サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 宵待草さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

宵待草さんのレビュー一覧

投稿者:宵待草

2 件中 1 件~ 2 件を表示

佐藤本のベスト

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 佐藤氏の書いた本はほとんど全部読んできたつもりですが、佐藤優とは何者なのかを端的に知ることができるという点で、恐らくこの本は彼の著作の中でもベストではないでしょうか。力強い本です。しかも難しいテーマをわかりやすく書いてくれている、極めて啓蒙的な本といえます。

 読者はまず、マルクス、宇野弘蔵などを通して、現代の資本主義国家としての日本という国の仕組みや問題点を学び、次いでアーネスト・ゲルナー等を参考にナショナリズムとは何かについて学ぶのですが、その後に出てくる「聖書」だとか「否定神学」、「神学者カール・バルト」というようなものが、なぜ「国家論」と関係があるのだろうかと、とまどうに違いありません。だが意外や意外、最後まで読んでいくと佐藤氏の魔術にかかって、なっとく!なっとく! となってしまうのです。

 「国家は必要です。しかし、国家はその本質において悪です」佐藤氏はずばりと述べています。「改革!」、「郵政民営化!」という叫び声だけにだまされた「小泉ブーム」とは一体何だったのか、この本を読むとよく分かります。

 「私は右翼です」と佐藤氏は公言していますが、惑わされてはいけません。国への愛を語っているのであって、いわゆる「右翼」とは全く違います。ちなみに彼は強い護憲派でもあります。また、佐藤氏は自称「クリスチャン」ですが、この本を読むと、彼が既成のキリスト教会など支持していないことがよく分かります。ブッシュやアメリカのキリスト教右派などは、キリスト教とも言えないものとして、バッサリと切って捨てています。

 難解な本や思想の要点を要領よくかいつまんで、誰にも分かるように説明してくれるという点で、佐藤氏は天才的な才能を持っているような気がします。本人がそれだけ深く読み込んでいるということでもありましょう。非常に有能な大学の先生の名講義を聴講しいているような気持ちでこの本を読むことができます。バルトや、聖書の「創世記」や「福音書」に対する読み方の鋭いこと!この本は彼のキリスト者としての信仰告白の書としても読むことができます。

 私は赤線を引きながら時間をかけてゆっくりこの本を読みました。千円ちょっとでこんなに充実したすごい読書体験ができるとは!ここ一年間の私の読書体験の中でもベスト3の一つに入ることは間違いありません。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本私の嫌いな10の言葉

2000/09/02 15:10

「善良な市民」は読むべからず

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 八月三十一日の朝日新聞に三宅島の島民たちが教室で避難生活を強いられているという記事が大きなカラー写真とともに載っていた。だが写真に写っている避難民たちの背後の壁に思わず目がいってしまった。そのS中学の教室には「一致団結貫け個性」という標語が生徒の手で大書されて壁に貼られていた。相変わらずやってるやってる!私はにやりとしてしまった。

 教師たちをはじめ学校関係者(私もその一人である)は、このような標語や目標が大好きである。教育現場にこのようなものがあることで何かやっているような錯覚を起こさせてくれるのであろう。だが、「一致団結」ということと「個性」というものが両立しているような学校とは一体どのような学校なのか。「個性」豊かな生徒ほど教師にとって扱いにくい存在はない。日本人の好きな「一致団結」を目指すためには「個性」は徹底的に叩きつぶさなくてはいけないものなのである。

 このような問題を阿部謹也氏(共立女子大学長)は日本の社会の問題としていくつかの著書の中で繰り返し主張されている(例えば「『世間』とは何か」〔講談社現代新書〕)。氏によると日本には西欧的な意味での「個人」というものは存在せず、したがって「個人」をもとにかたちづくられる「社会」というものも日本には存在しない。あるのはただ「世間」だけであるという。「世間」の中では「個性」(「個人」とは「個性」なのだ)は徹底的に排除されるのである。「町内会」「学校」「会社」あるいは学者たちの集団である「学会」、日本の中にあるこういったものはすべてそのような意味での「世間」なのである。したがって阿部氏によれば、日本の学校ではむしろ「個性」は捨てなさいと教育するのが親切であり本筋なのである。

 八月三十日の発行日当日にbk1より届けられた本書を私は面白くて一気に読んだ。中島義道氏は知る人ぞ知る強烈な「個性」の持ち主である。彼の数々の著書は、「個性」というものが日本という「世間」の中ではいかに受け入れられがたいものであるかを示す、自身の血みどろの体験の記録であるといってもいい(中島義道入門としては『孤独について』〔文春新書〕あたりがおすすめ、彼の個性の強さにうんざりしたい人には『うるさい日本の私』〔新潮文庫〕)。中島氏は「好き」「嫌い」をはっきりと述べる(「世間」では心して避けるべき行為である)人であり、「京の茶漬け」(言葉でなくそれとなく示そうとする)のような日本人のコミュニケーションの仕方には「虫酸が走る」のである。

 本書では「相手の気持ちを考えろよ!」「ひとりで生きているんじゃないからな!」「おまえのためを思って言っているんだぞ!」といった「善良」な「世間」の人々がよく口にする10の言葉を取り上げ、その欺瞞性を徹底的に暴いている。これらの言葉は「善良」な人たちが「世間」にとって有害な「個性」の芽生えを押しつぶそうとして無意識に吐く言葉なのである。「ゴク日常的な感情の起伏を、そしてそれを表出する言葉を徹底的に管理しようとする善良な人びとの(無意識的)暴力に立ち向かいたいのです」と筆者は述べている。本書で糾弾されているのは、なあなあでごまかし波風の立たないことをひたすらに願う、和をもって尊しとする日本の社会(「世間」)であり、それを支えている「善良な市民」たちなのである。はじめて読む人は 中島氏の鋭い舌鋒にたじろぐかもしれない。だがよく読んでみると、著者がユーモアを十分に解する、本当は心の優しい人であることも発見できるのである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2 件中 1 件~ 2 件を表示