光野桃さんのレビュー一覧
投稿者:光野桃
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紙の本須賀敦子のヴェネツィア
2001/10/03 22:16
肌で感じる「須賀敦子」の痛みと祈り
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ミラノに暮らしていた時、石の街の硬さ、重々しさに挫けそうになると、よくヴェネツィアへ行った。海の上につくられたこの街のよるべなさに、心慰められるような気がしたからだ。特にひと気のない秋から冬にかけては、静かなマントのように私を包み込んでくれた。
須賀敦子の作品に登場するヴェネツィアも冬が多い。本書は、そうした作品を丁寧にひもときながら、モザイクのように須賀文学の本質を浮かび上がらせていく。
旅の始まりに著者はこう書く。——行間からは観光客で賑わう夏の季節から身を引いて、凍てつく冬景色の中を歩きながら自分と街とのつながりを探し求める姿が浮かびあがってくる。見ている自分と、それを思い出す自分との往復運動が伝わってくる——。様々な橋や島、ゲット、ザッテレの河岸、古い友人などを訪ねる旅は、須賀と呼吸をひそやかに合わせながら、一人の文学者の精神に分け入ろうとする著者自身の旅でもある。
時折、あくまで須賀に寄り添おうとする姿勢の奥に、著者独自の視線が顔を出す。それが、全体に孤独の寒さともいえる色調に彩られた「須賀敦子」との旅に温かさを加え、読んでいてほっとさせられる。「おそらく人はこの町では、地図に描かれるものと別のメカニズムによって町を記憶するのだろう。(中略)たとえば人通りの多い道はなんとなく人間くさいような気がするものだ」といった一文や「スカート姿の女性が背筋をしゃんとのばして乗っていると、女スパイの出勤風景のようだったし、たくさんの乗客が一方向を向いて渡っていると、人間というよりカイワレ大根のパックが流れていくようだった」と書かれた、渡しのゴンドラの情景。筆致に抑制が効き、かつ感覚的な豊さをたたえているのは、大竹昭子さんが写真家でもあるからだろう。
本書の中のたくさんの写真は、今まで見たどのヴェネツィアの写真より、誠実なまなざしで切り取られ、静かな詩情にあふれている。だからこそ、この本を通して読者は、須賀敦子の痛みと、その人生観の根底にある祈りを、肌で感じながら共有できる。
本書は旅の色合いが強く、たのしめるのだが、より深く味わうためにも『須賀敦子のミラノ』とあわせて読むことをおすすめしたい。
(光野桃/作家・エッセイスト 2001.10.04)
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