ゆら さんのレビュー一覧
投稿者:ゆら
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紙の本すいかの匂い
2002/03/17 14:26
手放さずにいる記憶の匂い
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
子供のころは大人だったと思う。
ものごとや関わるものを、そのままの大きさや重さや匂いで感じとれた。同じものを今の自分が見たとしても、もう遠いはずの当時の方がよっぽど鮮明に、正しい形で記憶している。それらを純粋さと呼んで片づけてしまうにはあまりにも惜しい。自分があいまいになっていくことは、不本意でもあり、ちょっとばかりせつないのだ。
そういう意味で、江國香織さんという作家は大人だと思う。同世代でありながら、今もなお、とても正確に誠実にものごとを見ているまなざし。もちろん、文章の力というものも大きいのだろうけれど、こだわるほどに過剰に本質から遠のくのも文章だと思うから。
夏の記憶は濃く鮮やかだ。肌の表面をじりじりさせる日差しだとか、耳の穴の形に埋まってしまったようなセミの鳴き声だとか、プールのカルキの匂い、ビーチサンダルのキュウという音、かき氷で赤や緑に染まった舌、素足で踏む畳の温度。
たとえばそんな、自分だけ(が持っていると思っている)の記憶の断片すら、この本を読んでいるとあっという間に、しかも自然によみがえる。
『すいかの匂い』は、11編で綴られた短編集である。おもに低年齢の少女たちの目線で描いているにもかかわらず、どのお話も甘さがまるでない上、プリズムを微妙にずらして見たような不思議なまぶしさを感じる。軽い失望、怠惰、諦めや嘘、迷い、秘密、駆け引き、とりかえしのつかないこと。 知っていくごとに、いつのまにか手の中からすりぬけていくものたち。それらがきめ細かく織り込まれている夏の短い物語。
みごとです。
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