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たっちゃんさんのレビュー一覧

投稿者:たっちゃん

24 件中 16 件~ 24 件を表示

紙の本場所

2003/11/19 11:34

情熱の果て

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 自分が神なら、青春を人生の最後にもってくる、なんて、くさいことばを平気な顔していったのは、どこのドイツの詩人ギョーテじゃなかったか。

 へ、へーんだ。ちゃんちゃらおかしいぜ。

 なーにが自分が神ならばだよ。耄碌じじいと歯っ欠けばばあになって、青春したってしょうがねえじゃねーか。

 青春はよー、青臭いからいんじゃねーか。もじもじして、喋れないからいいんだよ。ドキドキして、「ドキドキしてます」なんて野暮なこともいえねーしさ、無口にならざるを得ない。

 無口にならざるを得ない。

 瀬戸内寂聴さんの『場所』を読んだ。瀬戸内さんが、年表に記載される人生とは別に、どういう人生を送ってきたのかはわからないが、熱情の青春を遠く離れたいま、同行してくれるひともいない場所へ一人赴き、見えるものと、見えてくる自分をていねいに記述していて、ため息が出た。

 すごいなあ。

 逆説的に「いくつになっても青春」ってキャッチコピーもあるけれど、瀬戸内さんの本を読んだら、そんなことはないと思ったさ。

 十五からせいぜい二十までが青春。あとは、その短い時間をどう過ごしたか、何遍でも繰り返し思い出し、自分の錘が世界のどこら辺に降りているかを計るだけじゃないかって思った。

 見苦しいことはできないとも思った。するけど。

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紙の本夜のミッキー・マウス

2003/11/12 16:23

詩のことば

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 ちょっといま手元にないのでわからないが、神奈川新聞に、谷川俊太郎さんの新しい詩集『夜のミッキー・マウス』の書評(歌人の佐伯裕子さんでした)がでていて、とてもよかったので、ネットでさっそく注文。

 最初の詩「夜のミッキー・マウス」を読んだ。

 夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ

 この二行で、ぼくはもう爆笑した。まだ、朝の五時。これを書いているいま、夜はまだ明けていない。あまり大声を出しては、近所迷惑だ。このごろは寒いし、ちょっと涙まででてきた。

 朝日新聞にも書評が出ていた。こちらは、川上弘美さん。『センセイの鞄』の。

「詩人のことば」についてふれてあり、上の「二行を読んだだけで、私はシュッと音をたてて大箪笥の陰に隠れたくなってしまう。こわいから。」だそうだ。

 ふ〜ん。オカッパあたまの、ふわふわの白いセーターを着た、可愛らしい川上さんが目に浮かぶ。

 身体感覚も、ことばへの距離も、違うのかなあと思った。

 ぼくは、詩を、詩だからといって特別に読もうとしない。なんとなく、いまはそうなっている。

 夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ

 可笑しくないのかなあ。

 国語の先生が、ハッキリそう言ったわけではないが、やはり、「詩は特別」と教えてきたのではないか。少なくともぼくは、学校の授業から、そういうメッセージを受け取った。だって、詩を読んで笑ったりしてはいけない雰囲気が多分にあったもの。

 学校の授業以外で、あまり詩を読まなかったぼくがいけなかったのだろう。

 いまは、よくわからないけれども、わからないなりに、詩のことばが断然面白い。

 わかっているのは、たぶん、ぼくが、分析とか解析とか解読とかから割と自由になって、面白いと感じる自分でいいのさ、と自分を信じるというか、いとおしく思うというか、たいしたことないなと感じるというか、そんなふうになっていること。

 これからは、誰にはばかることなく、手当たり次第自分の好きな詩を読んで、手帳といっしょにもち歩きたい。

 こんなことをいったら叱られるかもしれないけれど、学校では、夏目漱石とか志賀直哉の後ろのページに、現代詩が載って(いまはどうかわからない)いた。

 あれがもし、ヨドバシカメラの広告文とか、高級肩ロース100グラム148円をこれでもかこれでもかと喧伝する肉屋のキャッチコピーとかと並んでいれば、もっと違っただろう。

