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立命館大学大学院先端総合学術研究所で、哲学者である小泉義之教授の指導を受けた人たちが中心となって編まれた論文集。内容は発達障害や虐待、SMや釜ヶ崎周辺のゲイカルチャー、看護やパラリンピック、果ては妖怪人間ベムまで多岐に渡っているというか渡りすぎである。立命館大学大学院先端総合学術研究所自由すぎるだろ。とはいえ内容は「狂気の倫理」という書名に反してしごく真っ当で、ある意味素朴。中には(自分には)ピンとこないものもあったが多くは興味深く読むことができた。
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小泉義之先生の紹介から辿ってきた.福祉従事者がときおり見せるパターナリズムや過剰包摂への疑問から手に取ってみた.装丁が素敵.そして帯の文章が良い.
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正常とされる立場、物の見方、価値観に対して、「それ以外の人間(≒狂気?)」の生の肯定。
魅力的なテーマに感じて手に取った。ただ、正常とされていることとそれ以外を考える場合の倫理といった、「正常とされること以外」を概観して分析するような内容を期待したが、いくつかの(小)テーマで、その中での「その他」に光を当てる批評?群といった構成で、少し期待とはちがっていた。
また、批評の取り扱うテーマもかなり雑多で、それぞれの質もあるが興味をひくものとひかないものもあったことから、つまみ読みした。
記憶に残ったポイントは以下の2つ。
①症状/問題のラベリングにも、内容によって、効果やアプローチの違いがあるということ。
具体的には、「毒親を持つ」と「アダルトチルドレンである」は類似するラベリングに思えるが、ラベリング対象の子供の治癒/治療的な意味では、毒親は他責を明確化(実際、事実なら他責で問題ない)し、どのような子供にもハードル低く適用でき治癒効果が出しやすいが、アダルトチルドレンは、自分の変容を求めることからハードルがある。ただし、毒親というラベリングだけの問題は、結局、他責し続けても問題解決せず、自身の変化/成長が必要であろうという考えもある。
ケア倫理は、正義論などの自立した男性的な個人を前提にすることを批判から注目浴びているが、ケア倫理自体も、「正常な」家族を前提にしており、おひとり様や問題のある家族などは、スコープに含まれていないという限界がある(=まだ、その他がある)。
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テーマは面白い!
でも論文の内容は至極まともなものが殆どで、全然狂気じゃない・・・
狂気な倫理とは。