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天使のくまさんのレビュー一覧

投稿者:天使のくま

40 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本旱魃世界

2023/07/27 08:50

破滅に向かう人が見る光景

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を読みながら、ずっと東京オリンピックのことを考えていた。
 オリンピックそのものに反対だし、まして東京オリンピックなんかコロナとは関係なく、開催すべきではないと思っている。スポーツの国際大会を否定するつもりはないけれど、誰かの努力に乗っかって勝手に感動しているのは気持ちが悪い。金メダルをとった選手がたくさんいる国よりも、誰もがやりたいスポーツを自由にできる国の方が豊かだと思う。スポーツ観戦はきらいじゃないけど、国を背負って競技しないでほしいとも思う。栄誉は個人のものだ。
 とはいえ、コロナの感染拡大が懸念されるという理由でオリンピックを中止すべきだということには、違和感がある。コロナがなくても中止されるべきなのに、何か言い訳をしているみたいで気持ちが悪い。
 でもその一方で、IOCとJOC、日本政府と東京都庁はオリンピック開催に向けて止まらない。そこには、狂気すら感じる。たとえ感染が拡大し、世界中で大きな被害が起きたとしても、IOCやスポンサー企業や電通やパソナを守るために、やめるわけにはいかない、ということだろうか。たかがそんなことのために、多くの人の生命を危機にさらす。破滅に向かわざるを得ない、そんな狂気だ。
 バラードの破滅三部作は、これまで『結晶世界』しか読んだことがなくて、なんかうまくその世界に入っていけなかった。それ以降のバラードの長編はだいたい入っていくことができたのに。おかげで、この時期のバラードの長編には手を出していない。でも、その理由として、バラードの作品をどう見ているか、先立つものがあるのだろう。『結晶世界』を破滅する世界でどうにか生きようとする、そんなストーリーの小説だと思って読み始めて、うまく入り込めなかったのではないかと考えている。そうではなく、破滅する世界にいる人がどのような光景を見ているのか、ということが描かれている小説なのだろう。それは、破たんするオリンピック大会を強引に開催しようという人たちの内面にも似ているのかもしれない。当事者たちには、それが見えていないし、どんな形にせよオリンピックを開催することが、望ましい世界なのだから。
 『旱魃世界』は、ある意味で奇妙な翻訳だ。訳者の山田和子があとがきで述べているのは、その後のバラードの作品をすべて読んだ上で、この本を訳しているということ。それは最初から、この本が破滅する世界で主人公がどう生き延びようとするのかというストーリーを扱った小説ではなく、破滅する世界にいる主人公が見ている光景を描いた小説だと、そのことが明確に意識されて翻訳されているということだ。ぼくもバラードの作品はだいたい読んでいるので、そういった前提で、『旱魃世界』のランドスケープを読むことができる。それは多分、『強風世界』と『沈んだ世界』しか読んでない人が訳すこと、読むこととは違うのだろう。だから新しく訳されたのは、『スーパーカンヌ』や『コカインナイト』につながる『旱魃世界』である。
 ごく普通のストーリーであれば、主人公たちはなぜ破滅する世界と戦うのだろう。しかしバラードの小説ではそうはならない。破滅する世界はユートピアでもあるのだから。コロナの中で開催するオリンピックもまたユートピアなのだろう。世界中のお金持ちが関係者だということでスポーツを観戦しながらお酒を飲むイベント、そんなことそのものが狂気の世界なのではないか。そこにいる人たちにとっては、オリンピックを開催しないことそのものが理解できないはずだ。もちろん、多くの人たちがそんな破滅の世界に巻き込まれるべきではないのだが。