 ぼくのこの机の上には、普段パソコンと、知人からもらった観葉植物の鉢しか置いてないけれど、谷川さんのオシャレな『夜のミッキー・マウス』をそこに置くだけで、かなしみがふかまりそのぶん、さびしさがうすまっていくような気がする。

 六時半。カラスが鳴き、夜が明けてきた。

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紙の本オール・アバウト・セックス

2002/05/08 11:18

もとを読みたくなる

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 齢80歳の女性が、とある老人ホームに入ってきた。

お化粧をしてきれいに着飾っていたので、そのうちに男友だちができ、やがて関係をもつようになった。

 男二人はホームの世話役の方にお札を持っていき小銭に両替してもらった。一回300円で女性と寝た。女性は「あたしの値段はそんなものさ」と言った。

 しばらくすると男二人は女性を独占したくなり、とうとう車椅子に座ったまま、杖で殴り合い突つき合いの壮絶なバトルになった。

 それがもとで、とうとう二人は1年後に死んでしまう。女性も間もなく死んだ。性が終わるとき、生も終わる、云々。


 以上のことは、私が鹿島茂さんの『オール・アバウト・セックス』(文芸春秋)を読んで、印象に残った話。この日記を書くにあたってその部分を読み返してみたらディテイルが違う。したがって、上の記述は、面白いと感じたものを私の頭が無意識のうちに勝手に歪めてつなげた話、と言ったほうが正確だろう。ここんところがぼくはまた面白いと思う。


 上記老人ホームの話を新社屋近くのレストランで、専務イシバシと社員ナイトウ相手に話した。私の声は元来デカイ。隣のテーブルにいた中年の女性8人がこちらの話に反応している。あからさまにではないが空気がそれと伝えてくる。私は気を良くしてさらにサービス精神を発揮。同じ本に紹介されていたもうひとつの話を披露した。
 すなわち、最近は女性の側からみたセックスに関するハウ・ツー本が多くなっている。そこにおいて、男性が勝手につくりあげてきたこれまでの常識がことごとく覆されつつあるという。たとえば、男は、女の足を上げ正常位でやるのが普通だと思っている。しかるに、足を上げられた女性はさほど気持ち良くない。挿入したらむしろ足を下ろしてあげ、男がおもむろに両足で女性の足を挟み腰を密着させたほうが良い…。

 ここまで話が及んだとき、社員ナイトウが怪訝そうに手を挙げた。「はい。ナイトウ君」「社長、いまの話、具体的にイメージできないのですが…」

 リアリズムを信奉する私は、テーブルの左隅にあったスティックシュガー2本引きぬいてそれを女性の足とみたてて解説を試みる。そうしているうちに勢い余って、1本がブチッと破れ砂糖がテーブルにぶちまけられた。あ〜らら、ら。私、専務イシバシ、社員ナイトウ、三人大爆笑。隣のおばさん8人もつられて大爆笑。


 それにしても、鹿島さんの書評、実に面白い。読んで、もとのが読みたくなるという意味において、小林信彦さんと双璧だろう。

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紙の本♂♀

2002/05/27 10:32

エッチの解剖

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 花村萬月『♂♀』(新潮社)を読んだ。鹿島茂『オール・アバウト・セックス』を読まなければ、この作家のものをずうっとこのまま読まなかったかもしれない。車谷長吉を師匠・安原顯さんの書評を読んで興味をそそられたように、これからこの作家のものを読むたび、鹿島さんを思い浮かべるだろう。


 前置きが長くなったが、さて問題(?)の『♂♀』。相当にエッチだ。女がエッチを描くのに比べ男の描くエッチはどうも馬鹿で単細胞、石部金吉。ま、構造上からしても、むべなるかなと思ってきたが、どうしてどうして、目からウロコでした。ガンバレ花村萬月! と応援したくもなった。


 女のエッチは精神的、男のエッチは即物的との言い方がどこかで刷り込まれ、体験的にもさもありなんと心得ている。しかし、読んでいて、くだんの対比が必ずしも無意味で陳腐な決め付けとばかりも言えない気がしてきた。作中主人公の独白はなるほどと思った。


   亀頭原理主義者としては、律子の躯の構造に未練がある。
   これからも調子よく摘み食いをするだろう。だが、それは、
   異性の躯を用いた自慰にすぎないような気がする。
   新たな、しかし以前から抱いていたであろう疑問が湧きあがってきた。
   私は、いまだかつて性交をしたことがあるのだろうか。
   異性と交わったことがあるのだろうか。


