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僕は最果タヒのエッセイが好きだ
彼女は語りうることと語りえないことがしっかりわかっている
そして語ることの暴力も
それゆえに、語りえないはずのことが鮮やかに立ち上がってくる
その奇跡のような瞬間が、このエッセイ中には詰まっている
書くこと、語ること、生きること
エッセイを読むとはこういうことだと思う
ブックデザインもとても素敵
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初めて読む作家さんで、詩人ということは知っていて、詩集と思って図書館で借りたらエッセイだった。まずは本職の作品から読んで、作品の世界を知ってから読むべきだったと思う。
何を言っているのかよく分からない箇所もありつつ、たまに共感できることもあった。
話し言葉でつらつらと書かれる感じが町田康さんを何となく彷彿させる。ちゃんとしている、ふざけていない町田康さん。
この本はそれほどピンと来ないまま読了したけれど、詩集のほうは何か読んでみたいとは思う。
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★赤裸々はむしろ、その事実を言葉にする瞬間、障害となるのだ。無意識にそう思う、という「無意識」こそが実はこの子のいちばん深いところにあるもの★
その人の経験は、唯一無二のものなんだけれど、それを言葉にして見せびらかす時点で赤裸々では無いのだよな。言葉にして意識下に持ってくることは大事だけれど、それは本当の意味での赤裸々ではなくて。
悲しい経験を他者に「悲しかったね」って言われるよりも、他者が悲しいと思う自己の経験も、「まああの経験なければ今の自分いないからね」と捉えられる人間が好きだし、そうなりたい。
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ああーわかるう、となる文章が多かった。普段感じていることを言葉にしてもらえたような感じ。とてもおこがましいが感覚が似ているところがある気がする。特に他人との関わりについてとか。
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文章の中身(感性)も書き方も独特。
ひとつの語りのかたまりが終わって、改行し、次の文章を始める時……前のかたまりの最後の文字の位置に合わせて、次のかたまりの最初の文字を決めているのですね。ふしぎ。
本をつくるとき、大変そうです。作業の途中でずれてしまうでしょうから。……なんて、余計なことを考えてしまいました。
正直、タヒさんの考えに賛同できない部分はあります。もっとまわりとうまくやっていく努力をしたらいいのに、なんて、わたしの価値観で考えてしまいます。
けれど彼女はまわりと違うことなんて理解していて、まわりに合わせたほうが嫌われないとわかっていて、それでもなお、ご自分を裏切ることはしません。とても潔いです。
それはそれでいいのでは、と思いつつ、遠くから眺めていたいです。わたしは。
後半、自分に刺さることばが多かった印象です。
死を語ることでことばを持つ人がいることを知っていたり、創作への活き活きとしたことばだったり、やはりこの方は「ことば」で仕事をしている人だと痛感するほど素晴らしい発想・文章だったり……。
100%理想通りの人はいません。だから、ほどほどにタヒさんの文章を楽しむことができる、この距離感・温度感が良いのかもしれないと感じました。
(以下、読みながら綴った感想)
2023/04/12 p.11-173
p.11
“笑うたびに「わたしは何を笑ったんだろうな」と自分で思うし、”
無財の七施、ですよ。お金がなくとも、誰だってできるお布施のひとつ。それが笑顔です。
自分のためでなくていいのです、お相手のためです。
p.14
“「おもろないで」と伝えるための”
関西の方なのでしょうか?
