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negibouzuさんのレビュー一覧

投稿者:negibouzu

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本神と仏の出逢う国

2009/12/09 20:24

日本のカミは死んでいなかった!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本文化の主流は「神仏習合」である、と20年来主張してきた
著者のしめす神とは、「様様」であり、存在への最上級の敬意の表現
である。「すごい威力をも」ったエネルギーを束ねる「フォルダ」
が神である。そのようなカミは「あるモノ」であるのに対して、ホ
トケは修行の果てに悟りを開いてホトケと成った者である。カミは
「人間の祈りや祭りに感応して、その場に立ち現われて来る。」ホ
トケは「此岸を離れて、悟りの世界」へ渡って往く者」だと定義す
る。
ちかごろ評者は、地元の石仏の写真を撮り歩いているが、先日立ち
寄ったお寺で地蔵や阿弥陀如来の石仏を撮らせていただいた。奥の
院には鍾乳洞に観音窟がほられ、頂上には奇岩がまつられ、そのて
まえには小さいながらも滝が水を落していた。そこにはあきらかに
仏教だけではない神威・霊性とよぶにふさわしい雰囲気がある。べ
つの浅間神社にも滝がながれ、倶梨伽羅不動と大日如来が境内にな
かよくすえられていた。柳田國男のいうように、「水がわが邦の固
有信仰と特殊に関係の深い」かたちがここでもみられる。その水脈
をくんで麓の寺がつづいてきたことが端的にわかる。その意味で評
者も著者の主張にこころひかれる。「草木国土悉皆成仏」の成仏観
には「神道」の神観や自然観や生命観が溶け込んでいる。
このような前提に立って著者は、古代律令神道、律令仏教から中世
神道、中世仏教、近世の国学と幕末維新期の神道と仏教とを俯瞰す
る。その視点は体系的な仏教に対置して登場した神道が「共同体な
いし国家の伝統的な基幹宗教文化として生活習慣化されていた“フ
ォルダ”のような一種の容れ物」だととらえる立場である。これは
柳田が「天然または霊界に対する、信仰というよりもむしろ観念」
だと指摘した、神道の幅広さ、ファジーな面を現代的にアレンジし
たともいえる。
そして、現代が「平成」ではなく「兵政(イラクへの自衛隊派遣な
ど)」におちいる遠因をつくったのは、明治維新政府が仏教と国家
的神道を分離し、仏教を壊滅させようとする政策だった。神道が国
教化されたのではなく、国家が管理しやすい体制になっていき、天
皇制の神格化が進められた。そのけっか、神社は宗教ではなく教派
神道が宗教であるという、国家神道への倒錯した政策が戦争への道
を後押しした。氏神鎮守の神は祈りと平穏無事に1年をかさねるこ
とができたことへの感謝の対象でこそあれ、戦い鼓舞をするもので
はなかったはずだった。この意味で、自然主義で自然の存在を畏怖
するところからはじまる神道と、人間の苦悩をあるがままに見るこ
とからはじまる仏教との習合が必要になっている。地球全体、生命
界全体の問題を解決するために新神仏習合が求められている。
本書は国家神道と素朴な産土神信仰との区分をはっきりと仕分け、
国家神道が維新政府によって天皇制を補強する政策として打ち立て
られ、機能してきたプロセスがわかりやすく説明されている。「霊
性」にもとづく本来的な神道と仏教とのあたらしい習合が必要だと
いう主張に、一読者としてうなずける。
ただひとつ批判を許していただくとすると、神と仏との原理的違い
としてカミは「立つモノ」であるのに対して、ホトケは「座る者」
という点はいかがなものだろうか。その根拠がカミガミを数える数
詞は「ハシラ(柱)」というが、ホトケを数えるには「ザ(座)」
を用いるというのはダジャレといっては言い過ぎだが、根拠がよわ
い。おなじ地蔵菩薩でも坐像もあれば立像もある。薬師如来もしか
り。ホトケを狭義に釈迦だけに限定しても腰かけた像(深大寺)も
あれば立像(清涼寺)もある。実在の空海や親鸞、日蓮などはきわ
めて行動的であって、座るイメージからは遠い。カミの場合も石や
山、植物神は「立つ」といえても、雷や海、蛇などはそれがふさわ
しいとは思えない。姿態を座標軸にしてカミとホトケとを仕分けす
る方法は一考を要するとかんがえる。

