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面白かった。BCLをやっていた頃はモスクワ放送をよく聞いていたが、子供だったし東西冷戦とかよく認識しないままだった。遠くソ連のモスクワから放送されているのを聞くということに意義を見出していたから。この本を読んで当時のその内部の話を知ることができ、とても興味深い読めた。
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これはロシアに限らずだが、国家間の対立が激化する中で、どんな時でも架け橋になろうとする人たちや人生は存在するのだなと感じられた。当然そういう役割を担うことは、現代よりはるかに難しいわけで、尊敬すべき人生。
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ソ連からの外国語放送。モスクワ放送で働いた日本人達の過去と現在を追った力作。分かり合えない二国の架け橋となろうと人たちの人生に感動。
ニッポン放送1242Hzより一つ高い1251Hzだったので、モスクワ放送は電波の通る夜に聴いたことがある。独特の抑揚の日本語、日本のマスコミとは異なる視点のソ連の報道。今のロシアよりもっともっとソ連は謎で不気味な国のイメージだったように思う。
そんなモスクワ放送で働いた日本人たち、シベリア抑留の果てであったり共産圏への憧れ、ロシア文学への憧憬など。入り口こそ違えどソ連初の日本語放送に携わった人々の壮大なドラマ。
距離的にも時間的にもスケールの大きなノンフィクション作品。
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開高健ノンフィクション賞
数十年前、ラジオを聴いていると、よく、モスクワ放送や、中国、北朝鮮のプロパガンダ放送が聴こえてきたものだ。ガーッという、妨害放送もよくあった。そのモスクワ放送に携わっていた人たちの話。
「悪の帝国」とか「おそロシア」とか言われるロシアやソ連だが、そこに住んでいた人にとっては、いい面も悪い面もあったという。ゴルバチョフ登場後、社会が大混乱に落ち入り、物価も信じられないくらい上がり、庶民の生活は本当に苦しくなったそうだ。物事を一面からだけ見るのは危険だということがわかった。
また、アナウンサーをしていた女優の岡田嘉子について調べてみると、普通にはありえない波瀾万丈の人生を歩んでいたことに驚いた。
また、黒田龍之介『ロシア語だけの青春』のミールが出てくるのが嬉しかった。
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ほとんどの国から嫌われているであろうロシア、実際はどこの国とも同じように99%の人々は、平和を望んでいると少し理解できました。
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ソ連の対外放送モスクワ放送は、1929年10月ドイツ語から始まり、日本語放送は1942年4月から2017年5月に終了。日本からモスクワを目指し放送に関わった人々の話。国営メディアの制約はあるもののラジオ放送は現地の政治、文化、市井の人々の暮らしをDJ目線から伝えることが比較的できたツールなのかなと思えました。今こそ、市井のロシアの人々が世界から孤立しないよう現地からのさまざまな声が必要に思われ放送の終了が惜しまれます。
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タイトルの意味がよく分かりました。
なんでロシアのプロパガンダに加担するのかと
批判しかできていなかった自分は、無知で愚かだった。ロシアにちょっとでも興味がある方には、ぜひ、
国営放送や政府系メディアの情報に触れてみていただきたい。
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ソ連の時代、外国に向けたラジオ放送が国家主導でなされていたという。日本語の放送もあり、それには日本人が関わっていたという。シベリア抑留者もいれば、自ら赴いた者もあり。
MSXがソ連にも持ち込まれていたらしいことをXで知ったが、今の中国かそれ以上に不穏であった観のあるソ連とも、民間レベルでも意外に交流があったということになる。
本書で語られている以上の背景事情は知らないので、そういうことがあったんですなと受け入れるのみ。ただ著者は新聞記者であるようで、その独特な価値観が鼻につくことが幾度かあった。メディアのカルマとして最後の最後にそれを総括しているが、読中にしばしば感じた配慮ないし忖度の印象は拭い得ず、他者に向ける目を自身にも向けるべきなのではないかという、リベラル()に対する一般的な感想を抱かされることもまた禁じ得なかった。
