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レビューアーランキング
先月(2017年6月)

けんけんさんのレビュー一覧

投稿者:けんけん

7 件中 1 件~ 7 件を表示

紙の本Omega tribe 1

2009/08/01 10:40

他者の物語に巻き込まれて生きる人々

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アフリカの奥地で父親に殺されかかった晴は『かつて全てだったものの一部』『全ての生物の根元』『全てを滅ぼし前進させる力』………の統合された意志=WILLと契約を交わし、新人類=オメガとして覚醒(進化)する。世界に数人存在するオメガ同士が次世代の覇権を競い凌ぎを削る戦いに参戦するため、晴は3年で日本を制圧するべくクーデターを計画した。

オメガという次世代の種。限界がきている人類に代わり進化の道を辿ろうとする彼らの唱える物語は壮大で魅力的。仲間に加わることで自分も新たな物語を生み出す側の人間になったかに見えるが、実際には他者の物語に依存して安寧を得ようとしているに過ぎない。

人類の進化というベタな物語に依存してしまうことで無気力・無感動・目標のない人生を意味づけしようとしている風に見える。特に晴が最初に取り込んだ暴走族の少年たちなど典型的ではないだろうか。

こういった風潮は定期的に繰り返される営みの一部である。00年代が『オメガトライブ』だとしたら、80年代には『愛と幻想のファシズム』があった。

他者の物語の中で生きる若者たち。彼らの行く末は何処だろうか。

これはSFだが現実に今、この世界で起こっていることでもある。

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紙の本ボックス!

2008/11/08 21:15

ボクシング版『ピンポン』

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私立高校の教師・高津耀子が電車内でマナーの悪い若者に注意し、逆ギレで暴力振るわれそうになったのを風のように現れ助けたの少年――鏑木義平。彼は耀子が勤務する学校の体育科に通う生徒でボクシング部でした。

 その場に居合わせた鏑木の友人・木樽優紀を通じて耀子は鏑木、そしてボクシング部と関わるようになっていきます。

 物語は耀子と優紀が交互に視点を持つ形で進みます。

 ボクシングにかけては誰もが認める天才でありながら生活態度は不真面目の一言。才能を伸ばすための“努力”はしようとしない鏑木。

 そんな鏑木を憎々しく思い、ことあるごとに彼を叱咤する耀子。だが同時に溌剌したエネルギーに輝かしいものも感じている。

 とある事件から屈辱を味わい鏑木のように強くなりたいとボクシングを始めた特進クラスのエリート木樽。不器用なボクサーの典型と言われながら、教えられたことを身体が動かなくなるまで反復する愚直さでメキメキと頭角を現す。

 才能だけで地方予選を勝ち上がった鏑木だが全国は甘くなかった。インターハイ、国体と敗戦を重ねる。それでも自分は負けてない。アマチュアのルールがおかしいんだと言って耀子の忠告を聞き入れようとしない。

 やがて彼は階級をフェザーからライトに上げた。大阪府のライト級には高校8冠も視野に入れるモンスター、稲村がいた。その実力は今すぐプロに転向しても日本ランク上位の実力と評される。この強敵に鏑木は完膚なきまでに叩きのめされボクシング部を辞めてしまう。

 一方の木樽は猛練習に猛練習を重ね大阪府の新人戦で優勝し、稲村が自分の敵として意識するまでに成長した。その姿に顧問も従来の放任主義をやめ鬼監督へと変身。部全体としても徐々に成績を上げ始める。

 順調な仲間たちと対照的に鏑木は単車を乗り回し謹慎処分を受けるなど生活が荒れていた。このまま彼はボクシングをやめてしまうのか!?

 鏑木は天才だったからボクシングを簡単に捨てられた。簡単に得たものは捨てるのも容易いと分析する耀子。彼女を密かに想う木樽は耀子の中に鏑木がいるのではないかと嫉妬にも似た感情を抱く。

 二人の高校生と一人の教師。三人の物語はクライマックスへ突っ走る!