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兄と息子が自閉症をもつ家族の3代にわたる記録。かれらの特性にあわせた実践的な療法・対処法ものべられている。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

指示なしではなにもできない兄とその世話をする母のもとに日曜ごとに帰る著者。大学卒業後結婚し、息子テッドが産まれる。好奇心に欠けていたり、他の子どもに無関心でいたずらされても無抵抗で、他の子どもたちとの違いが目につくようになった。息子と心中しようと思案したが、兄のサマーが家族を不幸にしたのではなく、従順で無邪気なゆえに彼のほうが犠牲にされたのだと思いいたり、研究レベルのその後の向上も糧にしてそだてることを決断する。精神障害者協会にはいり、おたがいに助け合うグループの姿に感激する。テッドは学齢まえのプレスクールの特殊学級に入学したが、そのクラスのなかでも目立つ存在であり、兄との共通点が—記憶力・空間認知能力の点で—あらわれてきた。とくに運動能力発達のアンバランス、奇妙な言語パターン、社会的孤立がぴたりあてはまることに驚く。最大の欠陥は原因と結果の感覚が未発達なことと、コミュニケーションの過程を理解できないこと。そして母の死。入所するグループホームの介護者や新しい指導者、療法士がおなじ情報をもてるように、それまで母の指示なしでは行動できなかった当人になにができるのかをはなし、無駄や退行がおきないように配慮をする。異常行動の根源はコミュニケーションがとれないことへのいらだちからと思われ、知識的進歩よりも異常行動の改善に重点をおかなくてはならない。いっぽうテッドは各自の目標が設定され、地域のなかで機能できる能力をつちかうプログラムをもったすばらしいグループホームにはいることができた。だが月に1度の帰省が長くなると、家族の忍耐を越えていた。時間の概念がない自閉症者には原因と結果もわからない。信号を待つあいだ大騒ぎをするのもそのせい。時間をわからせるために、時計を見せて「あと○○分したら…する」というように工夫する。またある行為がまわりの人の驚きや関心をよぶことに気づくと繰り返す傾向があるので、パターン化するのをさけなけなけらばならない。テッドの18歳までと母の死んだあとのサマーのグループホームでの生活を追いながら、随所にかれらへの対処のしかたを述べた、実践的な示唆に富むノンフィクション。