 鹿島さんが『オール・アバウト・セックス』で引用されていた箇所もそうだが、この本にはたしかに「いま」がある。エッチを通俗に堕さずに描くには相当の力量が要るだろう。エッチの解剖はアタマが良くないとできない。ぼくの好きな岡崎京子さんや内田春菊さんは天才だが、花村萬月も相当にアタマのいい人だと思った。


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紙の本内田金玉

2002/05/16 11:49

金玉力

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 天才・内田春菊編集長による『内田金玉』(イースト・プレス 本体1,524円)を読んだ。そこへ、吉本ばななさんが「金玉について」という玉稿(あくまで「ぎょっこう」です。けして「たまこう」と読まないでください。言われなくてもわかってる? さいですか。失礼!)を寄せている。一部引用しますと、

…男の独特のあの力、山を動かしてしまうようなあの集中力、たぶんそれこそが金玉力なのだろう。男の底力の切ない源だ。その力は男にものすごい集中力を発揮させ、あとさきかえりみずに突っ走らせ、偉大な仕事をさせ、漂白の旅に出させ、そして、情けなくかわいらしく「わかってはいたが、できなかったんだ」と言わせるのだろう。

 ブハハハ…。そのとおり。ばななさんも天才か? どして、男の秘密わかっちまったのかな。この論をすすめていくと、うしろ姿のしぐれていくか、の山頭火が漂泊の旅に出たのも金玉力だったことになる。いかにもデカい感じするもんなあ。ブハハハ…。
 しかるに! 女というものは、ばななさんいわく、

別れ話で大泣きしていても、「こんな腫れた顔で帰るんだから、タクシーに乗ろうかな、でも今月金ないしな」というようなことを考えているような生き物だ。

 ブハハハ…。そ。そのとおり。なんでわかっちゃうんだろ。そか。ばななさん、女だからな。ばななさんも別れ話のときそんなこと考えたのか知らん。

 許せん! 断じて許せん、そんな女は…。なんて思うけど、これまで付き合った女性に、多かれ少なかれそういう印象を僕もたしかに持った。叙情的で独り善がりな物語の主人公になりきっているときに、なんでそんなに散文的なの、なんて憤慨したものだ。それが、みんなみんな金玉力の仕業だったとは…。トホホ。

 この本のうしろのほうで、医学博士の斎藤学氏と心理学者の岸田秀氏、それと天才・春菊先生が対談している。
 男ふたりの股間に金玉が合わせて4コ、チン座ましまして(あたりまえか)いるのかと想像するに、こむずかしい理屈を話し、いかにご高説を垂れても、お二人、とても優秀なのにどことなく間抜けに見えてくる。
 なんていうか、春菊さんが服を着ているのにハダカ。対する男は、ハダカで喋っているようなのに服着てる感じ。しかたないか。

 好きなサリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」なんて、ありゃ、金玉力をモチーフにした悲劇であり傑作喜劇かもしれないな。


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紙の本双子のオヤジ

2002/06/02 16:26

人生論漫画

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 しりあがり寿『双子のオヤジ』(青林工藝舎、本体1300円)を読んだ。


 山奥の奥の奥、双子のハゲオヤジが住んでいて、自分たちの想念だけを遊び道具に生きている。存在、時間、自分、幸福、夢、神様、民主主義など、テーマはいろいろ。


 「ホメる」というタイトルのがいちばん気に入った。

 ひとりが本を読んでいると、もうひとりの存在が薄くなって、絵もぼやけてくる。読書していたハゲオヤジ、双子の片割れが気になって、
「なんだかオマエ薄いぞ」
「存在を無視されると存在濃度が薄くなるんだよ」

 本を読んでいたほうのオヤジ、存在が薄くなった片割れがさびしがらないように、チャブ台やタンスをそばに置いてあげる。ところが、存在感ますます薄くなり、
「だってオレなんだかかえって疎外感感じるもん」
「いったいどーすりゃいいんだ?」
「オレをホメてくれよ!!」