p.16
“誰もがそうだとわたしは勝手に思い込んでいる。”
それはとても危険な考えです。人は皆、違います。
違って当たり前です。それを受け入れたほうが楽です、お互いに。
p.32
“ひどいことを言われた、となったら、言い返してやれよ、とか、見返してやれよ、とか言う人もいるが、それって強盗が来たって言う人にお前も抜刀して切り捨ててやれ、って言うようなことです。”
(中略)
“負けるな、じゃないんだよ、戦わせんなよ、いつの時代だ、”
(中略)
p.33
“強くも美しくもないままで理不尽が勝手に自滅して目の前から消えるような社会が必要、”
これに関しては、同意します。
わたしは凄い人ではないから。負けてしまうから。
理不尽な相手が勝手に消滅してほしいです。わたしの手を使わずに、社会に滅されてください。
p.48
“友達でも家族でもない人に対して多くの人がある程度は冷淡であり、大切な人たちと同じように扱うことはない”
それはそうです。「大切な人たち」の範囲に入らなければ、家族でさえも、どうでもいいです。
わたしの愛情は限りがあるのです。すべての人に渡すことはできません。
p.55
“ひとのなかには「わたし」の部分も、「ぼく」の部分も、「おれ」の部分もあるはずで、そのそれぞれのところに���れるような言葉でありたいと思うから、読むひとの性別で詩の合う合わないが決まることはないと思う、”
この文章、とても好きです。この本の中で一番好きかもしれません。
やはり、詩について話しているタヒさんのことばが、一番良いのかもしれません。生き方については、考えが違い過ぎてやや苦しくなってしまいます……。
p.56
“そこにわたしの詩があることを、そうしてとても幸せに思う。”
ほっこりして、ほっとしました。詩を認めてもらうのはうれしいのですね。
それすら捻くれていたらどうしよう、と不安でした……。
p.72
“絵をみているとき、ときどき光そのものを見つけたような気がして、追いかけるように詩を書くことがある。”
絵から発想を得るのですか。
この方、光に反応するのですね。闇ではなく、色ではなくて。
p.82
“どう「正しく読む」のかを国語の試験は見ていて、つまり、著者のような立場の人間が一番難しく感じるのは当然なのかもしれないです。”
やっぱりそうですよねえ……。国語のテストで言われるようなもの、作者はあまり意図していないですよねえ。
創作をしたことがある人は経験があると思うのですけれど、時々、自分の思考からはみ出て、自然と生まれいづるものがあります。どうして生まれたのか、生みの親にもわかりません。「親として無責任」と言われるでしょうけれど、創作ではあるあるです。
p.98
“死という単語を語ることが否定されるなら、私はもうこの気持ちを語る言葉を持たない、と思う人もいるでしょう。死に恐怖する人と同じぐらい、死が伏せられ続ける世界に恐怖する人もいると思います。”
えぇ、そうです。
死は必然です。生きているものは必ず死にます。変わってしまうものばかりのこの世の中で、変わらないたったひとつのことだと、わたしは思います。
だからこそ、安心します。いつか終わりが来ることに。苦しみは、永遠ではないのです。
幸も不幸も、心を揺らすことは、人間にとってストレスとなるようです。生きていたら、心が揺れる瞬間は幾度となく訪れます。
そこから解放されるのは、良いことだと、わたしは思います。その時こそ、ゆっくり休める気がします。
そう考える自分にとって、死を否定されること、必要以上に怖がられてしまうことは、とても、悲しいです……。
p.105
“忘れてしまっていることはいくつもあり、しかし忘れたことは消えるのではなく、どこかに蓄えられている。”
記憶力が良いほうではないので、いろんなことを、落としてきたかのような感覚があります。もう二度と、自分の手には戻らないのではないか……とこわくなります。
けれど、消えていないと考えたら、少しホッとします。どこかに、存在しているのですね。そうだといいな、と思います。
p.115
“誰もがもうがんばっているのだ、”
それは、人と話す度に、感じます。よくがんばっている、だから、これ以上がんばりすぎないで……。と、思ってしまいます。
まだいけるまだいける、と思って突き進んでいると、ある日突然動けなくなってしまうのが自分です。みんなはわたしほど阿呆ではないでしょうけれど、限界は必ずあります。
そのラインより手前で、止まって、休んでほしいです。休みます。
休むことも大切、と言いつつ、忘れがちなので、もっと意識します。もう十分、がんばっているよ、自分。大丈夫。
p.123
“感動とかいうものがあるのだとしたら頭からっぽになることが感動なのだと信じている、”
(中略)
p.125
“言葉を放棄してしまう「感動」が、たぶん空っぽさに対する、一つの正直なリアクションなのだろう。”
以前、友人たちが、「良かった作品ほど語ることができない」と言っていました。良いものも悪いものもことばにするわたしは、どうして悪口ほどたくさん言えるのかふしぎでした。どうせ心が揺れるのなら、良い方向に揺れたいと常々思っています。
引用した文章を読んで、彼らの感覚はこれなのかもしれない、と感じました。感動しているからこそ、空っぽ。ことばが出てこないほど、純粋に、感動していたのかもしれません。
それって、とても、美しいことですね。けれどここまで言語化してもらわないと気づけないほど、わたしは鈍いので、やっぱりことばがほしくなってしまいます……。
p.136
“そもそも生きているのかということすら曖昧にしてしまうのがインターネットだった。”