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紙の本自閉症の現象学

2011/05/31 21:49

自閉症を哲学の立場からやさしく説く

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 障害者についての認識はだいぶ広められている。それでも、知的障害者については、高齢者や身体障害者ほどには理解が進んでいるとはいえない。一般知識としてあたまではわかっているつもりでも、身近にいる知的障害者にたいしては違和感をもっているひとが多いようだ。なかでも自閉症については、どのような症状をもちどのような感じ方をし、どのようなメカニズムで行動しているのかあまり知られていないのではないだろうか。
 自閉症についての本は手記や療育書など数多出されているが、本書のように哲学的な面から考察したものはあまりないようだ。その意味で、ユニークな書名に惹かれて読む気をそそられた。著者は「世界や他者は私の意識が生みだした幻覚にすぎないのではないか」とかんがえる独我(論)者として、自閉症者をとらえている。自閉症者は外の世界とのコミュニケーションをとることが少なく、独我的な存在であるように見える。その点から、おなじ現象学でも世界内存在として人間をとらえる実存的現象学の立場よりも、フッサール現象学の後継者を自認する著者が自閉症についての理論をのべるのは適切といえる。(少なくともいまのわたしにとってはわかりやすい)
 この本のキーワードは「視線触発」つまり「眼が合うこと」である。重度の自閉症者はひとのまなざしや呼びかけを受け止めることも、自らひとにまなざしを投げることもない。自分も他者もいまここにいるのだということが認識されてはおらず、生の感覚の世界に生きている。なので、まなざしを受け入れ返すことができるようになるということは、ただ「他者の存在に気づくという」だけでなく「体の触発が生成する段階へ跳躍」する。自分の感情やからだがあるということに気づくことなのだ。さらに進めば「定型発達」(普通人)では、体と人格とのあいだにある「ずれ」があるにもかかわらず、おなじものだという錯覚のうえに日常生活がいとなまれている。その基盤になるのは身体感覚、運動感覚である。
 かれらにとっての時間は、過去からいま、未来へとながれてはいない。あるのは「来るべき印象」も「過ぎ去った印象」もない厚みのない岩盤のようないまだけ。たまに過去がよみがえったとしてもそれはひとつの固定したイメージとしての過去が今にもぐりこむことである。その意味で過去も来るべき未来もいまとはあまり区別がついていない。「フラッシュバック」があるだけである。あたらしい場面に出会う重度の自閉症者は日常的に予期せぬできごとの恐怖に侵されている。それは東日本大震災の地震や津波、原発事故を予想できなかった、わたしたちが抱いた恐怖と不安感以上のものかもしれない。しかも日常的にその種の恐怖や不安に襲われているのだ。
 空間もまたいま見えているものだけが広がりのすべてであり、眼前の立体のかくされた向こう側はかれらにとっては存在しないという傾向がある。世界は山下清の貼絵あるいは曼荼羅がそうであるように緻密かつ平面的にとらえられている。私事だが、わたしの自閉症の息子は囲碁のテレビをみるのが好きで、四六時中それを見ているが、じっさいの碁盤にも碁石にもまったく興味を示さない。ということはテレビ画面に映った碁盤と碁石に興味があるのであって、げんじつの立体的な碁盤や碁石には興味がない、わからないということのうらがえしなのだ。自閉症者は視覚中心にとらえ表現することが多いが、かれらの描く緻密な絵が平面的なのもおなじ理由からなのだ。さらにかれらにとって空間という全体的な拡がりは存在しない。客観的な環境ではなく無自覚の自己をとりまくかぎられた環世界があるだけだ。それは著者によれば、「身体性(知覚空間)が浸透していないこと」「情動性・気分」の欠如による。身体感覚が弱いことが他人と自分を区分できない状況を生み、他人とのコンタクトをとれない原因をつくっている。身体感覚の弱さがまなざしへの反応を弱めている元凶なのだ。
 以上から、自閉症者には常識的な意味での空間も時間も存在しないということが見えてくる。見えている周囲だけが世界であり、前後のないいまだけがすべての時間というよりも時間が存在しない。(ある意味で永遠のいまだけがある。)空間を立体的にとらえられないのも時間の流れの意識がもてないことに由来する。かれらにとっての空間には、「生活に根ざした意味的な遠近感は存在」せず、「知覚の一覧として世界を構造化している」。世界と自己との接点である身体をはっきりとは把握できない。感情表現をとおして内面性を表現するという錯覚をもとにして社会が構成されている以上、「この錯覚を共有できない」自閉症者はコミュニケーションが取りにくくなってしまう。さらに「本人は知覚と空想を区別していない。」思考がないわけでも支離滅裂なわけでもないが、「イメージの連鎖」が思考なのだ。ここに自閉症者の大きな特徴がある。
 かれらが常同行動にこだわり、予期しないできごとにであうとパニックをおこすのは、その安定した状態をみだされるからであろう。こだわるということは「自分の身を守る手段と世界への回路を残せたということ」であり、「世界と安定した関わりを持つための方略なのである」。常同行動を否定的に見るのではなく、「常同行動は世界への住み方であり、世界への窓口になる」という指摘は重要だ。この位置に立つことによってはじめて、自閉症者の目線によりそっておなじ目線で見、かんがえ、対応する態度が生まれる。そうしてはじめて自閉症者の世界を拡げることが可能になるのだから。
 著者は「到達点、―形の次元―から出発し直」せば「ポジティブに否定性を媒介することなく、自閉症を記述することが可能になる」としるしているが、自閉症をみるわたしたちの立場からいえば、自閉症をかんがえ、判断しようとするばあい、著者のいう「定型発達」(=普通人)とくらべてどうなのかという基準を前提にしないわけにはいかない。そのさきでかれらにはどのように世界が見え、感じられているのか、そしてどのような関連で行動がなされているのかという現実を読み解くことができれば、こちら側の人間であるわたしたちにももっとちがった対応のしかたが発想できるようになるだろう。それを明らかにする日が一日もはやくもたらされることを願うばかりだ。
 あとがきによると、多くの臨床家のもとでおこなったフィールドワークが著書の源になっている。文献からの引用だけでなく具体的な事例があげられているので、現象学というむつかしい分野の研究書としてはわかりやすい部分が多い。さらにフッサールの現象学が批判継承され、その前提に立って自閉症の症状分析がなされている。この本はわたしにとって、自閉症を理解するうえで、現象学的な立場から認識を深め、整理してくれる、“大地のあつさ3寸をます”内容の濃い本だ。

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