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紙の本

ル=グインの技巧を堪能、でも長編のが好き

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ル=グインの自選短編集から未訳の作品を選んだもので、生前最後に発表された「水甕」まで収録されている。SFばかりではない。地上のどこかでの話(現想)と他の宇宙・内なる世界(幻実)の2つのパートに分かれていて、ハイニッシュユニバースの短編も含め、ル=グインの多様な作品が読める。
 ル=グインの書いていることって、「みんなはこんなふうに思っているのかもしれないけれども、実際のところ、こんなことなんじゃないのかな」ということなんじゃないかな、と思う。というのがよくわかるのは、本作品中でもっともよみやすい「狼藉者」。「いばら姫」を題材にしたこの作品、別の視点からの語り直しではあるのだけれども、まあ誰もが王女にキスしたいわけじゃないよね、と。あるいは最初の作品「ホースキャンプ」は、「馬ですけど何か?」という感じ。
 そう思うと、ル=グインにとってのフェミニズムも、「ジェンダーとかセックスとかみんなこんなふうに思っているのかもしれないけれど、本質的にはこうなんじゃないかな」ということなんじゃないか。でも、「こうなんじゃないかな?」と言われて困る人は、「竜が怖い」人でもあるんだろうな。
 ル=グインは長編の方がはるかに読みやすいと思う。まあ、そうじゃないのもあるけど。でも、改めて短編を読むと、ル=グインがどれほど技巧的な作家なのか、ということがよくわかる。その技巧が、最初に言ったことをシンプルに伝えてくれる。「水甕」に示されているのは、ル=グイン自身が自分の小説を「ある所から別の場所に行く、場合によっては元の場所に戻る話」だとしていたし、構造はとてもシンプルなものが、最後まで続いていること。というか、作家としても元の場所に戻っているのかもしれない。

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紙の本

紙の本パッサカリア

2023/07/27 08:53

風景の変奏

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ロベール・パンジェの名前を最初に知ったのは、遠い昔、新潮社から出ていた「フランス文学13人集」全4巻の解説。そこで、どういった基準で13人を選んだのかが記されているが、次の機会に見送られた作家もいる。その中にパンジェの名前があった。次の機会がまさか今年だったとは、と思わずにいられない。同じく見送られた作家としては、ベルナール・パンゴーは『囚人』以外見るものないとされ、ピエール・ド・マンディアルグはその後ずいぶんと訳されている。今さら、フランソワーズ・サガンもないだろう、と。
 そのパンジェの『パッサカリア』である。ヌーヴォ・ロマンである。冒頭、馬小屋の堆肥の中で死んでいる男性の姿から始まる。それが誰なのかわからない。推理小説のように始められたこの作品は、けれども真相にせまることはなく、農村の光景がさまざまな時系列で描かれ、いつのまにか男性が死ぬ場面にたどりつく。人の営みが、かつてあったことが、音楽のように変奏されていく。何だかわからないけど読んでいるのが快感、というものでもある。記憶はつねに変奏され、個人的なものとして記憶に定着していくものなのかな。

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紙の本

紙の本女肉男食 ジェンダーの怖い話

2023/04/23 10:16

デタラメを信じる小説家の狂気の迫力がすごい

11人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最初にきちんと言っておくと、ターフの主張はでたらめです。
女湯のちんこのついた性自認女性が入ってくる危険性が指摘さえていますが、そもそもそれって、夫婦別姓にしたら子供がかわいそう、という右翼の論点ずらしとなんらかわりません。トランスジェンダーの人はそれなりに銭湯に悩む人もいるし、それがわかっているから、トランスジェンダー向けの日を設けた銭湯すらあります。そして、性自認がどうであろうと、女装して女湯に入ろうするすバカはいるし、女子トイレでのぞき見するバカはいます。
それから、身体で性が決まるということにしてしまうことで、少なくないトランスが問題に直面していることは、理解されてもいいです。そして、メスをいれなければ性転換できないとしてしまうと、ちんこのついた女性というのが「じぶんらしい」と思う人は否定されてしまう。それでなくても、トランスの人に肉体的負担を求めるのはどうか、と思います。
それに、そもそもジェンダーとはなにかということについて、著者は無知すぎます。
その上で、著者が長年、肉体が女性であるということによる抑圧を感じてきたことは理解できますし、それが「水晶内制度」のような作品になっていることも理解します。同時に、著者はジェンダーからもセクシュアリティからも離れたところで活動してきており、そのことが、二元論におちいる身体のセックスにしかアイデンティティを求められないといえるでしょう。そのアイデンティティを奪われる危機を、性自認やジェンダー論、クイア理論から感じるのではないでしょうか。そして性別二元論が、女性を男性と分けたがる、右翼の思想と共鳴しており、山谷えり子という日本会議支援の政治家とつながってしまいます。
日本に限らず、ターフの思想が右翼とつながってしまうというのは、他の国でもみられています。
でも、ターフが否定しているのは、自分が自分らしくあるという思想なのです。バトラーのクイア理論の根底も、わかりやすく言えば、自分自身を説明するものなのです。そして、既存の性別にアイデンティティをもつ人は、そのことを受け入れられないということです。
というころで、著者の主張はまったくのデタラメだし、そんなものを真実だと信じられても困ります。
本書で取り上げられている「トランスジェンダー問題」を読むことをおすすめします。そこでは、本当にトランスが困難な状況にあることがわかります。同時にマイノリティの救済はなかなかおこなわれない、というのはどの国でも同じです。
とまあ、そういう本なのですが、さすがに小説家だけあって、デタラメを信じる狂気は、とても迫力があります。そういうつもりで読むと、けっこう楽しめます。
その楽しさということだけで、★を増やしています。

