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ヨハン・ノルベリ氏の主張は人類のポジティブな面を強調する傾向があり勇気付けられる半面、斜に構えてしまう時もある。世の中の分断や、テクノロジーが歯止めが効かなくなるのではとの懸念があるなか、ホモサピエンスがどちらに向かうのか考えるきっかけになった。
オープンかクローズかは、古代ローマの盛衰を見るだけでも示唆がある。それを複数事例挙げながら説得してくる。11/9も9/11もテレビで中継を見た世代としては、うまく描いたと感じた。
わたしの理解では、経済はボーダレス、政治はボーダフルという性質があり、時代によってそのグラデーションが変化する。新自由主義の行き過ぎがあれば揺り戻しが起きる、といった具合に。歴史は一方向に進むのだ、という千年王国やへーゲリアンのような考えは尊重はするが与しない。それを改めて認識した。
なお、著者はハイエクを好意的にとらえているのだが、翻訳をした山形浩生さんはハイエクがチリの独裁者ピノチェトを支持してことを指摘するなど、山形節を味わえる。これもこの本の面白さであると感じた。
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マーケティングや組織論の本だと思っていたのだが、内容は世界史や地政学にひどく偏った内容だと感じる。この本を選んでしまった自分自身の大失態。。
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自由でオープンな方がいいよね、という考え方に反対する人はそんなにいないはず、だけど一方で自分たちとは違う人たちを排除しようとしたり線引をして仲間とそれ以外を分けたくなる衝動も内に秘めている。
オープンだという自覚には疑いを持ったほうがいい。どこかでクローズドへの憧れや欲求のようなものが実はあるのかもしれない、と思っているくらいが、丁度良いのかもしれない。
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「オープンな社会の方がクローズな社会よりも望ましい」という直感的にも納得感のある主張を、歴史を振り返りながら検証していくと同時に、なぜ人類はオープンな社会を維持できないのか/維持するにはどうすればいいのかについても考察された本。
人は、共感しやすい内集団と攻撃的に振る舞いがちな外集団をつくりだすが、内集団を広げて、多様性をどこまで取り込めるかが、オープン性にかかっているような気がした。
この内集団と外集団の境界は簡単に変化するもので、外集団と接して共通点を見つけるだけでも内集団は広がるし、逆に内集団内で疑心暗鬼が広がるだけでも内集団は狭まる。
オープン性を維持する方法は、シンプルに、外集団との接点を持つことと、内集団内での風通しをよくすることかもしれない。(もちろん、組織が大きくなればなるほど、このシンプルなことをやる/やり続けることは難しくなるが。。。)
あとは、ゼロサム思考が蔓延らないようにするということかもしれない。外集団の得は内集団の損というゼロサム思考は、なんとなく正しい気がしがちだが、必ずしもそうではない。(移民という外集団によって、仕事が奪われる/犯罪が増えるといった話は、数字を見ると必ずしも正しくない)
自由貿易や感染症に対するグローバルな対応等、オープン性を追求することで非ゼロサムの実現に繋がることに注目する必要がある気がした。
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オープンの良さとオープンにできない要因が共感。内容を急いで知りたい人は山崎さんの訳者後書を読むと要点分かります。
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日経新聞2022716掲載 評者:福田慎一(東京大学大学院経済学研究科教授,金融論,国際金融論,マクロ経済学wiki)
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歴史上、新たな技術などの”異質なもの”に対して「オープン」な姿勢で接した国家が成功してきた反面、それらの国々がいつしか「クローズ」になり、没落していったのはなぜか。人間の進化の過程を遡ってその要因を明らかにし、現代社会に影を落としつつある「クローズ」の脅威に立ち向かう方策を提唱する啓発書。
著者は、かつての古代ギリシャやローマ帝国から、8世紀以降のイスラム諸国、宋代の中国や近代オランダ帝国に至るまで、歴史上「帝国」と呼ばれた国々に共通する成功の根本要因は、”他所者”たちと能動的に交流する社交性や、それらがもたらす異文化や新技術などを認める寛容性と、既存の価値観に捉われずに新たなものを積極的に学び、模倣して取り入れる柔軟な精神にあったと分析する。
しかしそれらの国々が様々な要因で政治的・経済的に行き詰まると、社会生活が「ゼロサムゲーム」であった旧石器時代以来の人間の本能が呼び覚まされ、人々は”仲間”(オレたち)と”他所者”(ヤツら)を区別して後者を敵視し排外的になるとともに、未来の不確実性を嫌う一方で過去を美化し、古い安定的な価値観に執着するようになり、最終的には国全体が衰退することになるという。
著者は、17世紀以降のヨーロッパ啓蒙主義とイギリスの産業革命、それに続くアメリカを中心とした現代社会の繁栄が、今のところ歴史上「唯一の例外」であるが、それが今後も継続するかどうかは、「保守 vs リベラル」ではなく、「オープン vs クローズ」の対立軸を乗り越えられるかにかかっており、我々一人ひとりが本能的なクローズの誘惑を克服する必要があると説く。
誰もが頭では理解しているオープンさの重要性、それでも時にクローズになってしまう要因を、人類の歴史や人間の本能といった観点から丁寧に紐解き、説得力のある理論を展開しており、翻訳者のあと書きも含めて、「オープン」を読者一人ひとりが自分事としてより深く考えるきっかけとなる良書。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12761045325.html
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昨年末に久しぶりにこれは良いと思った本を読了することができました。
前に進めるためにはオープンであることが必要であること、その一方で新しいことに対する、本能的な反応からクローズドになる傾向があり、それに対してどのような姿勢をとるべきなのかということ、またそれらを歴史的な事象からどのように読み解くのかなど、多くの事象をもとに展開されているので説得力があると考えます。
年が変わる今のタイミングで読んだこともあり、新しい事象にも拒否反応を示さず、オープンな姿勢を継続することで、変化にも前向きに対応するようにしたいと思った1冊でした。
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前半はOPENな社会とその効用について歴史的に振り返り、後半はそれに対する抵抗勢力やオープン性が継続しない理由についての考察となっている。
個人的には、主にネットやSNS等で絶えない紛争について、なぜそのような分断が深刻化するのか俯瞰的に眺めた箴言に膝を打った。
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■■概要・感想■■
○人類の歴史を振り返ったときに、OPENさを基調とした組織は発展し、クローズドな組織は発展しなかった。その実例たんまりで解説した本。
○これとFACTFULLNESSとを続けて読んだことで、自分の常識が古くて間違ったていたり、懐古主義だったりすることに気づくヒントを得られた。
○OPENであることの重要さとともに、Closedになってしまう心境、本能、実例などがある。両方の側面から見ることで、それでもOPENでいることは大事。というか、今まで成功した事例は、ホントはclosedにしたかったけど、openにせざるを得なかったという状況が、全体のレベルアップに貢献したということになったのだと感じた。