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<女性の擬態>をテーマにしたエッセイ。
著者のインベカヲリ★さんの語りと、女性たちのインタビュー、ポートレートで構成されている。
<擬態>に、ドキッとした方も少なからずいらっしゃると思う。
<私>は、いったいどこまでが<私>なのだろうか、と、悩むのは男女関係ないと私は思うが、女性は特に「女性であれ」という抑圧を社会から受けている場合が多い。
インベさんに写真を撮られにくる女性は「優しくあれ」「慎ましくあれ」などの社会から要請される<女性らしさ>を、<擬態>して生きている人が多いと感じるのだそう。
本来の自分を隠し<擬態>して生きている女性が、本当はどんな人で、どんな思考をしているのかを、せきを切ったように語っている。
とても興味深く、面白い。
ストーカー加害者の女性、自分を『百万回生きた猫』のようだと思う女性、ネットで「あなたを殺してあげます」と、書いていた相手に会いに行った女性、安定剤を飲まないと人と会えない女性…
「あなたを殺してあげます」と書いている人に会いに行った女性の顛末は、まるでドラマ、いや、ドラマだとリアリティがない、と言われてしまいそうな展開で、リアルの不可思議さを思った。
彼女たちを見るインベさんのフラットな視線が安心する。
自分が出会ったことのない方たちばかり(いや、ほんとの姿を私が知らないだけかも)で、最初はこんなひともいるのだな、と驚いたりしてたのだが、彼女たちの語りが深まるにつれ、深く共感したり、好意を感じたりするようになった。
人って、社会性の皮を剥くと、すんごく面白い、と、思ってしまう自分は悪趣味なんだろうか。
インベさんは女性のポートレートの他に事件ルポも書かれている。
そうか、この人は自分の目で、上っ面だけじゃない人間の本当の姿を見たい欲が強い人なのか。
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生きづらさを感じる女性に響く作品ではないでしょうか。
筆者はカメラマン兼作家である。
自分を撮って欲しいと依頼があれば、インタビューを交えつつ、被写体の方のストーリーを綴っていく。
日本社会が求めている普通を演じるのが辛い人、
何者かになるために高価なブランドを身に着けて擬態する人、
アダルトチルドレンで社会でもがき続ける人、
自分とは誰かわからなくて求められる女に擬態する人、など様々な日本の女性の写真と人生ストーリーがセットの短編のエッセイ集となっている。
“過剰にシステム化された社会に適応できない人が、薬を必要とするようになったのかもしれない。もしも日本に生まれていなかったら、おもちちゃんは病気になっていなかったのだろうか。
「なっていないかもしれません。だってインドみたいに電車の上に人が乗っていたり、遅刻が当たり前の国だってあるわけじゃないですか」”
p.116より
日本社会に適合しなければ病名をつけられラベルを貼られる。当初は自分が何者かわからないから、他の人もいるんだという安心感に包まれる。
しかしそのラベルは“普通ではない”扱いづらい人としてレッテルを貼られてしまい、徐々に差別に悩まされることになる。
わたしは幼少期から、“女だから”、“長女だから”と役割を押し付けられ、それに反発していくうちに性自認は女で女性が好きなことに気づいた。所謂レズビアンである。
何人か男性と付き合ったけれどもそれは社会の当たり前に合わせていただけかと思う。
男性と付き合っても“女らしさ”を求められた。
それが苦痛だった。
男性が9割の職場では“女だから”と当たり前のようにネガティブにその言葉を利用される。
すると更に男性嫌悪が始まるのである。
こういったわたしの社会での生きづらさを感じている女性も沢山いて、日本の社会のシステムに適合するように擬態して、自分が何者かわからなくなってしまった結果、精神障害を発症するのだと思う。
lgbtは精神障害が多いと軽蔑されるが、
逆になにも精神障害を持たない普通と呼ばれる人間がマイノリティなのではと思う。
所謂普通の人生を歩んでゆく人は
そもそも生きづらさなど感じないため
少し心の調子が悪くても気づかない
わたしはおかしいんじゃないか!?という発想に至らないからであると思う。
最近、“普通”であると自覚している友人達に、
適応障害とパニック障害発症していま仕事は休職中と伝えた。
仕事のストレスによってメンタルを崩したのである。
すると、「わたしもそうだったわ!あれってそういう病名だったんだ」
と複数の人からその返答を貰った。
この本を読んで各々インタビューから
こうすればいいといった対応策などは提示されない。
むしろそれでいいのだと思う。
ただわたしは共感を得たかったのだと思う。
普通じゃないけど生きていてもいいのだと気が楽になった。
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「擬態」という言葉が何度もでてきて、あぁ、言葉にすることがなかった違和感や生きにくさを、こう表現するんだ、と思った。
なんの予備知識もなく、たまたま手に取って目にした最初のエッセー「私の顔は誰も知らない」、続く「理想の猫とは?」を読んで、この人は、いままで実体がみえず存在もよくわかっていなかった感覚を形にしてみせてくれるひとなんだな、と思った。
彼女の本業は写真家で、彼女の写真をいいと思うかは、まだ見ていないので、わからないけれど、このエッセー集の中には共感したり、はっとしたりすることたくさん。
どれもそれぞれに味がある中で、一つだけ備忘で書いておくとしたら、私としては「「ふあふあa」を辿る」かな?
「ふあふあa」、それを手に入れれば、自分は"人間“(自分の姿)になれる。
そして、それは、わかりやすい社会的承認に限られない、って、結構いいな、と思う。
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10代の頃から感じた やってらんねえ という自己の中のモンスターをセルフポートレート、のちに他者の撮影であぶりだし続けた写真家さんのエッセイです。
女性だけをとりあげて組み立てているので、いやいや男も抑圧されてんのよ、とインベ氏に心中語りながら読みました。
そんなことより、とにかく
登場する女性たちのエピソードが
興味をひくものばかりでした。
隣にいると想像したら、
キツい女性もいました。
素直な感想。
インベ氏の文章は、
平素で、何より正直な言葉が選んであって、
好きでした。インタビューで起きていることは、
生きにくい女性のカウンセリングではなく
受容です。そこがまた
この本の訴えてくるポイントです。
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ここに登場する女性たちが異常だとか、生きづらいだなんて私は微塵にも思わない。みんな何処かで抱えているものを表現しているかしていないか、だと感じた。素直すぎるが故に日本の社会では羽を伸ばせない、そんな人が沢山いると思う。