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紙の本

紙の本笙野頼子発禁小説集

2023/04/23 09:55

著者の最後の傑作を収録、でも性自認の問題はデマなので注意

3人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

あらためて、笙野は特異な私小説作家だなあと思った。
発禁だということだけれども、その理由は政府批判ではない。というか、発禁というよりは、出版社の自主規制というのが、笙野の見方なのだけれども。
 笙野が次に問題にしたのが、性自認問題。LGBTQ問題を背景と舌、性は自分で決めればいいという運動に対し、そうなったら女湯にも陰茎のついた自認女性が入ってきて、女性の居場所がなくなる、という。笙野の小説の主人公は、性自認が認められたら、女性という存在が消されてしまうと訴える。そして、この問題を取り上げた作品の掲載や出版を、講談社は拒否したということだ。もはや、笙野の原稿を掲載してくれるのは、鳥影社の「季刊文科」しかなく、本書も『発禁小説集』として鳥影社から出版された。
 とはいえ、そもそも性自認の問題は、笙野の小説が指摘するような問題ではない。そもそも、性が単純に2分できるものではないというところに、LGBTQ問題があるし、その多様性はわりと社会では認められるようになってきている。だからといって、女湯や女子トイレに男性が入っていくというのは別の問題。たしかに、そうした事件が起きていることは事実だが、陰茎のついた自称女性は排除されていたはずだ。とはいえ、では、女性だとしか思えないような男性が女湯や女子トイレに入ったらどうなのか。女子トイレは基本的に個室なので、防ぎようがないけれども、同時に実害も考えにくい。隠しカメラを置くかもしれないけれども、それは女性がやっても犯罪だ。女湯の場合、裸になってしまうので、排除されてしまう。豊胸手術をした陰茎付き女性の場合、下半身を隠していたらわからないけれど、そもそもそこまでしたら、男湯に入るのもためらわれる。銭湯に行けないトランスセクシュアリティの方々のために、いくつかの銭湯ではLGBTQの日を試行したこともある。
 性自認を問題視する笙野の小説の主人公は、性の根拠を身体に求めているという点では、極めて保守的だ。こうした文脈から、笙野はフェミニスト(とりわけ学術フェミニスト)を敵と見なし、さらにこれに同調するリベラルな日本共産党などには裏切られたとする。近年、積極的にジェンダーの問題を取り上げているけれども、実態は男尊左翼だということだ。さらに、性自認の問題で真実のことを語る政治家は、自民党の山谷えり子だけということであり、選挙では震える手で「自」という文字を書く。
 笙野は性自認の問題についてヒステリックなまでに指摘する一方、そこには社会を覆う妖怪の姿はあまり強く感じられない。全体を通して感じるのは、デマを通じてリベラルを信じられなくなった人が、保守派に回収されていく姿である。そのことが私小説として書かれる。そうした形で作品が成り立っていく、というのが、あらためて笙野が特異な私小説を書いてきたということを感じさせるということだ。妖怪に引き込まれた作家は、これまでの特異な世界を描かない。

