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「怪談牡丹灯籠」を生んだ近代落語の祖・三遊亭圓朝。師匠や弟子に裏切られる壮絶な芸道を歩み、人々に愛される怪物となった不屈の一代記。〈解説〉中江有里
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幕末・明治の芸能を代表する、近代落語の祖・三遊亭圓朝。
江戸から明治への激変期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開き、「怪談牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」などが今なお語り継がれる伝説的な噺家の一代記。
母・兄に猛反対されるも芸の道に進んだ圓朝。
歌舞伎の技術を盛り込んだ芝居噺で人気を博すものの、師匠や愛弟子から嫌がらせにあい、窮地に追い込まれる。数々の苦境を味わわされる中、自らが生みだした怪談噺や人情噺で独自の境地を開き、押しも押されぬ人気咄家に成長するが・・・・・・波乱万丈な芸道を這いつくばり、女性関係や息子との確執にも悩んだ圓朝。
新田次郎賞・本屋が選ぶ時代小説大賞W受賞の奥山景布子が迫る、「伝説的落語家」の素顔とは――
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・奥山景布子「圓朝」(中公文庫)を読んだ。圓朝は幕末明治の偉大なる落語家であつたといふことは知つて知る。代表作「牡丹灯籠」を初めとして、実に多くの落語を作つた。続き物だけでなく、三題噺からできた「鰍沢」や「芝浜」もこの人の作として有名である。しかし、その生涯は知らない。実際、作家でも役者でもさういふ人が多いのだが、落語家となると、昔の落語家などはその名前さへ知らない。まして その生涯をやである。圓朝の場合、これに続く人がゐないから、圓朝と言へばあの圓朝である。すぐ分かる。例へば圓生だと、昭和の名人である6代目圓生しか思ひ出せない。ところが、当然ことながら、さうではないのである。本書には圓朝の師匠の二代目圓生が出てくる。更に、圓朝が継がせた3代目や4代目の圓生が出てくる。それだけでな く、現在活躍してゐる多くの落語家の名前が出てくる。圓朝の父は初代橘家圓太郎であつたし、柳橋や文治と落語家 の組合(?)作つてゐる。橘家は三遊派の音曲噺系統の名前だといふ。当代立花家橘之助が先代円歌の弟子であつたのは正当だつたのかと思ふ。しかし、芸人の一生などは気にしない、気にするなと言はれるかもしれないが、圓朝ほど有名になると、やはりさうも言つてゐられなくなる。なぜあんなに多くの噺を作つたのか、なぜ素話にもどつたのか等々、気になることが多いのである。
・何と言つても気になるのは、本作「圓朝」がどの程度の事実に基づいてゐるかといふことである。本作には評伝と か、伝記小説とかは付されてゐないし、事実に基づいて書いたとかのあとがき等もない。細かい部分は作者の想像力 によるのだが、基本的な流れはどうかと思ふ。インターネットで検索してみると、本作は圓朝の基本的な人生をきちんと踏まへてゐるらしい。ここには初高座がいつで、二つ目、真打ちになつたのがいつでなどとは書いてないが、二十歳前には真打ちになつてをり、その頃には道具噺を始めてゐたらしいとある。実際には十歳で二つ目、十六歳で真打ちである。さすがに名人、といふより、時代の差であらう。若い。十九歳で道具噺を初めてゐる。二つ目と真打ちの間に国芳の内弟子ともある。母親は息子を芸人にしたくはなかったらしく、その頃あちこち奉公させていたらし い。どれもすぐにダメになるのだが、その一つが国芳、これは道具噺の道具作りに役立つた。本書巻末には参考文献 目録がある。圓朝全集はもちろん、それらしい書が並んでゐる。これだけ読んで書いたのだと思ふ。これを生かすも殺すも作者の想像力、創造力次第である。私にはそれを判断することはできない。ただ、圓朝の若い頃は緊張があつ たが、晩年、政府高官に出入りするやうになつてからは、それがなくなつて平穏になつたやうに思はれる。弟子に裏切られ、二代目圓生に高座でいぢめられたりすれば、誰だつてまゐつてしまふ。それをはね返して更に大きくなつていつた圓朝は本当にゐたのだらうとは思ふものの、事実は小説よりも奇なりといふから、本当はこんなことではすまなかつたのではと思つてみたりもする。私もきちんと調べれば良いのだが、そんなことをしない怠惰ゆゑに、こんなことを考へるのである。本書の圓朝は奥山景布子の圓朝である。「牡丹灯籠」等の成���過程もどきも書かれてゐる。 「鰍沢」があのやうな場で作られたのかと思ふと、最初の噺を聞きたくなる。それを更にふくらませて現在の噺がで きたのであらう。それはここには関係ないけれど、やはり気になる。圓朝は落語中興の祖である。中興の祖の苦しみよりも喜びやうれしさを感じるやうなことはなかつたのかと思ふ。長篇だが短い。しかたない。