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人の老いと死について、真正面から向き合った本。
達観しながらも抵抗せず、上手に楽に老いていきたいものである。
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高齢者の実際の様子が書かれてあり、身に済まされました。今から死ぬと言うことを考え、家族に延命をしないことをはっきりと伝えておきたいと思いました。
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高齢者本は様々あるが、小説家でもある久坂部氏の医療の現場を見ながらの高齢対策の本、天はいつまでも若い人を造らず、いつまでも死なない人を造らず。
歳をとれば、人格者になると言うのは間違いではありませんが、せいぜい70歳前後まででしょう。昔はそれぐらいで大体の人が死んでいたので、歳とれば人格者になると言われたのです。
スーパー元気高齢者の活躍、日野原重明氏、テレビで元気に活躍する様子を放送されるたびに、高齢者のお手本、素晴らしい高齢者だともてはやされていた時、医者をしている友人が、あの人は老害であると同業者では言われていると言う話を聞いて驚いたことを思い出した。
老いるということは失うことだと言われています、体力を失い、能力を失い、美貌を失い、余裕を失い、仕事を失い、出番を失い、地位と役割を失い、居場所を失い、楽しみを失い、生きている意味を失う。改行以前に読んだ田坂広氏の 死は存在しない を取り上げて、死後の世界、医学と宗教の関わり、についての指摘には同感するところも多かった。
キリストは、医療関係者の集団であった、と言うキリスト教発生の物語を思い出した。
私は今、命より大事なものがあると思っています。それは苦しまずにいると言うことです。命より大事なものはないと言う人は、多分今、苦しんでいない人でしょう。自然なしはさほど苦しくありません。
実は今が1番幸せ、これからどうオイルべきか、人は不幸には敏感なものだが、幸福には鈍感。お芋も、自然なこと、当たり前の事と受け止められれば、心も落ち着き、穏やかに暮らせるようになるでしょう。
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人に勧められて読む。
最初に書かれる壮絶な老いの様相にまずかなり衝撃を受けた。ただ、それを知っているか知らないかでは、実際に老いを受け入れるに際しての心構えがずいぶん違うと思う。
誰でも死ぬ時は大変なのか…。
知りたくなかったなあ。
抗わずどう生きていくかの指南書でもあるのだが、筆者の意見に全面的に賛同できるわけではないところも、ままある。特に胃ろう処置をするかどうかという点や安楽死について、安易にそうだよねと肯定できない。筆者も全面的に肯定しているわけではないが、医師としての発言はもっと慎重でもいいかなと思う。
どうせ、老いることは苦難を伴うし、死ぬ時も壮絶な苦痛を通り抜けるのだから、ぽっくり死ねるとか、いつまでも元気でというのにこだわるな、と筆者はいう。
一つずつ受け入れていこうと。
うーん。やっぱり嫌だなあ(笑)
でも知っておいてよかったとは、思う。
「弄便」なんて言葉初めて知ったが、これも当たり前なんだよねと思うと介護の時に気持ちがラクかな。みーんな通る道だから、と思うのはいいことだと思う。
最後に紹介された内田樹の言葉、さすが内田さん。与えられた状況に自分が合わせていくという武道家としての姿勢、かっこいいですね。
それから、水木しげる氏も流石と言うしかない。
ガリ勉して、同僚が遊んでいてもマジメに貯金をし、結婚もし、家も建て、子供も大学に入れて、万事将来の幸福のために備えた男が、臨終の時に言った言葉
「わしは少しも幸せではなかった」に対して
「あなたは幸せの準備だけをなさったのヨ」という妻を描いた『幸福の甘き香り』は読んでみたい。
「老後というのは、若い時の執着や邪心が消えて、いろんなものが見えてくるから、思ったよりいいものなんだ。」という水木しげるさんに倣って、老後は気楽に欲をかかず、退屈せずに楽しく気晴らししていけたらいいのね、と思った。
でもまあ、仕事をしながら、幸せの準備するのも実は楽しい気晴らしなのかも。
一つの考え方として、この本をうまく使えば良いと思う。
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若い時にしか出来ないこともあれば年をとらなければ出来ないこともある。
よりよく生き、よりよく死ぬには過去ではなく今を楽しむことが必要ですね。
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スマートニュースで気になりようやく借りられました。
高齢者医療に携わっている医師が書くなら大体そうであろう内容。
本当に本人が望まない延命は苦しいだけ。点滴以外にも食欲落ちてきている人に高カロリー食品を延々と食べさせたり。一度始めるとなかなかやめられないのが怖いところです。一時的な食欲低下なら確かに栄養補助食品で様子見た方がいいけど、それで細々といくのも辛いですよね。結局必要栄養量は賄えないから褥瘡になりやすかったり治癒もできないし。
やっぱり老化を受け入れて楽しそうに年をとっている本人や家族は幸せそう、に尽きます。
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老人デイケアに勤めた経験から見えてきた老いるとはどうゆうことか、について書かれた本。
いろいろな老人の実態が書かれていて興味深い。
中番から後編では老いや死にどう対応していくかが書かれていた。
老子や、釈迦の考え方を示していた。
弄便(ロウベン)認知症介護の最難関。認知症になると、便が臭い感覚がなくなり、便がきたないもの認識が消える。便を粘土のようにこねたり、ポケットにしまい込んだりする。
認知症の種類は4つに分けられ、混合型もある。
どの型かは死後脳を見てみないとわからないことが多い。
アルツハイマー型、レビー小体型、前頭葉側頭型、脳血管性。
認知症に様々なタイプがある。多幸型、不機嫌型、怒り型、泣き型、笑い型、いじわる型。
徘徊とは目的もなくうろうろ歩くこと。老人の徘徊には彼ら自身の目的があり、徘徊とは言えない。対応方法も書かれており、体験することになったら読み直したい。
齢をとれば人格者は70歳まで。それ以降は心身共に衰え、若者から尊敬されたいと思っても無理がある。敬老精神がほしければ、高齢者自身が尊敬に値する人物にならないといけない。方法は自らを受ケイれることフレーズ117参照
病気治療や健康に対して、医者は特別な能力を持っていない。良くなったのは本人の力。専門家に任せれば安心というのは医療幻想につながる、。期待は失望に変わり、自分の首を絞めることになる。
老いを目の前にする家族は、以前の問題のない姿と比較し、狼狽しなんとかならないかとあくせくする。日付を聞かれて答えられなかった本人は、これができなくなった。頭ではわかるのに、口にできなくなったと、無いものに捕らわれ不幸になる。対応としては試すのではなく、話を認めること。具体的に選択肢を提示する。コーヒーと紅茶どっちがいい?どれがいい?では迷いやすく答えられないことがある。
認知症の本人は、認知症になったら嫌だとか考えていない。認知症が嫌だと思う人は元気な人のみ。不安にならず認知症を受け入れる。年をとると、心身共に衰え、今までできていなかったことができなくなる。それを受け入れること。過去と比較し苦しまないこと。認知症にならず、頭がしっかりしている者も考えもの。自分の現状を理解できる分、家族や周囲の人に申し訳なく感じることも。
老いについて元気なうちから現状を知り、受け入れていく準備をすること。
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あきらめることは受け入れること。今のところどこも悪くない40代なのに、延命治療はしないでと家族に伝え済の自分にとっては、思っていることを言語化してくださっている良書。