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モスクワ放送の日本語放送のアナウンサーの生きざまを著者が調査、取材した内容で構成されている。
1970年代に流行したBCL(海外放送聴取)でモスクワ放送を聞いていた方は、興味深い内容と思う。
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自分がロシアと関わりを持ったころは「モスクワ放送」、極東に足繁く通ってた90年代は「Voice of Russia」、しばらく離れていて、2012年からまた関わり出したら、2014年に「ラジオ・スプートニク」に名称変更。そして今やインターネット放送からサイト情報へ。「声」として聴くことは叶わない。
2012-15年の間だったか、その後か、スプートニクのTさんから取材を受けたこともあったなあ。そうか、モスクワ放送から脈々と繋がる歴史の上に、スプートニクもあるのだなと、本書を読んで改めて思った。
先の戦争中、そして戦後と、世界初の社会主義国家としてのプロパガンダの意は多分に大きかったと思うが、そこで働く現場の人間の思いはどうだったか? 何人もの日本人が業務を担い、日本に向けてニュースを届けてきた。それら人物に焦点を当てて、ロシアの今昔および、報道の変遷、在り方そのものを問い直すかのような内容になっていて、非常に読み応えある。
個人的には、なんと言っても1991年8月のクーデターの様子、その後のソ連崩壊の時代だ。
91年8月、直接「モスクワ放送」を聴いていたわけではないが、「ゴルビー拉致監禁」「クーデター」の報道は職場にいて騒然としたもの。その年の9月からロシア入りを予定していた身としては、ひょっとしたら自分の人生が変わるなと思った瞬間だった。
「初日は国家非常事態委員会の言う通りの放送。2日目に中立になり、3日目は(クーデターに対抗する)民主派の動きを伝える内容に変わっていった」
意外と早く事態は収拾したと記憶していたが、現地も、そして報道機関も冷静に対応してた様子が本書にも綴られている。
ロシア入りは2週間の遅れで実行され、その後1年、ロシアで暮すことに。なので、当時、インターネットも、電話ですらもタイムリーに利用できない時代だったので、12月のゴルバチョフの辞任表明、ソ連崩壊のニュースは、逆に現地に居て、意外と平穏というか、日常が地続きだった印象がある。
サンクトペテルブルク(当時レニングラード)の街に、妙な恰好した宗教団体がドンちゃんやりながら練り歩いていた姿をよく見かけたが、オウム真理教がモスクワ放送の放送枠を買いにきてたりもしたんだと、今さらながらに驚いている。
「1992年10月に教団独特の黄色い服装をした4人の信者が訪れたことを語り、
「当時、日本向けに(毎日)4時間の放送をしていた。訪れた人は、この4時間の枠をすべて欲しいと要求してきた。それに見合った相当の補償はすると迫られた。オウム真理教については良からぬうわさを聞いていたので断ったが金額的には魅力のある話だった」(東京本社版1995年4月18日夕刊)」
その後の経済崩壊、2000年前後の内戦危機を乗り越え、その後、2014年のソチ五輪あたりまでは、国力が増し対外的にも開かれ、豊かで強い国家となっていくロシア。逆に、放送局のほうは方向性を失っていく。
「イデオロギーに縛られることはなく自由になったが、それは同時に、放送を運営する国家からすれば、お金をかけてまで宣伝するものはなくなっていたことを意味する。」
ところが、��、また新たな冷戦というか、東西両陣営の鍔迫り合いが激化する中、国家の意図や真意を、正しく伝える意義は増してきているのではないかと思う。エピローグで著者はこう語る。
「中立より大事なのは独立しているってことだと思うのです。独立して、誰のために伝えるかをいつも考える。報道って市民のためですよね」
大切なことだ。
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戦後、モスクワ放送から日本に向けてラジオでソ連のことを伝えた日本人らのルポルタージュ。自ら越境した人、捕虜から伝える側に入った人など様々。戦後から冷戦時代のことについては概ね口が重いなあという印象だった。話せないというより話したくないことが多いのではと感じた。最後にロシアに関わった人の思いは、“ロシアを急がせないでほしい もう少し待ってほしい ロシアの人にもいずれ声を上げる人が出てくるから““互いにもっと好かれる国になりますように“など。葛藤も痛いほどにわかるが、今も命が失われていることを考えると受け入れるのは難しいと思った。