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『翌日』
ペットロスの話。
うちも高齢の子たちがほとんどだから
考えたくないけど少し意識してしまう。
主人公の女性は、何だか金原ひとみさんが最近描く、気が強く仕事をバリバリしている系の人に性格が似ているように感じた。
『フィービーちゃんと僕』
金原ひとみさんの小説に何だか似ていたから、樹木のことを女の子だと何故だか思い込んでいた。
未土里のような女性、母親は面倒臭いなと思ってしまう。樹木は良く出来た子だな。
『灯台と羽虫』
これはただのペットロスの話じゃないな。
未土里が激し過ぎる。
樹木は良い子過ぎるし、睦は未土里以上に樹木によって人との関わりを変えていったのかも。
『チャイとミルク』
今回も良かった。長島さんの小説もっと読みたい。
やっぱりペットロスには新しい子を迎える事なんだろうか。
『去年の今日』
もっと読みたかった。また未土里たちに会いたい。
面倒くさくても、感受性豊かだったり自分の考えをしっかり持って主張出来る人は好きだなと思う。
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P76 まわりの人をケアすること、苛ついてるときの男の人がこわいこと、1人でいたい時に普通のトーンで言葉にするか態度に出すか
愛犬PBがなくなった日から翌年まで
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「愛する犬への透明な哀惜」(10月12日日経新聞書評)。
そう書かれちゃあ、犬好き、動物好きは読むでしょ。
愛犬PBの死を契機に、家族のひとりひとりが自分や、家族との関係について考えを深めていく。
自分を含め、同居する誰かを責める気持ち、後悔の念がストレートに語られる。故に、表面化してなかった互いの関係の歪みが顕わに、あるいは新たに生じる。
PBの今わの際を迎えるにあたり、バレエ友の真希ちゃんがかける言葉は良かった。
「未土里ちゃんが後悔しないように選んで、どのみち後悔は残るけど。」
そんな風に、ペットの死を乗り越えていく物語かと思って読んだが・・・
「ありのままの自分。これが自分という人間だ、と正当化してきた「自分らしさ」は、単なる開き直りだったのかもしれない。」(睦)
「どんな小さい感謝も不満も、未土里は言葉にした。好きな人を失わない方法で、わたしが知っているのはそれだけ。」(未土里)
「お母さんだって、そこまで考えてわたしたちを産んではいないはず。責任とか犠牲とかっていう、ただ正しいだけの大きな言葉に苦しんできたのを私は知っている。」(未土里)
どんどんと、各自が対人関係について思考を深めてゆき、物語のトーンは重く暗くなっていく後半は、読んでいてもしんどかった。
1年が経過し、最後には、死んでしまったPBが、未土里に語り掛けるような手紙のパートまで差し挟まれる。
それは、未土里に届いているのかどうかも良く判らない。ただ、そうした慰めや、自分での納得感を受け止め、進んでいかなければならないのだなと、読者は理解すれば良いのかな。
単なるペットロスのお話ではなく、それをキッカケした自分の内面の深掘りのお話でした。やや、分かりにくい。
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長島有里枝さんの本は、常にすごくリアルで生々しい。息子は自分の息子に重ねてしまう。そして主人公の気持ちもわかりすぎる。私は常に放っておかれたいのだけど、たまに話し相手はほしい。ただそれだけである。
三軒茶屋のtwililightでの朗読会にも参加したんだけど、そこで驚いたのは自分が思っていた小説の世界と、全く違う世界を見ている人がいるということ(良い意味で)。やっぱり、自分に寄せてしまって読んでいるのだなあと感じた。
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文体が自分に馴染みにくいと感じた。句読点の置き方、言葉の抜き方、など。でも、これは私と作者の相性の問題。非難や否定ではない。
柔らかく、優しく、淡々と、作者が「他者との関わり方」について思うことやそれについての考察を物語に散りばめている。気がした。
家族を失くすこと、自分を咎めること、他者を恨んでしまうこと。その上で、残されたこれからを一緒に生きていく他者をどのような形で慮るのか、尊重するのか、言葉を伝え合うのか。
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初めて行った本屋さんでこの作品を見つけた
たぶんあの本屋でなければ出会えなかった一冊
数ヶ月経って、図らずもいちばんいいタイミングで読めた
喪失を味わったあとの話
涙を誘うわけではなく、日常の時間の流れや心の移ろいを、優しさよりもさりげなさで描かれてる
私小説なんじゃないかと思うほどリアル
愛犬との別れを思い、苦しくなった
派手な作品ではないけど、一気に読み、すごく心に残った