 本書のもう1つのテーマは貧困だ。コロナ禍と先の掲載拒否によって、収入が減少し、金策が必要となる。困窮した状態をリアルに描いた「質屋七回ワクチン二回」は、ひょっとしたら笙野の最後の傑作かもしれない。

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紙の本

紙の本ピュア

2023/04/07 11:11

ちょっと古いかな、と感じなくもない

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表題作は「SFマガジン」に掲載されてちょっと話題になった作品。ぼくも銭湯小説『メゾン刻の湯』の作者ということで、掲載時に読んだ。女性が男性を食べないと妊娠しないという世界の話である。
 ジェイムズ・ティプトリーJrの「愛はさだめ、さだめは死」という短編と比較する人は多いと思う。でも、「ピュア」は、生物学がテーマのSFではない。むしろ、他の作品も含めて、女性の生きにくさをSF的な設定を利用して描いているのではないか。女性が男性を食べるというのは、生物学的な要請ではなく、極端なジェンダーとしての結果となっている。また、「ピュア」に描かれた女性同士の絆は、現実のホモソーシャルな男性社会の裏返しではないかと思う。だから、そうした現実認識の一方で、ストーリーそのものはわりとシンプルなラブストーリーとなっている。そこが、弱みでもあり共感を得やすいしくみでもあるんだろうな。
 なお、ぼくの中ではそもそも「愛はさだめ、さだめは死」への評価は低い。生物学がテーマのSFとしては、アイデアのみで掘り下げが足りないんじゃないかと。「汝が半数染色体の心」から「一瞬のいのちの味わい」にいたる、生命の持つ本質的な残酷さと心理の深さに比べると、どうしても劣るんじゃないか、と。
 「バースデー」は主人公の親友がいきなり性転換して恋人になろうとする話。FTMの話のようであるけれども、それはセクシュアリティというだけではなく、やはり女性としての生きにくさが反映されているのではないだろうか。そうでなければ、性転換する必要などなかったはずだ。
 「To The Moon」における、女性だけの世界へのあこがれもそう。あるいは「幻胎」では、一方的に妊娠・出産から逃れられない女性。
 女性の生きにくさをあらためて説明することもないのかもしれないけれども。でも「ピュア」を例とすれば、学校においては名簿にも示されているように、女性は男性の後という位置に置かれ、スカートの制服を強制させられている、といった刷り込みがある。その裏返しとしての世界だ。
 正直に言えば、このテーマでもっと奥深く入り込んでいけると思うのだけれども、表面的な気がしないでもない。同時に、現在なお、表面的な部分で共感が得らえてしまうような、社会そのものの進歩のなさも感じてしまうのである。

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紙の本

紙の本わたしは灯台守

2023/11/28 10:52

人生の断片を描いた幻想小説

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「長崎」が傑作だったので、新刊として出た短編集も買ってしまった。書かれた順は前後することもあり、「長崎」ほど切れ味が良くはないけれども、同じように奇妙な話がいくつも収録されている。
 冒頭の「列車が走っている間に」は、人々が走っている列車の中で生活している世界の話。並走する他の列車の人とは接することはなく、窓を通して知ることができるだけ。それも、列車は互いに行先が違うので、いつまでも並走しているわけじゃない。そんな世界で、主人公は並走する列車の窓の向こうにいる女性に恋をする。表題作「わたしは灯台守」は、孤島の灯台に住みこみ、長くその仕事を続けている主人公が、やがて灯台の無人化によって去らなければいけなくなっていく、そんな話だ。
 生きるということは、何かにこだわり、それを形にしていくことに意味を見出すものなのかもしれない。それが他の人にとっては、理解できないものであっても。読者もまた、他の人だからこそ、奇妙に思えてしまうが、同時に主人公に感情移入することで、その想いもすくいあげることができる。
 そんな人生の断片を描いた幻想小説として、しみじみと読める傑作。