わたしは基本的にSNS投稿をする時、「なう」ではありません。過去の出来事を載せるようにしています。しかも、予約投稿を利用しています。
過去の自分が設定した、さらに過去の出来事が、いま、表に出てきています。それは数週間、数ヶ月、続く予定です。
だから、途中でわたしが亡くなったとしても、フォロワーさんは気づきません。アカウントは更新し続けます。予約した分だけ。
その間、わたしは、ネット上では生きていることになるのですね。ふしぎですね。でもネットって、そういう場所ですよね。
それが面白いと感じます。
p.143
“自分が書くつもりだった言葉以外のものが時々登場する。そのとき私は、自分よりも言葉が主導となってこの文章を作っているんじゃないかと思っていた。”
自分のことばのつもりで綴っていたのに、気がついたら、予想外のことばがどんどん出てくることは多々あります。
言語化したことがなかったのですけれど、腑に落ちました。確かにことばが主導でした。わたしは追いかけるだけ。それが楽しくてたのしくて、文章を一切綴らない人生を歩むことができません。ことばの海に沈んでいたいです、底は静か。安心。
2023/04/20 p.173-178
2023/04/22 p.178-222
p.192
“ただ同じ方向を向いて歩いたら、見える景色が変わっていく。作るものも変わっていく。だから変わったねと言われると、いや書く動機や、書く時に指針にしているものや光は何にも変わらないですよと思うし、同じでいてくれと言われると、これ以上同じなんて、歩みを止めろというようなことではないか、と思うのだ。”
人は変わるものですから。進むことを止める権利は、誰にもありません。
p.193
“誰にどう思われたいかは、作る側にはコントロールできるわけもない”
それは当たり前のことです。誰も他者をコントロールできません、��てはいけません。
p.202
“他人の目をみることは多くあります、”
ちゃんと人の目を見ることができる人なのですね。凄いです……。
わたしは全然、人の目を見られません。けれどたまに、ガン見してしまいます。集中している時とか……。
2023/04/24 p.222-272
p.233〜234
“言葉にする、という行為はそれだけでもうわざとらしくて、本当は赤裸々にはならないのだ。「これを他人に読んでもらおう」「見てもらおう」という意思が現れる時点で、「事実のおもしろさ」とは別のものが現れる。”
文章を本気で書く人間は誰しも感じることではないでしょうか。ことばにする、アウトプットしている、その状態は自分以外の存在を意識してしまっています。別にそのまま、浮かんできたことばがただ流れていく様子を眺めて、忘れてしまっても問題はありません。それを捉えて、形にしていたいと強く思うのが、書く人間です。
p.235
“これは本当に技術と、ストーリーテラーとしての才能が迸った作品であって、”
嗚呼、納得しました。「エッセイ」は作品としてかなり整えられたものだと感じていたのですけれど、そこに「物語」を感じていたのでしょうね。
p.238
“「それはあなたが信仰するものであり私は関係がないので押し付けないでいただきたいです」と思う。そういう時の自分が正しいとは思わないし、それでしんどいことになるのも知っているし、でも「うるせえな」と思う時の自分を打ち消す気にならない。”
ここまで言語化できて、ここまではっきり拒否できる人って凄いです。なんだかんだ、人の意見に押されてしまってまわりに合わせてしまう人は、わたしを含め多いと思います。
わたしは、他者に嫌われたくないとか傷つけたくないとか、そんな考えにすがりついてしまいます。すべての人には無理だとわかっていても。わずかな希望があれば、それに手を伸ばしてしまいます。
だから時に、自分を曲げてしまいます。
タヒさんは、そんなことどうでも良いのでしょう。ご自身の心が一切揺れないわけではなくとも、わたしほど、重視していないのでしょうね。
潔いです。人によってはかなり賛同する存在なのだろうな、と思います。
個人的には、タヒさんとは距離を取りたいと思ってしまいますけれど……。
p.238
“こんな話を書くのはエッセイだな、詩じゃないな、と私は思ってきたし、”
詩だけを読んでいる人と、エッセイも読んだ人では、印象がかなり違うでしょうね。
正直わたしは、「タヒさんってこういう人なんだなぁ……」と驚く点が多々ありました。けれど驚いてしまうのは、わたしの勝手な期待する気持ちによるもので、タヒさんは悪くありません。無意識に、他者に対して「こうだろう」「こうであれ」と考えてしまうわたしの脳が悪いです。
p.241
“ちいさなケーキをみんなでわけあって、だれもまだまだ満腹にならないように、何もかもが永遠に終わらない気がして、そうしてなかなか立ち去れない。遠くに見える花火”
花火を見ている人たちを、“ちいさなケーキをみんなでわけあって”いるようだと考えるタヒさんの、この感性が好きです。
��永遠を望む時って、“満腹”になっていないのだなぁ……」と納得しました。満たされたら、永遠でなくとも良いと考えるようになるのでしょうか。友人とのご縁が永く続いてほしいと願うわたしは、まだ、満足していないということでしょうか……。
でも、ケーキを分け合える関係性でいられるのなら、ずっと満腹にならなくてもいいのかもしれません。人生の時々、みんなでちょっとずつ、甘い時間を楽しむことができたら、それはとてもしあわせな生き方だと感じます。ケーキに依存してはいけないですけれど、たまになら。
p.242
