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民主主義というのは多数決ではない。多数決は少数意見を見捨てることになる。熟議すること。そして折り合いをつけること。妥協案・折衷案を見つけること。A or Bではない。みんなにとってより良く納得のいくC(A′やB′かもしれない)を見つけていく。だれ一人置き去りにしない。まずは最上位の目標を明確にすること。それさえ見誤らなければ、それまでの慣例や、それぞれのこだわりなどは捨てて新たな取り組みをしていけばよい。本書には数多くの実践例が紹介されている。合唱コンクールの問題点、言われてみればそうだなあと思う。僕は比較的歌うことが好きだし、やはり子どもたちが熱心に歌っている姿には感動するし、ときには涙する。なくしてほしくないなあとも思う。しかし、相当苦痛である生徒もいるはず。何よりも優劣をつけることにいかほどの意味があるのか。文化祭という場を使って、歌うことが好きな生徒たちが集まって観客を楽しませればよいのかもしれない。バンドでもいいし、演劇でもダンスでもいい。裏方でもいい。行事ごと一つとってみても、まず何を目的にしているのかを再度考え直すべきなのだろう。三者面談はどうか。何でも情報共有するのが良いのか。そのために、生徒も保護者も嫌な思いをする、何のために時間を取って面談しているのか。ここにも再考の余地がある。自分には何ができるだろうか。進学塾としては「それぞれの第一志望合格」が最上位の目標になる。しかしそれと並列に、あるいはより上位に「学ぶことが楽しいと感じる人間づくり」を目標にしたい。楽しければ学び続けることができる。リスキリングということばが流行っているそうだが、学び続けている人間にとっては不要な概念のように思う。学校が、生徒にとっても教員にとっても保護者にとっても楽しい場であれば良いと思う。それは職場でも同じこと。持続可能というのは実は「楽しい」ということではないのかと思う。それぞれに楽しいと感じる感じ方は違うだろう。それでも、みんながなるべく楽しくいられるような状況を作り上上げていければいいなと思う。それが僕の最上位の目標です。ですが、なかなかそうなっていない。どうしても叱るということに依存してしまう。危険なことはもちろん叱る。それだけでなく、他人の自由を侵害するような行為(学びを妨げるような行為)に対してはついつい声を荒げてしまう。「自由の相互承認」という考え方を授業の中でも伝えたりするのだが、なかなか浸透していかない。実を言うと、自分が電車の中で本を読んでいて、横で大きな声でおしゃべりをされると集中できなくなってしまう。そういうことがあるために、自習室でしゃべっていたりするとついきつく言ってしまう。苫野先生、これどうすればよいのでしょうね・・・叱る方も、叱られる方もどちらも気分良くはないですからね。
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<目次>
序章 学校は何のために存在するのか
第1章 民主主義の土台としての学校~全員が合意できる「最上位目標」を探せ
第2章 日本の学校の大問題~民主主義を妨げる6つの課題
第3章 学校は「対話」で変わる~教育現場でいますぐできる哲学と実践
終章 教育を哲学することの意味
<内容>
麹町中校長で、宿題全廃・全員担任制などをおこない、現在横浜創英中高の校長をしている工藤勇一と熊本大准教授の苫野一徳の対談集。ここでは工藤氏のポリシーが聴ける。タイトルの通り、学校は民主主義を教える場、なのだが、それができていない。民主主義の根幹は、「全員が合意できる「最上位目標」を探すこと」。なるほど目からうろこである。現在、民主主義は終わったとの説も出るくらい、日本の、いや世界の民主主義は閉塞感に満ちている。多数決などが問題なのはわかっていた。工藤氏は、多数決ではマイノリティが排除されるし、彼らの不満がたまるだけ、という。「全員合意」がポイントで、でもそんなことは無理なので、「最上位目標」という形で、妥協点を見つけること。皆が歩み寄ることが「民主主義」なのだという。学校は、その勉強に、訓練に最適なのだという。確かにそうである。そこから始まり、今の教育界の膿を次々と指摘する二人。自分も学校現場にいて、納得の話である。教育関係者は、特に若い層の人は読むべきである。
