小林 康夫さんのレビュー一覧
投稿者:小林 康夫
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紙の本武満徹音の河のゆくえ
2000/10/21 00:17
日本経済新聞2000/4/23朝刊
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武満徹が亡くなって四年あまり、あの厳しく、かつ官能的な、その意味では深い両義性に貫かれた音楽の態度がどれほど貴重なものであったのか、われわれはますます強く感じはじめている。さまざまな変化を内包してはいたが、武満徹の音楽は、なにかを表明するのではなく、あくまで世界を問おうとすることにおいて一貫してきわめてラディカルであった。
かれによって、音楽は、人間が世界を経験するひとつの場所となったのであり、しかもそこでは、世界を聴くことが同時に、夜や死のような沈黙を聴くことであることまでも示されたのである。驚くべき根源性である。武満徹は、音楽の歴史のなかに、ひとつの独特の哲学を刻み込んだのだ。
この哲学を、生前かれ自身が明晰に語りすぎたために、われわれはともすると、すでにその全貌を理解していると錯覚しがちだが、しかしひとりの創造者の宇宙はそんなに簡単ではない。そこにはいくつもの謎や逸脱や神秘が隠されている。たぶんわれわれは、いまや武満徹への喪から目覚めて、もう一度、まるでかれの残した仕事が理解できないかのように聴く術を学ばなければならないのかもしれない。分かったつもりになっている知は、けっして世界を学ぶことはないからだ。
その意味では、「武満徹とはなんだったのだろうか」という問いを共有することから作られた本論集は、——皮肉ではなく——読んで武満徹がますます分からなくなる、という効果において重要である。つまり、今後未来にわたって、世界中で企てられる武満徹についての研究の最初のものとして位置づけられるべき未来への橋渡しの書なのである。
二十人の書き手が、武満徹という宇宙の多様性・多次元性を解き明かしている。武満徹プリズム——そう言ってもいい。時代のなかで作りあげられてしまった武満徹の像をいったんは分光し、撹乱し、創造者にその根源的な複雑性と過激さとを返すという時代の要請に真っ正面から答える書なのだ。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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