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筑波之雪解け水さんのレビュー一覧

投稿者:筑波之雪解け水

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本奇面館の殺人

2012/01/14 03:47

今だからこそ投げられる絶妙なストレート

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 特に「必ず犯人を当ててやろう!」などと意気込んで読み始めたわけではないけれど、文章を読み進めるうち、物語の舞台となる館の造作や登場人物の挙措が描写されるたびに何か伏線の存在を探りだそうと注意深くなっている自分の態度にふと気がついた。

 この、懐かしい読書の感覚。
 確かに「館」シリーズを読むときは、このように叙述、描写、会話あるいは作品全体を統合する話法についても、そこに罠が仕掛けられていることを疑うのが常になっていた…
 そんなことを、本作を楽しみながら数年ぶりに思い出した。

 本作は、シリーズの中でもシンプルな作品にまとまっているといえると思う。
 物語はほぼ時系列に沿って展開し、人物間の視点移動も最小限に抑えられている。
 そして描かれるのは、古典的、というより、今更下手をすれば冗談に堕しかねないような「吹雪の山荘」もの…

 もっとも、このシンプルさは、前作(『びっくり館』もシリーズにナンバリングされるらしいから正確には前々作か)『暗黒館の殺人』の重苦しさを通過した作者であるからこそ繰り出せたものなのだろう。
 あの、出る順番を間違えたラスボスのような「暗黒館」を、(安易に推し量るのは失礼かもしれないけどおそらくは)死にものぐるいで創り上げた綾辻行人であるからこそ、本作「奇面館」において例えば登場人物たちを舞台の外へ逃げ出さないよう吹雪を荒れ狂わせる手腕や、探偵の少々鬱陶しくはあるがやはり愛すべきキャラクター(凄惨な事態に衝撃を受け被害者を悼みながらも、もちまえの好奇心が沸き起こるのを抑えられないばかりか、そもそも端から事件の起きることを期待している節のある鹿谷門実の様子は読んでいてとても楽しい)の造形に手練の冴えを見せるのだ。
 およそ非現実的な状況や、いささか無茶な設定が出てきても、読了後にはそれらが虚構を成り立たせるために必要欠くべからざるものであることに気付かされるだろう。

 今回、綾辻行人は直球を投げてきた。
 野球のルール自体をぶち壊しかねない魔球のような「暗黒館」の後だけに、意表を突かれたようにも思う。
 しかし、ひとたび読了すれば、「新本格」の歴史を背負いながら数々の館を落成してきた綾辻行人だからこそ投げられる、本書は絶品のストレートであることを、読者は知るだろう。




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紙の本シンセミア 上

2003/11/12 23:42

日本文学史に比類ない堅固な物語。本書は阿部和重の文学的達成を示しているというわけだ。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

原稿用紙換算1600枚、上製ハードカバーニ分冊、上下巻合計3400円超となると、時間的にも値段的にも楽な読書にならないことは明らかで、少々尻込みしてしまう。けれども、阿部和重さんの初の長編と聞いてしまっては無視することもできず、さらに今年の出版界の大きな話題になるのは必至だな、というミーハーな好奇心に屈服して、手にとってみた。
正解だった。
本書は、デビュー以来一貫して、小説で出来ることと出来ないことを追求しつづけてきた作者ならではの、文学的達成と言えると思う。『ABC戦争』『インディヴィジュアル・プロジェクション』などに付いて回っていた(と、個人的に考える)すわりの悪い読後感は、『シンセミア』には微塵も感じられない。「小説」の形式性に、ちょっと異常なぐらい執着しつづけていた阿部氏が、このような堅固な物語を築き上げてくれたことを、一阿部ファンとしてとてもうれしく思う。

物語の舞台が、作者自身の故郷でもある、山形県の「神町」であることは、すでに多くの人が知っているだろう。また、そうした手法の先達として、フォークナーや大江健三郎、中上健次を援用している書評が多いことも。
が、箱庭のような舞台を作り上げて、そこにキャラクターを配置して物語をつむいでゆく、という手法は、別に文学特有のものではなく、アニメ、ゲーム、ライトノベルといったサブカルチャー群のなかにも昔から散見される。『シンセミア』は、実在の、歴史を備えてさえいる町に、思いっきりデフォルメされた登場人物を配置しているという点において、サブカルチャーと文学史の両方を射程に据えて書かれているのかもしれない。

文学的な趣は抑制された筆さばき(ただし、その筆致によって、独特の叙情性が醸し出されていることにも注目されたい)で浮かび上げってくるのは、神町に生きている、というよりはうごめいていると形容するのが妥当に思えるような、住民たちの生態だ。町のあちこちに仕掛けられている隠しカメラを次々に切り替えるようにして、住民たちの営みが白日の下に晒される。だから、本作品の登場人物たちは、読者に対しては秘密を持つことを許されない。この点、たとえば大江健三郎『万延元年のフットボール』の登場人物の口から「本当のことを言おうか!」という一言が、読者を物語の深みに誘い込むために発せられていたのとは、だいぶ異なる。『シンセミア』の読者は、秘密によって物語の中を牽引されるのではなく、ドミノ倒しのように群発する事件の傍観者たらざるを得ない。ロリコン警官の蛮行、パン屋さん夫婦のメロドラマ、悪徳市議どもの姦計等々、さらに地震、火事、洪水などが起きる中でさまざまな噂が町のあちこちに蔓延して(「噂」は中上健次『枯木灘』に欠かせないファクターだった)、物語は加速度的に終局に至る…
キャラクターたちの死に様が、まことに素晴らしい。

阿部和重さんは、四年間の長期にわたってこのキャラクターたちと辛抱強く付き合いつづけた。その成果が『シンセミア』という大作だ。
読者もまた、早読みせず、じっくりと本書を読み進めてはいかがでしょう。もっとも、この本、特に後半は、ページをめくる手が止まらなくなるかもしれませんが。

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紙の本山ん中の獅見朋成雄

2003/10/16 19:10

擬音語の乱舞によって立ち現われる神話世界

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の帯には「これぞ最強の純文学!」なる惹句が記されているけれど、これはまったくの嘘です。
いつもと変わらない軽妙な舞城節を楽しませてくれるという意味において、この作品はむしろ舞城王太郎の入門書に最適な物語だと言えると思います。

類まれなる俊足と鋭敏な聴覚、そして背中に鬣を持つ少年、獅見朋成雄。
物語の主人公たるにふさわしい能力を付与された彼に用意された舞台は、一種の山中彷徨譚にして冥界下降譚。
『九十九十九』や『暗闇の中で子供』に比べると、アク抜きされていて、きわめてまっとうに構成されている。

話自体に斬新さはないが、全体を通して散見される独特のオノマトペがちょっと面白い。
「しゅりんこき しゅりんこき」(墨を擦る音)、「シババン、シバサワリシバン」(山中で風に吹かれた竹の鳴る音)、「ニザン。ニイイイザン。ニイイザン」(鬣を剃る音)……
こうした音の群れを、成雄の耳は捉えつづける。

このような表現を文学的退廃と見てはつまらない。
小説作法からいえば禁じ手的なやりかたによってしか描くことのできない世界もあるはずです。
成雄の語りに素直に耳をすませることが、読者にとって一番の得策になるはずです。
読了後もしばらく、「しゅりんこき」の音が頭にこびりついていました。

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