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学校は何のために存在するのか?→子供たちが「社会の中でよりよく生きていけるようにするため」にある。だからこそ子供たちに「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち「自律」する力を身につけさせる必要がある。これは工藤先生が、これまでの著書の中で一貫しておっしゃっていたこと。ここまでは私も同じような事を思っていた。しかし、「学校は民主主義の土台を作る場」と言う発想はなかった。この先に言えるのは、学校とは「平和教育のためにある」と続く。哲学的な話になり、初めて耳にするような言葉が飛び交っていて新鮮であった。また、あらためて民主主義について考えさせられるいい機会となった。
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本番さながらの選挙についてや、横断歩道を事例とした海外との違いなど、とても興味深い内容だった。疑問に持つことも重要。ただ一方で、社会の慣習に寄り添う場面も少なからず必要だと思う。そうした中、双方の主張を踏まえた新しいアイデアを出して合意形成を図る発想は、新鮮でとても良い。まだまだ、学ぶべき事があることを痛感する。
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「いじめ調査の目的は、苦しんでいる子どもがいないかどうかを探し出すことで、いじめの件数を減らすことではありません」。数字目標が自己目的化し、問題解決を置き忘れる公務員組織に対する痛烈な批判である。
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感想
学校での哲学教育。日本では民主主義は外から与えられてきた。自分で勝ち取った実感は薄く権利を行使しない。子供達に自分で考える機会を与える。
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ちょうど、「民主主義とは何か?」と疑問に思っていたところにこの本が出版され、すぐに購入した。
大方の議論に異論は今のところない。
改革をしていく、デモクラシーを起こしていくことはとても勇気がいることだ。教育学部生の頃は志高かったはずの私も、若手教員になり、気づけば周りに流されて「仕方ない」と思ってしまったりする。しかしそんな若手でも少しずつ変えていけるのだというメッセージには励まされた。
納得できないのは「心の教育」への批判である。
「トラブルが起きない社会」が問題なのは理解できる。しかしそれを「心の教育」のせいだとするのはクリティカルではない気がするし、「心」の軽視を感じる。
私自身「心」について語る材料をもっていないので深く議論はできないが、違和感が残る。
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学校改革の旗手と教育哲学者が教育の本質を徹底議論。
「多数決で決めよう」のどこに問題があるか、わかりますか?
この問いに、明確に答えられる人がどのくらいいるのでしょう。
対立を乗り越え合意形成のプロセスを経験させる、学校で起きるトラブルこそが絶好の学び場であるはずです。
いじめ、理不尽な校則、不登校、体罰、心の教育、多数者の専制、今の学校が抱える問題を分析し、何ができるか、どこから変えていけるかを明確に示してくれます。
教育をめぐる議論って、すぐに「○○すべきだ」「いや、◇◆すべきだ」と「べき論」が交わされてしまいますよね。でも、べき論をめぐる対立は、多くの場合どこにも行きつきません。そこで、そんな信念の奥底にある欲望、つまり「○○したい」「~でありたい」に目を向けてみる。するとそこに、意外と相互理解が生まれる可能性が見えてくるんですね。私たちは、異なる信念は許しがたく思ってしまうんですけど、その底の欲望に対しては、「ああ、その気持ちならわかるなぁ」なんて思えたりするんですね。「意外に同じことを望んでいたんだね」ということも見えてきたりします。だったら、そのお互いの欲望を満たす、もっといいアイデアを見つけていこうと、建設的な対話ができるようにもなる。意識しているといないとでは、議論の質が大きく違ってくるのではないかと思います。 ー 136ページ
僕は日本の学校に民主主義が浸透したかを示すひとつのバロメーターは、高校野球の甲子園大会がなくなるときだと思っているんです。僕も甲子園を見るのは大好きですけど、どう考えても夏の炎天下にフラフラになったエースが連投するって人権的に大問題でしょう。それに一度負けたら試合ができなくなるトーナメント方式も大問題ですね。 ー 209ページ
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多くの人と共有したい内容の本です。
多数決の問題点、わかりますか?