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紙の本

紙の本狼少女たちの聖ルーシー寮

2023/11/28 10:50

壊れやすい家族だから支えあって生きる

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おかしな設定の世界の中で、家族のつながりを描いた短編がたくさん収録された本。後に長編「スランプランディア!」に発展する冒頭の作品「アヴァ、ワニと格闘す」は、ワニのショーで生計を立てる家族の話。主人公のアヴァは、ショーの最中に事故で亡くなった母親のかわりに舞台に立つ。っていうか、ワニのショーという設定そのものが、なんかおかしな感じがするけれども。あるいは、父親がミノタウロスで、ひたすら西を目指す、アメリカ西部開拓時代の話とか。表題作「狼少女たちの聖ルーシー寮」は、狼に育てられた少女が人間に引き取られて人間になっていく話だけれども、ラストで育ての親である狼に再会する。それで、そう思ったか、とか。
 人は一人では生きられない。壊れやすく組み換え可能な家族という枠組の中で、支え合って生きていく、そうしたアイデンティティとつながりもある。
 おなじように奇妙な小説の書き手である松田青子の訳ということで買ってしまったのだけれども、期待を裏切らない作品だった。
 子どもだったころの想いとはかなさをかんじさせる家族小説として、しみじみと読める傑作。30年前だったらサンリオSF文庫として刊行されていてもおかしくないと思う。

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紙の本

紙の本月の部屋で会いましょう

2023/11/28 10:47

人は一人では生きられない

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奇妙な作品がたくさん入った短編集。最初の作品、「僕らが天王星に着くころ」は、皮膚が宇宙服になってしまう病気が流行した世界の話。宇宙服はやがて体全体を覆い、宇宙に飛んでいくことになる。ジャックとモリーの夫婦もこの病気におそわれる。先にモリーが発病し、ジャックの努力もむなしく、彼女は宇宙に旅立っていく。けれどもジャックもやがて発病し、モリーを追いかけることになる。
 みんな変な話ばかりだけれども、底流にあるのは、はかない愛だったりする。そんなアイロニカルな話ばかりでもある。
 人は一人では生きられない。誰かを必要としている。そんな想いにあふれた本。
 小さなラブストーリーとしても。しみじみと読める傑作。30年前だったら、サンリオSF文庫として刊行されていてもおかしくないと思う。

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紙の本

サンリオSF文庫好きにおすすめ

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主人公の「僕」はタイムマシンの修理工。はずみで未来からきた「僕」を殺してしまう。そこで未来の「僕」から渡されたのが、「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」という本。書いたのは未来の「僕」。
 とまあ、そんな設定だけれども、話は線形には進まない。いろいろと考えをめぐらし、「僕」が書いた本の一部がはさまる。もう一つのポイントは、過去の中の父との和解。
 タイムマシンSFといえば、時間パラドックスがつきもの。それを逆に考えると、タイムマシンが存在するような世界では、どのように暮らせば安全なのか、という問いでもある。そのおかげで、過去とも向き合わなければいけないけれど、そのことを乗り越えることもできる。そんなセンチメンタルなことにもなる。
 過去に折り合いをつけながら、過去の「僕」に撃ち殺される時間も近づいてくる。その中で、何をしなきゃいけないのか。
 SFがSFであることによって、クリアにすることができる、孤独と内省、家族への想い。最後に「僕」を支えるパートナーはAIだけれども、それもすんなり受け入れられる。
 思弁小説としても、しみじみと読める傑作。30年前だったら、サンリオSF文庫として刊行されていてもおかしくないと思う。