 出だしは映像的というか漫画的な感じがしたけど話が進むうち気にならなくなりました。細かい点で「おやっ?」と思ったのは、三人がプロのジムへ出稽古に行く場面。鏑木が会長に挨拶しに行った後、耀子と優紀が残されたシーンで“残された耀子と鏑木は”と書いてたのがミスタイプじゃないかと思うんですが。他には木樽が視点を担当するシーンは基本的に彼を“優紀”と表記して統一するんですが、最後のほう――具体的には稲村との試合中、試合後――木樽になったり優紀に戻ったりする部分がありました。特に変える必要も認められなかったので、なんでかな~と疑問。視点者を下の名前で呼ぶことによって今は誰が視点を担当してるか一目で分かるよう話を進めてただけにブラさないほうがよかったんじゃないかと。

二つとも内容に関係ない部分なので、これで面白さが減じるということはありませんけどね。

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型の踏襲から自分の言葉へ

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

おそらく落語に限らず広く諸分野で言えることだが、評論や批評と呼ばれる類のレベルが20年ほど前から下落し続けている。かつて日本にも優れた書き手、ハッとするような評論が多く物された時代あったのに、なぜ今は駄目になってしまったのか。

本書の内容を簡潔に約すと「駄目な評論は内向きで業界内部でのみ通じる言葉、概念を振りかざし盛り上がることばかり考えている。外から新たにやってくる客へ開かれてない。入門者には『とにかく寄席へ行こう』と勧めるが、そんなものは『寄席へ行こう! キャンペーン』の宣伝マンでしかない」という辛辣なもの。

落語は大昔から続く「使い古された物語」を如何に活き活きと、新しく、魅力的に語るかの話芸である。そこにあるのは「つまらない演者と面白い演者」の違いだ。

本書の主張は明快である。

評論は入門者にも開かれてなければならない。そのために「落語には面白い寄席と面白くない寄席があり、誰が面白い寄席を提供できるのか」言わなければならない。面白いと一口に言っても面白さのツボは千差万別であるから、その人に合った面白さを紹介できるよう、論者は深く広く通じてなければならない。そのために必要なのは何を置いてもまず語る対象への無償の愛である。

内部で盛り上がることばかり考えている人間は「面白くない演者」をハッキリと言えなくなっている。

また彼らは「伝統」を重んじ、自らを伝統の守護者かのように言うが、その伝統も実は昭和に作られた新しい概念でしかない。そんなものを後生大事に抱えているうちに落語は時代の波に取り残され、いつしか誰にも見られなくなった。

危惧した一部の人間が新しい風を取り入れるため積極的に動き出し、伝統と革新の両立を目指した落語界は今、新たな黄金期を迎えようとしている。

本書で言われる「今こそ落語の黄金期」は、評論の評論が出版される、このような本が『売り物になる』と考えられているのが何よりの証拠だろう。

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ライトな語り口のヘビーな物語り

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者は華々しい受賞暦が示すとおり確かな手腕を持つ文学作家でありながら、怪奇幻想小説、ミステリー、最近ではYAの分野でも積極的に活動する多彩な人物。
ただやはり基本は文学の人なのか、今作でも煽り文句に“YAミステリー”と書いてはありますが、謎解き要素はそれほど強くありません。謎は物語りの推進力として働いてはいますが、重きを置かれているのは一連の事件を通して少女が現実に向き合う勇気を手に入れるまでの、内的な変化です。
元フットボールの花形選手にして、現在はテレビ局でスポーツキャスターを勤める父レイド、元アナウンサーの母クリスタのピアソン夫妻の長女として生まれたフランキーが自分の中にもう1人、フリーキー・グリーンアイ(イカれた緑の目)という自分でも抑えきれない人格、衝動が宿っていることを自覚するところから物語りは始まります。じゃあこれは額面どおりの多重人格なのかと言うと、それはちょっと違うのかもしれません。フリーキーが現れだした14歳という微妙な(そして多感な)年齢を考えると、これは思春期に特有の不安定さ、子供から大人になる段階の動揺を分かりやすく喩えたもののような気もします。
もちろんこれほどハッキリ現れたのは彼女の特殊な家庭環境によるところが大きいのでしょう。
夫妻の結婚生活は修復不可能なところまで来ていますが世間体を重んじるレイドは離婚を認めません。物語りの中盤でクリスタは家を飛び出し別居生活を始めます。距離を置いて直接ぶつかることを避け夫婦の間はかろうじて保たれたかに見えますが……。
レイドが自分に躾をするのは彼の望む“いい子”でないからだ。フランキーは家にいるとき常に父親の顔色を伺い、彼の機嫌を損ねないように暮らしてきました。ピアソン家の住人なら誰でもそうするべきだと考えており、クリスタに「なんでパパを怒らせるようなことするの?」と詰問した場面もあります。
真実を理念に行動したフリーキー・グリーンアイを世間は必ずしも賞賛しません。お伽噺に登場する物分りのいい大人たちは登場せず、ただ真実を受け止められる人とそうでない人が存在するだけです。
ハッピーエンドにはほど遠い話ですがフランキーの真実に向き合い一歩ずつ進んで行く強さ、あなたは正しいことをしたと言ってくれる周囲の人々、子犬に少しだけ癒されます。