“「お祭りの提灯は、ずっと昔の夏から、出張してやってきた赤い光のようで、その中にいると私の生まれる前の町に来たようで、ほっとします。」という一文をふとした拍子に書いたのだけれど、”
ふと、この文章が出てくる脳が羨ましいです……。
良いですねえ……。
お祭りは人も人外も、現在も過去も、混ざっていてほしいです。曖昧で良いです。その時間だけ、おまじないがかかっていてほしいです。
そして終わった時、たくさんのものを知らず知らずのうちに失って、ほんのりとした悲しい気持ちが胸に広がったら……素晴らしい思い出となります。
p.252〜253
“素晴らしい作品、途方も無い物語に触れたとき、それを作り出したのは神様に違いないと思う”
(中略)
“でも本当はどこかで神様ではない、と知っていて、人間がそれを作り出したことにこそ、人間として感動していた。人間であるのに、とか、そんなことではなくて、人間でなければ、この宿る神に気づけない、神様として生まれていたら私は物語というものを愛せていなかっただろうと思うからだ。”
(中略)
“人が神を超える瞬間が、物語という場には起こり得る。”
自称無宗教が多い日本人ですけれど、素晴らしいものに出会った時「神!」と称賛する文化があるのは面白いことです。
そこからさらに一歩踏み出して、その「神」に気づくのは人間だから、と考察するタヒさんの思考に脱帽。なるほど。
人間がつくったものだからこそ、人間に刺さる作品となるのですね。
p.268
“どんな人との関係にも、崩壊はある。”
(中略)
p.269
“一瞬の出来事でそれまでのすべてを信じることができなくなる。正しさがあればわかりあえるのかといえばそうではなく、”
残念ながら……永遠に変わらない関係性なんて、ないのかもしれません。わたしはすぐ、永遠を望んでしまうのですけれど……。それが一生続くと心から思っているわけではありません。いつ崩壊してもおかしくありません。
でも、壊したくないからこそ、永遠にしたいからこそ、大切にします。しているつもりです。
それでも壊れる時は、それもまた、運命です……。
2023/04/25 p.273-296
p.280
“こころが死んでしまうことは多々あるが、からだは生きていきたいと思っている。”
それがとても、ふしぎです。こころがしんでしまったら、もういいじゃないですか。生き続けなくても。
それなのに、身体は許してくれません。こちらの感情なんて関係なく、この身体を生かし続けようとします。勝手に死から遠のきます。
それがとても、悲しかったです……。
p.295
“リア充だとか満たされた人たちだとか悩みもないはずだとか、言われているのを見るとなぜかとても傷ついてしまう。”
(中略)
“基本、気を使わずに誰のことも傷つけずに済む、なんてことはなかなかないだろうと思う。”
こうやって、自分とは違うタイプの人であっても、想像力を働かせるところが好きです。凄いです。
p.300~301
“生きることは素晴らしいですが、それでも人は死ぬし、人は数人のことぐらいしか愛せません。”
このことを意識せず、「生きることは素晴らしい!」とただただ生を肯定してしまう人より、タヒさんのことばのほうが胸に入ってくると思いました。
人が亡くなることも、数人しか愛せないことも、当たり前のことです。騒ぎ立てる必要はありません。
愛している人が愛す人の範囲に入ることができたらこれ以上ないしあわせですけれど、もしも愛している人に愛されなくても嫌われても「それでも自分は愛している」と言えるくらい強い心を持ちたいです。
愛は見返りを求めてはいけないものなのでしょう。
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小説は読んだことあるけどエッセイは初めてかも。カギ括弧内のズレがぞわぞわして苦手だったこともあり、あまりはまらなかった。
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本人はそんなに思ってはなさそうだけどタヒさんとっても繊細だ
「互いに孤独を埋め合うのではなくて、孤独は孤独のままにふれあうことができる友達がいたらすばらしい」
親身であることは嬉しいけど、傷の舐め合いはよくない。何か大変そうだけど自分でなんとかしな、応援してるから〜と言ってくれる友達がいれば有難い ·͜·
「受け入れられないものは、好きにならなくていいと思う。その人にとっての大切な人ものをどこまでも大切にしてほしい」
仲良くなりたい!って思った人と好みのものが違った時、自分を曲げてみたくなったりするけどあんまり良くないね。自分が自然と好きになったものを大切にしてたら自然といい仲間ができるのかな〜と思った
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文体が特徴的でやや読みにくいが(元々そういうスタイルの詩人なのでここは受け入れるしかない)、ハッとするような言葉がたくさんあり、個人的には様々な発見を得られました。
詩人という生き物は、私たちが日々の生活の中で見落としてきたことを拾い上げてすんなりと言語化してしまうなと改めて思った。
逆に言えば、それができるこの本の作者は根っからの詩人なんだなとも思った。
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この1冊で、何日分のコース料理食べたんだろうかという、濃さ!!最果タヒが濃い
高くて美味しいものって、ちょっとずつ味わうからその良さが発揮できるのであって、これもそういう本、じっくりじっくり、一章一章、読み進めてこそ良さが発揮される。すきです