テラさんのレビュー一覧
投稿者:テラ
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紙の本火車
2001/06/02 13:57
誰でもこういう願いを持っているはず
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自分に何の咎も無く、背負い込まされた多重債務に苛まれ、それから逃れる為に、全ての過去を捨てて他人に成り済ましてでも生き延びようとする切実な思い。考えてみれば、他人になりすますという展開自体はそれほど、珍しいものではないかもしれない。活劇はともかく、悲劇的なラストを迎える作品としても、かつての「砂の器」や、リチャード・ギアとジョディ・フォスター主演の「ジャックサマースビー」などはすぐ思い浮かぶ。フィクションの世界のみならず、現実に実の親からの虐待経験を持つ人々や、犯罪加害者の家族、或いは心ならずも、前科を追わされてしまった者はどうだろう。この国では「自分の忌まわしい過去と冷静に、勇気を持って向き合う」というのは、イコール、「社会の片隅で人目を避けて、ひっそり生きろ」という意味に直結しているようだ。自業自得ならともかく、自分に非のない過去まで何故、一人で苦しみながら生きなくてはならないのか。人並みに生きる為に他人に成りすまそうと考えても不思議の無いこと。それを、かつての社会派のように大上段に断罪するのではなく、ささやかな庶民感覚で連綿と紡いでくれる。怒りではなく、悲しみと慈しみの視点で描いてくれる。今のミステリー界に、こんな暖かい、しかも謎解きも骨太の物語を生み出せる作家は彼女をおいて他にない。宮部みゆきと同時代に生きている事に感謝したい。
紙の本歌舞伎を救った男 マッカーサーの副官フォービアン・バワーズ
2001/05/20 17:18
自社ビル新築している場合じゃないよ!
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もし、GHQの中に、日本人以上に歌舞伎に愛情をもっていた、このひとりの米軍将校がいなかったら、平成の今、あの、東銀座の一等地はどうなっていただろう。取り壊されて駐車場…とまでは言わないにしても、単なるテナントビルが今ごろたっていたか、或いは建物はそのままでも、明治座や大阪の新歌舞伎座のように、演歌歌手が田舎臭い芝居を演じる商業演劇専門の安っぽい貸し劇場に成り果てていたかもしれない。当然今の三之助ブームも、猿之助歌舞伎も、勘九郎や吉右衛門の今の隆盛も考えられなかっただろう。
それぐらい、この本の主人公、マッカーサーの秘書を勤めていたフォービアンバワーズの果たした意義は大きかったことが、この本を読むとよく判る。ちなみに、氏は一昨年、亡くなられた。松竹よ、恩義を感じているなら、今こそ、この本を映画化せよ。関係者がまだ存命のうちにやらなければ意味は無いぞ。松竹が映像化せずして、東宝やどこかのテレビ局にドラマ化でもされたら永久の恩知らずな会社ということになるだろう。歌舞伎興行が無ければ、映画部門が壊滅状態の今の松竹はとっくに会社更生法の世話になっているだろうに。のんびり、悠長に自社ビルを新築している場合ではないはずだ。この本を映画化せよ。今すぐに。
紙の本一夢庵風流記
2001/05/20 16:50
脳裏にキャスティングが思い浮かびませんか
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今更、隆慶一郎氏の小説を称えても、そんなことはみんな判っていることだけに、なおのこと、この人の遺した作品が適切に映像化されないことにジリジリしているファンもきっと多いだろうと思う。
「影武者徳川家康」や「鬼麿斬人剣」などがドラマ化されたこともあるが、あれでは原作の持つ魅力の十分の一も伝えられたとは思えない。まして、この前田慶次郎等、どうあがいても、民放でドラマ化など無理だろう。そこで、頭に思い浮かぶのはNHKの大河ドラマ、ということになるのだが、正史にこだわる頭の固いお役人様体質では、やはり無理だろうか。近年、視聴率低迷に悩まされ、打ち切りの話もあるとか聞くが、皆が散々、小説や他のドラマや映画や講談でゲンナリするほど聞かされつづけてきたおなじみの人物をくり返しているから、そうなるだけなのだ。「黄金の日々」や「風と雲と虹と」などを製作した頃の心意気はどこいったの? 問題は、この稀代の快男児を演じきれる役者がいるかどうかなんですけれどね。
2001/05/20 11:11
歌舞伎が嫌いな人にこそ読んで欲しい
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その昔、新劇俳優の千田是也は歌舞伎を指して、畸形の演劇、といったそうな。時代が変わった今、歌舞伎の成立する余地は無いのに、変わろうともしないとも。(「歌舞伎を救った男」集英社)まぁ、うなずけないことも無いではないでは無い。江戸時代のワイドショー、でなければ夕刊紙か、「噂の真相」並みの下賎な大衆芸能だったはずの歌舞伎がなぜか、敗戦後、気が付くと高尚な伝統芸能に昇華させられていた。おかげでいまや、歌舞伎が好きだというと、その知識が無い人間からはスノッブだの、変わり者だの、じじむさいだのと、良くも悪くも、奇異の目で見られるようになってしまった。
という訳で本題。市川猿之助がいなければ、今の歌舞伎はもっともっと、庶民から縁遠いものになっていたでしょう。千本桜の宙乗りやサーカスばりの登場の仕方、伊達の七役やお染久松のはや代わり、そして、スーパー歌舞伎。彼を嫌う人は徹底的に嫌う。邪道だと。邪道結構、今は格闘技も能も狂言も三味線も邪道が流行りなのさ。猿之助の邪道は伝統を踏まえた上での邪道だから。歌舞伎の上っ面だけを真似た亜流の前衛劇団や小劇場演劇なんかとはまったく違う。伝統とは骨董品ではない、博物館に陳列しておくようなものではない。今の時代の空気を、今の時代に生きている人間の体温に適したものを生み出せずして、何のための伝統か。スーパー歌舞伎を見て、「面白かったねー!」「もう一回、見にこようかな」「来年はなにやってくれるんだろう」というような感想をそれまで、一度も歌舞伎に触れたことも無い素人観客に終演直後から言わしめる役者が今の新劇界に何人いることか。信念こそが時代を変える、時代をつれてくる、それがこの本を読めばよく判る。
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