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哲学者たちの鍛え抜いた秘技が地下闘技場で炸裂する!!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

哲学入門と言えば一般的には「○○年にどこそこのホニャララさんが何をして~~」のような記述になりがちなのを、本書では哲学者と哲学者の時代を超えた対決、真理を求める熱き魂の語らいとし、テーマごとに年代を追う形で整理した。

「今までの哲学書には『バキ』が足りなかった」と言い、週刊チャンピオン連載中の漫画『グラップラー刃牙』の体裁で各哲学者を紹介する冒頭部は面白いのだが、哲学者個々の思想を紹介するページではバキ分が落ち、普通の(かなり分かりやすい)哲学入門になっている。

扱われるのは「真理」の真理、「国家」の真理、「神様」の真理、「存在」の真理の四カテゴリー。

哲人の紹介者も『グラップラー刃牙』風。

神殺しは生きていた! 更なる研鑽を積み人間狂気が甦った!

超人!! ニーチェだァ――――!!

近代哲学はすでに私が完成している! ヘーゲルだァ――――!!

経験されしだい還元しまくってやる! 現象学の開祖 フッサールだァッ!!

ア・プリオリ(先験的)な総合判断ならこいつが怖い! 哲学界のコペルニクス的転回 カントだ!!

熱帯から人類学者が上陸だ! 構造主義 レヴィ=ストロース!!

冥途の土産に『真理』とはよく言ったもの! 達人の問答が今、議論でバクハツする!

ギリシャ流産婆術 ソクラテス先生だ――――!!

他者論にさらなる磨きをかけ"イリヤの空"レヴィナスが帰ってきたァ!

今の自分に差延はないッッ! 脱構築 デリダ!!

哲学史を概観して紹介するのが目的のため個別の哲学者や思想の説明は簡潔に、はっきり言えば大雑把になされるため、気になった哲人の思想は自分で調べてみよう。

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紙の本億万ドルの舞台 新書判

2007/09/26 16:13

よく作者も許したな

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は作者が80年代に書いた中篇物を翻訳したものです。好きな方の反感を恐れずに言わせて貰えば駄作。失敗作です。

 ひょっとしたら80年代にはウケたかもしれないプロットも、現代では平板で盛り上がりに書ける、底の浅いものとしか映りませんでした。叙述形式はいわゆる神の視点を採用し、こちらが本を捲るより先に作者が自分で説明してしまいます。

「そこは隠してくれよ!」という部分も説明します。

 作者はこれで読み手が興味を盛ってくれる、サスペンスを盛り上げられると思って書いたのかもしれませんが、どうも一流の小説家が丁寧に書いた作品と比べたら如何にも野暮ったく、モッサリした印象を拭えません。今さらこんなの出してきてもシドニィ・シェルダンの名に傷が付くだけのような気がします。なぜ作者は翻訳を許したのでしょう? 黒歴史化すれば良かったのに。

 他のレビューサイトで「大人が読むものではない。子供向けだ」と書いてる方がいました。いえ。子供の時分にはもっと良い作品を読ませるべきです。

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紙の本リアル鬼ごっこ

2009/07/31 08:35

00年代の幕開けを告げる問題作

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この作品は売り物としての水準をクリアーしてるとは言い難い。構成は破綻しているし、文章は支離滅裂で知らなければ日本語を勉強中の外国人留学生が書いたと思うだろう。多くの人が国語力破綻の時代を象徴する読み物と口を揃え、リアル鬼ごっこを馬鹿にすることで自分の読書力や国語力を誇る風潮まで誕生した。

だが売れた。それは何故か?

反対意見も覚悟で言わせてもらうとリアル鬼ごっこは00年代の初頭に登場し、その後に続く諸作品群に共通して見られる要素をいち早く取り入れた物語だった。

極度に簡略化された記号的な分かりやすいストーリーと人物がミクロな関係性で繋がり、過剰なまでにセンチメンタリズムを煽る感情的な出来事の積み重ね、外部や他者など存在しないかのようにあらかじめ無視された社会、自己犠牲と救済の物語に救いを見出そうとする安易な精神。

リアル鬼ごっこを人文・社会科学の目で読んだ後、00年代に流行した物語と比較したとき、これらの共通点が浮き彫りになってくる。リアル鬼ごっこは21世紀最初の10年の突端を開く先駆者だった。その後より高度な表現者が現れ単なるお笑い本になってしまったが。

評論の世界では無視され続け満足な議論もないまま切り捨てられた感のある作品だが、今こそ中立な視点で学問的な読解に挑戦してみるべき。今まで分からなかった社会の病巣が見えてくる。

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