 というわけで、存在濃度が薄くなっていたハゲオヤジをホメちぎると、どんどん濃度が濃くなる。最後のコマでは、白隠描くところの達磨の絵の如くに太い線で素描され、
「ふーっこゆくなったー」
「辛いもの喰いてえ」
となる。


 三木清『人生論ノート』(新潮文庫)のパロディーのようでもあり、哲学的で、それでいてわかりやすく、双子のオヤジが可愛く、装丁も素敵です。

 最終章のタイトルは「そして…」ハッとさせられる。

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しないことをする

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 ヴェロニク・ヴィエン著『何もしない贅沢』(光文社)を読んだ。らしい写真が散りばめられている。撮影はエリカ・レナード。翻訳は岸本葉子。三人とも女性。岸本さん、かわいい。ま、それはいいとして、この類の本が最近かなり出ているのではないか。「シンプルな豊かさ」だとか「シンプルライフ」だとか、よく目にする。


 ぼく自身は、こういう本を、それだけ狙って本屋に行くことはまずない。本を買いたい欲望をつのらせ、酒が入ったときのように気持ちが大きくなりどんどん脇に抱えていく。そんなとき「…しない」「捨てる…」「シンプル…」などの言葉に目が行く。すると勢い、抱えた本の上にそれもヒョイと積み上げてしまう。自分だけのオマケを見つけたような気になる。


 しかして、帰宅後どうしてかわからぬが、まずオマケに手を伸ばしてしまう。食べ物ならいちばん好きなものから始めるのに、本の場合は逆が多い。
 寝転がってぱらぱらページをめくる。写真が多いし、小ぶりの瀟洒な本なのですぐ読める。途中気の利いた言葉にぶつかり、そうだな、そういうこともあるよな、なんてえもので…。しかし、この類の本を読むとき必ずと言っていいくらい感じる違和感を今回もおぼえた。


 「何もしない贅沢」と言うけれど、「何もしない」どころか、いろんなことをずいぶん積極的に「する」「している」し、人にも勧めているからだ。散歩したり、読書したり、水浴びしたり、寝転がったり。それだけだったらまだしも、そういうことのなかに、普段気づかないすばらしい宝を積極的に見つけようという魂胆が、失礼、意識が働いていて、読者へも、休み時間のなかで積極的に無為の宝を見つけなさいと勧めている。「何もしない」ことにまで意味をもたせ、効率性を追いかけるケモノ臭さを感じる。


 カバーの袖にある三人の経歴を見て、なるほどと思った。きっと忙しく働いている人たちなのだろう。休みの日、効率的にリフレッシュしなければならない要請に駆られているのではないか。


