、時間が空いている。しかし、新城道彦が「天皇の韓国併合」で書いているように、王公家軌範の条文によって徳恵翁主の身位が確定したという方が正しいと思う。この本の著者は新城道彦の「天皇の韓国併合」と「朝鮮王公族」も読んでいないような気がする。版元からして「朝鮮王公族」は山本七平賞の推薦賞受賞作だから使わないのだろうか?
参考文献目録がないから、本文で言及されている出版物等以外、分からないのが難だ。その上、索引もない。
版元は小説と映画の「徳恵翁主」(映画の邦題は副題で使われている「ラスト・プリンセス」)のフィクション性を批判しているが、「朝鮮朝宮中風俗の研究」で「片目で身長も低く、大変な醜男であったという」と事実に反する中傷めいた肖像画の宗武志が別人のように変わっているところは「徳恵姫」に遡るだろう。まあ張赫宙の「秘苑の花」のように、英親王を調べるにはどうしても使わないといけない小説でもないから本文で触れる必要はないだろうけれど。
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