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紙の本

紙の本われはラザロ

2023/10/30 14:29

フィジカルな死者のいる世界

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「ビブリオ古書店」に、カヴァンの「ジュリアとバズーカ」が登場したせいか、カヴァンが認知された。「アサイラム・ピース」の翻訳が刊行され、「ジュリアとバズーカ」に続いて「愛の渇き」(実は、カヴァンの作品で一番好きなのは、「氷」ではなくこっち)も復刊。その勢いで、本書まで刊行された。カヴァンの初訳がさらに読めるなんて。
 「われはラザロ」は、1945年の作品で、「アサイラム・ピース」に続く短編集ということになる。前作と異なるのは、舞台がサナトリウムではなく、そこを出た先のロンドン。社会はすっかり第二次世界大戦の影の下にあるということ。せっかく、サナトリウムを出たのに、帰還兵の内面の世界は、どうなの、って。
 それから、「アサイラム・ピース」の冷たくて清潔な世界に対し、本書ではラザロという名前が示すように、フィジカルな死者のいる世界でもある。それでもカヴァンはカヴァン。
 いつでも終末と隣り合わせの彼女の世界が、もっと翻訳されますように。

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紙の本

紙の本最後の恋人

2023/10/30 14:24

濃密で異常な内面の世界

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まともな現実とも、頭のおかしい現実ともつかない、そんな残雪の小説の世界。そこに付き合うには、こちらも心構えが必要だし、長編ならなおさら。だから、初期の「突囲表演」は、渾沌とし過ぎて正直、ついていけなかった。より短い「黄泥街」は、中国の公害垂れ流し工場によって滅びる街を描いた作品で、現実の渾沌さがわかりやすく伝わる傑作だったと思う。
 この「黄泥街」から時間が経過し、残雪の作品はグローバルな舞台を選ぶようになった。なんたって、主人公のジョーをはじめ、登場人物はみんなカタカナ。舞台は西側のA国。ジョーは服飾会社の営業部長だが、社長のヴィンセントやそれぞれの妻が登場し、南方の農園や北方の高山で渾沌にドタバタ。伝説をまじえて、何が何だか。いろんな恋人たちが登場する。最後の恋人が誰か、と言われても、わかりませんでした。
 残雪の小説における不条理は、カフカにもなぞらえられる。同時に、「黄泥街」の不条理さは、公害問題を経験した日本人にとっても、というか今なら福島第一原発事故を経験中の日本人にとって、肌で感じることのできるものだった。中国という国の不条理さとは、こんなものなのか、と。でも、「最後の恋人」では、そもそも世界全体が不条理な中で、男女がそれでも求め合ってしまい、すれちがってしまう、そんなものなのか、と。グローバルな人間の不条理の限界までが示されてしまう。けっこう、地球全体、頭おかしいんじゃないの? というくらいに。
 残雪の短編小説の濃密で異常な内面の世界を読むだけでも大変だけれども、それが長編となって、短編同様の全力疾走となっては、読む方は疲れます。ストーリーを追うよりも、こちらも全力でつきあうくらいしかできないかも。そんな楽しい読書体験をどうぞ

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紙の本

紙の本マリーについての本当の話

2023/10/30 14:21

距離の中に幸福と愛がある

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「愛しあう」「逃げる」に続く作品。冒頭、別々の場所で別の相手とセックスする恋人たちの姿から、物語が再開する。逃げた結果だ。
 その夜、マリーの相手は容体が急変する。そして、「ぼく」に助けを求める。こうして、「ぼく」はマリーと再会する。
 間にはさまれるのは、マリーとその相手が競走馬を成田から出国させるにあたってのトラブル。作家によって悪意をこめて描かれるエピソードには、思わず笑ってしまう。
 マリーについての本当の話というのは、マリーと「ぼく」の話であって、別の誰かとの話ではない。ただ、うまく距離がとれず、逃げ出していた「ぼく」に対し、マリーがその距離を見つけてくれる話、なのだと思う。そんな距離にこだわり、悩んで逃げてしまうあたり、ダメ男の「ぼく」だけれども。けれども、その距離の中に幸福と愛しあう時間があるのだとも。それを発見しようとする、そこにこだわり、その存在を確認する、そのことが、読者を幸福にもしてくれる。
 それにしても、前作における逃げる起点が雨の京都なのだ。日本のセンチメンタルな情景っていうのは、けっこう、世界遺産ものかもしれないな。
 この作品にはさらに続きがあるという。「はだかのひと(仮題)」も刊行されますように。というか、いつまでたっても出ないので、英語版で読んだけど、結末としてほんとうにすばらしい。日本の読者のために、きとんと訳してほしい。