考えたこともありませんでした。当たり前な手段だと思ってました。多数決という仕組みは、少数派を容赦なく切り捨てる、多数者の専制に陥ってしまう。誰一人置き去りにしない社会を作るために、何をすべきか、それぞれに考えて、対話しながら、社会を作る。民主主義の原点を教えてもらいました。
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学校は民主主義の土台をつくる場である、という常日頃考えていたことを言語化してくれた本です。
本書では、理想的な民主主義とは何か?ということをはっきりと示しています。「誰一人置き去りにしない社会をつくる」ということです。
この定義、すごい!と心から感じました。
今の日本も、民主主義を謳う諸外国も、この理想にはまだまだ届いていませんが、「誰一人置き去りにしない」ことを原点にし、そこを目指すことが教育や社会をよりよくすることは明白です。
今後、自分の教育の軸にもなり得る言葉を掴めたような気がしました。
民主主義の実現のために「最上位目標」を設定する、というところも目から鱗でした。
子どもたちだけでなく大人同士でも多数決なしに話し合いの結論を出すことは難しいです。根気と時間が膨大に必要です。
「最上位目標」の合意をしたとしても難しいかもしれませんが、話が逸れたときなど、常に立ち返る本質としてとても重要であることは間違いないと思いました。
一方で、工藤さんは行政に近い立場だったこともあるからか、組合を軽んじた発言や教員への管理的な言葉などはやや気になりました。
苫野さんが対談相手であることでその辺は上手くバランスがとれているのかなとも思います。
学校は社会の縮図です。
自分が「こんな社会にしたい、生活したい」と思えるようなクラス、学校を作っていくことが教員の大切な役目だと思ってきました。
本書は、これまでの自分の教育観を言語化し、強化・アップデートしてくれた一冊です。
教員養成の入門書としてもおすすめです。
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民主的な学校=自由+自ら対立を解決する仕組み
民主主義はみんなで政治をする以上、「いかに衆愚政治を防ぐか」と「いかに多数者の専制を防ぐか」をセットで考えなければならない。
対話をする際に、最上位目標は何か?という設定と合意が必要不可欠である。
教育現場では、心を教育すればうまくいくという「心理主義」が浸透しているが、実際はそうではなく、対立をどう乗り越えるかという「行動の教育」が必要である。
信頼されるために、「どうしたの?」「どうしたい?」「手伝えることは?」の声掛けが有効。
「よい」教育は何か?という最上位目標を見失っている今、「〇〇すべき」ではなく、「〇〇したい」という教師の欲望を共有することによる相互理解が重要。
スピーチの場が少なく、「言葉は伝わらなくて当たり前」という前提が浸透していないため、いざその場面になると意思疎通ができないイライラが生まれる。もっとスピーチを増やして、「話が聞いてもらえない」「意思疎通ができない」という体験を積むのが良いのでは?
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とても勉強になった。
読みながら、たくさんメモしたくらい。。
学校の先生じゃなくても、知っておいていいことだらけ。
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苫野さんと工藤さんが対話することで工藤さんの独りよがりにならない実践となっている。
簡単に読めるし、教員養成としても考えさせる面もあるので、ぜひ読んでみることをお勧めする。
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すごく面白かった。
今の教育界の現状に対して、鋭い視点で問題を指摘している。キーワードとなっているのが、「最上位目標の設定」。これに尽きる。何か活動する際に、ここに立ち返ることを徹底し、自問自答し、自分を変えていく。自分も意識したい。
また、「当事者意識」も大切な概念であると感じた。これがあるからこそ、自分たちで動き出し、活動を意味あるものにしていく。授業の場面だけでなく、特別活動や号令、給食当番といった日々の小さな活動も、全てこれにつながる。
人は簡単に変わらない、敵を作らない、妥協なくして平和はありえない、いじめゼロはあり得ない、心の教育には無理がある、行動変えるのは簡単、まずは青臭い話から、こだわりを捨てて自己修正していく…心に刺さる言葉がたくさん出てきた。現場を見ているからこそ、こちらが共感できるものがたくさんあると感じた。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。このことわざのように、子どもと同様、職場内でも環境(きっかけ)づくりに注力していきたい。
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多数決はA案B案のどちらでもいいとき(どちらになっても利害がない場合)使ってよい。
自由への相互承認
誰もが生きたいように生きたいと思っている。それを認めること。
お互いに認め合うことをルールにした社会作りをしていくことが大事。
憲法とは、国民から国家権力への命令である。
だからルールはみんなで作っていくもの。
「他者の自由を侵害しない限り、みんな違ってみんないい」こらが民主主義の考え方?
責任ある行動をとる力(当事者意識を持つ)
対立やジレンマに対応する力
新たな価値を創造する力
これらを手段として、誰もが取り残されない社会をらつくっていく。
話し合いをするときのポイントは「誰が気分を害するか」ではなく、「誰の利益を損ねるか」を考える。
この案を採用したら、誰が得をして誰が損をするのか。損をさせない方法はあるか、と考える癖をつける。
「トラブルが起こらない社会」を目指すのが「心の教育」で「トラブルが起きた時に解決できる人材がたくさんいる社会」を目指すのが「行動の教育」であり、民主主義教育である。
トラブルが起きた時には、「どうした?」「どうしたい?」「何か手伝えることはあるかい?」の声がけ。
これからの教員に求められる能力は「自律を支援する技術」
リーダーが全校生徒に語る時に必要なのが、みんなを当事者に変えていく言葉である。
三者面談の目標
「学校と保護者の信頼関係が増す」「学校と子どもの信頼関係が増す」「親子関係が少しでも良くなる」