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100年の歳月をかけて完成した中世ラテン語辞書。本書は、特派員記者である著者が2014年秋ロンドンで「中世ラテン語辞書作成プロジェクト完了」の記事を読んで興味を持ったことをきっかけに、関係者への取材をしてまとめたものである。
英国人のつくった本格的な中世ラテン語辞書の必要性が英国知識人の認識となっていた1913年、OEDと同じやり方での辞書づくりのアイディアーボランティア「ワードハンター」の協力を得て、英国古文献からラテン語を採取してもらうーが出され、英国学士院の事業として実施されることとなった。
二度の大戦という試練を乗り越え、事業は継続されていったが、その間には財政問題や編集に時間がかかり過ぎることへの不満が出されるなど、幾多の困難があった。そうした困難を乗り越え、辞書は完成した。
多くの人の努力が実を結んだことは実に素晴らしい。しかしながら、コスパ、タイパが重視される現代、果たしてこのような文化事業はできるであろうか、特に日本において。できて欲しいと強く思うのだが、効率重視、短期発想に対抗できるどのような原理的思想があり得るのか、重い課題であることを強く感じた。
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「一旦ラテン語学ぼうかな」
「効率化や利益がなくても価値ある生活とは?」
⚫︎英国人の文化と誇りをかけた中世ラテン語辞書について。日本で言う漢文=ラテン語、共通言語とした会話言葉はなくとも読み書き言葉として利用され続けてきたという点が面白い!日本ではアイヌ語が絶滅の危機にあるというが、日本のアイデンティティの確立(言語は元の言語がなくなってしまうとそのアイデンティティを喪失する?)という点で考え直すべきなのか
⚫︎結局は全てギリシャ文化が1番であり、それを理解する為、かつローマ帝国拡大により普及せざるを得なかったラテン語の存在は面白く、これだけ言われるとぜひ学びたくなる
⚫︎本書では利益や効率化を優先しない生き方を辞書づくりを通じてなぞらえている。”論語と算盤”のような考え方も増えてきているが、いちひと1人の生き方で考えるともっと文化を楽しみ、一見意味のないものに対して価値を見出すことが広まると良いと思う。今ではなく、未来や歴史をつくる、という観点でもう少し人生を考え直したいと思う。
⚫︎ 巨人の肩の上にのる矮人、謙虚に学ぶ姿勢
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うーん。
テーマ、取材力はさすが。でもタイトルと内容のずれが読み進めるうちに気になってしまい、最後は流し読みで終えてしまった。
新聞記者の性か、現代社会との対比を随所で試みてるけど、そのすべてにうっすら漂う「上から目線」も、ちょっと興ざめ。
ラテン語辞書の編纂をめぐるストーリーに、『The Surgeon of Crowthorne: A Tale of Murder, Madness』みたくもう少し注力してもよかったのかも。
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自分の仕事の結果が遠い将来にならないと分からない中で、「単に好きだから」という理由でずっと作業を継続する人々のエネルギーを感じた。他にも、時間をかけて丁寧な仕事をすることの大事さ、古典などの文化の伝承は時間と手間をかけてでも行うべきであるという考え方、日本語も滅びゆく言語になりかねないとの警鐘、など多角的な気づきを貰った本である。
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◯東京への遠征時に読むため、書店で購入。もともと大学で古典ラテン語を履修しており、ラテン語に関する文庫本だったので興味があった。(実際には往復の新幹線は眠ってしまい、この本は読み終わらなかった。)
◯まず最初に、「辞書の完成セレモニー」の場面から始まり、記者がイギリスのラテン語辞書編集者と日本の辞書編集者の間を行ったりきたりしながらインタビューを重ねていくスタイルは、「フェルマーの最終定理」のように物事の経過がわかりやすかったし、自分自身も一緒に旅をして、彼らの話を座って聞いているような臨場感があった。
◯ラテン語辞書を巡る話ではあるが、特に本書内においてはラテン語の単語や文法などについて言及していない。
著者の興味はラテン語そのものというよりも、「すでに死んだ言語の辞書を作ることに、なぜ百年もの時間をかけて、たくさんの人々が従事してきたのか」「上梓したところで、かかった膨大なコストは回収することは困難なのに、なぜそんな仕事に人生を捧げた人々が何人もいるのか」という2点にあり、そこから著者は「より早く、より効率的に、という現代のスピード感に逆行するような仕事には、いったいどんな世界があるのか」をそれこそじっくりと時間をかけ追究していく。
インタビュイーのもとまでわざわざ出向き、コーヒーを(ときには紅茶を)飲みながら、メールやチャットではなく相手と向かい合って話をしたのは、著者自身も彼らと同じ時間のなかに身を置き、体験したかったからなのかもしれないなと感じた。
◯私が学生の頃は、日本語で利用できるラテン語の辞書に選択肢がほとんどなく、ちゃんと使おうと思うと何万円もするでかい日羅辞典しかなかったが、現在ではスマホやPCがあればある程度無料で利用できるし、お金を払えば(確かジャパンナレッジで使えたはず)あの昔ながらの大きな辞書の電子版も利用できる。便利な時代になったものだと思っていたが、この本を読んで、そんな現代のニーズにフィットする電子辞書でさえ、もとをただせば「ワードハンターが作成した数万枚のスリップを、編集者がひとつひとつ吟味し、検証し、丁寧に編む」という泥臭い作業のはてにあるのだなあと感慨深かった。