ばるっささんのレビュー一覧
投稿者:ばるっさ
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2013/11/23 12:47
「失われた世代」が私たちの世代に伝えていること
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作品の技術的な試みがあらゆる場所において見られ、そしてごく短い物語の中でそれらが成功している。しかしそれ以上に印象的だったのが、全篇を通して感じる、あきらめに似た虚無感である。「失われた世代」というものがどういったものなのかを知った作品である。
「ある訣別」と「三日吹く風」。この二編は本の構成から見ても、同じニックの話だと見て差支えないと思う。
「三日吹く風」で、ニックは友人のビルと一緒に恋人を失った傷を癒そうとする。
しかしビルの励ましはおかしなかたちでニックを前向きにさせる。
「街にいけば彼女にまた会えるかもしれない」。ふっておいて何だという感じである。
どちらにせよ、ニックの傷は癒えるのである。三日経つか経たないうちにも、である。
そして「十人のインディアン」である。こちらのニックは終盤、父親から恋人の浮気を知り胸が張り裂けるような気持ちというものを実感する。
しかし、次第に眠りに落ちてしまったあと、ニックはしばらくその気持ちを忘れ、夜の波音を聞いたところでようやく思い出す。
これは睡眠という時間経過の行為によってニックの傷が癒えはじめたということではないだろうか。
私はこの三編に、どれだけ他人を愛しても必要不可欠の存在にはならないという虚しさを読んだ。
愛すべき人を失っても傷はやがて癒えてしまう。他者とはその程度のものにしかなりえないのだ。
そして「兵士の故郷」と「追い抜きレース」。
この二編には共通して、腑抜けの主人公と親切な隣人が登場する。
カミュの「異邦人」の終盤の展開を付け加えたいところである。
更なる共通点として、この二編には決定的瞬間というのが存在する。
世界と主人公との完全なる隔離がうまれる台詞である。
「兵士の故郷」では、「だれも愛せないんだよ、ぼくは」。
「追い抜きレース」の場合は「人はみんな、いかなきゃならないんだ」という箇所である。
前者は、主人公の切なる本音であるが、それを常人が信じられるわけがない。
案の定、母親に否定されたことによって主人公は己の幸福を諦め、仕事につくことを決意する。
「追い抜きレース」では、この台詞によって「自分は人ではない」という諦めに加え、ターナーへのわずかな羨望が読んでとれる。
結末は違えど、どちらも共通して「諦め」が存在していて、それらが作調に虚無感を加えている。
こう考えてみると、「失われた世代」というのは現代人にも当てはまる。
ゼミ内の友人がアメリカ文学を「汗臭い」と批評していた。
私も当たらずとも遠からずな印象があって、今までは敬遠していたジャンルであったが、いま私たちが影響を受けるべきものはこの時代に存在しているような気がしている。
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