 こころの10分マッサージ、目もぱっちりリフレッシュ、よ〜し、また仕事するぞ〜、そんな感じの本でした。

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天才は一日にして成らず

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 チャーリーは、もはやリンカーン・ハイスクールに通うことを装うことさえしなくなっていた。自由な時間の多くを、彼はオールドマン・ヴァージルの小屋でがらくたの仕分けを手伝ったり、一緒に横丁を歩いたりしながらあれこれと話をして過ごした。ある時彼は、ジェンキンズの楽器店から、店員の目をかすめて失敬して来た二つのリードをヴァージルに見せた。ヴァージルは叫んだ。「そいつあ、万引だ!」会衆に向かって声を張り上げる説教師のようだった。「そんなことをすりゃあ、二年も感化院だぞ! 前科は一生ついてまわるんだ。チャーリー、おれとちょっと話し合おうじゃないか」老人は家具屋の廃品置場から貰い受けて来た椅子に、チャーリーを向き合って座らせ、彼の身の上話に黙って耳を傾けた。
「お前にゃあ親父がいないから、このおれが四つの規則を定めてやる。おれは年寄りだ。年の功ってことがある。規則の一は、“盗みをするな”だ」ヴァージルは言葉を切ると、熱い目付きでチャーリーを見据えた。「感化院に入れられる時間を考えてみろ。たかが五十セントのリード二個が何だって言うんだ? そいつを聞かせてもらおうじゃないか」
「馬鹿な話さ」チャーリーは言った。
「盗みなんてのはな、ろくでなしのするこった。規則の二は“人を悪く言うな”だ。悪口を言うのは簡単なこった。あっちこっち行っちゃあ人の悪口を並べても、お前には何の得にもならねえよ。悪口ってのあ、きっと、そいつの出どこへ帰って来るもんだ。他人は皆、お前が何を言ったか、ちゃあんと憶えているからな、人を悪く言って良いことがあるはずねえんだ。良く憶えておけよ、チャーリー。人のことを良く言えねえんなら、端っから何も言うな。そうすりゃ、お前、人から良いやつに見られるってもんだ。
「音楽の話をしよう。おれあ、手前じゃあブルースをちょっとやるくらいで、何もできやしねえがな、長年通りをうろついているうちにゃあ、ずいぶん音楽も聞いたさ。お前はまだほんの駆け出しだ。おれたち黒人にはな、そうそう道が開けているわけのもんじゃねえ。音楽があれば、黒人は手前の道を歩けるんだ。このカンザス・シティにはな、国中どこへ行ったって誰にも引けをとることのねえ演奏家が大勢いるんだ。覚えられるものあ何でも覚えろ。練習をさぼっちゃいかん。食いついたら離れねえこった。お前、ホーンをはなすな。ホーンさえやってりゃ、人生どこへでも行きたいとこへ行ける。
「最後の規則はこうだ。“良い女を見つけて、浮気はするな”」老人は言葉を切って、それから言った。「さあ、おれの後について言ってみろ」
 チャーリーは四つの規則を繰り返した。「盗みをするな。人を悪く言うな。ホーンをはなすな。良い女を見つけて、浮気はするな」それから何週間か、チャーリーはオールドマン・ヴァージルに会えば必ず、小屋であろうと、通りや路地裏であろうと、どこでも四つの規則を教義問答のように暗誦させられた。



 ロス・ラッセル著/池央耿訳『バードは生きている』(草思社)の一節。チャーリーはジャズの歴史を塗り替えたチャーリー・パーカー。当時彼は14歳。これから人生に船出しようとする少年に、ユーモアとウィットを交じえ老人が励ましの言葉をかける。古き良きアメリカの断面。ぼくの好きなマイルス・デイビスは、留保なしで真に天才と呼べるのはチャーリー・パーカーとバド・パウエルと言ったそうだ。チャーリーがその後、四つの規則を守り通したかどうかはまた別問題。

 チャーリー・パーカーを聴いていていつも思うのだが、即興演奏が乗ってきたなあ、おおおっ、と身を乗り出した頃に、当時の録音技術の制約なのか、3分かっきりで終ってしまう。A面1曲のみ延々30分なんてのがあったら、かっとんだろうになあ。

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紙の本文章読本さん江

2002/05/13 10:33

ベッドの中で死にたいの

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 ブハハハ…。タイトルをみて、え? と思ったでしょ。おめえのキャラじゃねえって、いくらなんでも。ブハハハ…。

 ハイそのとおり。内田春菊さんの短編集『ベッドの中で死にたいの』でした。
 なら、最初から『  』を付けろや、ということですが、自分で声に出してみたら、あまりの可笑しさに、つい悪乗りしてカッコを外してしまいました。スンマヘン。

 内田すぁんとか岡崎京子すぁんとか、女性の天才の描くものを読むとグ〜の音も出なくなる。いやほんと。やる気なくす。こういう女性に好かれる男になりたいな〜と鼻の下のばして思うけど、無理無理、最初から白旗。努力の甲斐がない。何を隠そう、おいちゃん、努力がけっこう好きなのですが、上記ふたりの漫画をみるたび、こんなふうに接しられたら俺なんかかたまっちまうな、と思う。間や空白の感じは、ほかでは味わえない独特のもの。最後のコマで、

  魚が浅瀬で遊ぶようなその音
  私の中にもこんなに水分があったのでした


 斎藤美奈子さんの『文章読本さん江』も、ちょと恐い本。世の中に何百とある文章指南の本を一刀両断。これ読んでると、毛むくじゃらのオトコのポーズ、ヒトリヨガリ、エゴ、ウソ、カンチガイ、ゴウマン、バカ、ヒクツが炙り出され、白日のもとにさらされる。オトコという生き物がまるでアホウみたい。あ〜〜あ。ってな感じ。

 オビに「斬捨御免あそはせ!」(「ば」でなく「は」)とある。ほんと、大事なところをカミソリでスッとやられたような痛さだよ。

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