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紙の本

紙の本長崎

2023/10/30 14:16

幽霊が遺す政治的記憶

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日本で実際にあった事件をもとに書かれたフランスの小説、というだけで興味をそそられないだろうか。
 長崎に住む、50代の独身男性の家に、ホームレスの中年女性が住みつくのだが、広い家ということもあり、男性は気付かないで過ごしてきた。ただ、時々、食べ物が無くなるので、誰かいることに気づく。そういう話だ。そんなに気付かないものなのか、と思うかもしれないが、両親を失った独身男性にとって、古い家は広すぎるものなのかもしれない。実際の事件は福岡県だったというが、江戸時代は貿易の窓口であり、太平洋戦争における原爆の被爆地である長崎を舞台にしたことで、物語は時間的にも空間的にも広がりのある背景を得ている。
 この小説は、見方を変えれば、女性が場所を手に入れ、そして永遠に失う話である。幽霊のように暮らしてきた女性にとって、場所があることで、はじめて自分が実在できる感覚を手に入れることができたのだろう。それが、はかない場所、実在と不在の間の場所であったとしても。
 けれども、幽霊のように暮らすようになった背景には、社会における政治的な影響もある。むしろ、幽霊となることで、政治的な記憶もまた、幽霊として残る。そのことが示された、ラストで書かれる手紙には、ちょっと胸が詰まる。

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紙の本黄昏乙女×アムネジア 10

2023/09/15 17:24

幽霊のヒロインが魅力的すぎる、けど中学生なんだよな

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舞台は古い校舎の残る中学校。新谷貞一はここで、記憶喪失の幽霊、庚夕子と出会う。学校の七不思議の一つに、夕子という幽霊の存在があるが、その彼女とともに、不思議な事件に出会いつつ、夕子自身の謎にも迫っていくというストーリー。同時に、巨乳女子中学生の幽霊とのドキドキの学園生活、でもある。成人向けも手掛けるめいびいの描く夕子がとても魅力的なのだけれども。
 夕子自身の謎というのは、彼女がどのように死んだのか、そしてなぜ記憶が失われているのか、ということになる。彼女が孤独な幽霊として、校舎の中で自分を守りながら生きていくには、彼女が殺された記憶を封印するしかなかったことが示される。ネガティブな感情を切り離すことで、幽霊であったとしても、本来の明るい性格の夕子を取り戻す。同時に、成仏することもできないでいる。
 しかし、彼女たちの前に幽霊のように現れるのは、切り離されたネガティブな感情の夕子。って、幽霊なんですけどね。で、どのように折り合いをつけていくのか。謎の解明も含めて、読者を引っ張っていく。夕子の妹の理事長の庚紫子、その孫で同じ学校に通う庚霧江もからんでくる。夕子の恋のライバル小此木ももえも話をかきまわしてくれる。
 ホラーストーリーの縦糸に対し、横糸となる、生きている人間と幽霊とのラブコメ要素は楽しい要素。人間と幽霊という溝を乗り越えられるのかどうか、ということよりも、幽霊ゆえに貞一にしか見えない、ということをいいことに、夕子は大胆だし。授業中までいちゃいちゃするなよ、とつっこみたくもなる。夕子の親戚となる霧江には夕子の姿は見えるので、そこでちょっと複雑な感情も出てくるのですが。
 とまあ、ホラー×ラブコメと、50年前の幽霊がヒロインいう不可能感たっぷりの作品は、無事にエンディングを迎えるわけだけれども、あらためて、記憶そのものが、幽霊として存在しているということを感じさせてくれる。ロマンスということじゃなく、不幸な出来事なども含めて、それは現在の中にいるということ。貞一は、そのこともひっくるめて夕子を受け入れる。幽霊とのロマンスを描いた作品は、「龍ヶ嬢七々々の埋蔵金」など、たくさんある。そうした中で、死者が持つホラー要素まで受け入れる貞一はすごいな、とも。逆に、記憶が不在となる「一週間フレンズ」の困難さというのもあるのだけれども、それはまた別の機会に。

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