永江 朗さんのレビュー一覧
投稿者:永江 朗
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紙の本fの性愛学 口でする
2000/11/13 13:36
ありありとあらゆる角度から、フェラチオと人類について考察される。
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「Sが散文、Kが詩なら、〈F〉はおそらく音楽だ。未完の…」という伴田良輔による帯に感心してしまった。〈S〉とはセックス、〈K〉はキスである。そして、〈F〉はフェラチオ。なるほど、あれは音楽。尺八だのフルートだのになぞらえる俗語があるからではない。〈F〉のあいだに流れる不思議な時間は、たしかに音楽のそれに通じる。
本書はあらゆる面から〈F〉について考察したヘンテコな本である。しかも、語り口は一貫してエレガントであり、品位を保っている。いわゆる性的興奮をもたらすものではないが、しかし、知的興奮は大いに喚起される。
さいきん日本でもリバイバル・ブームのフランス・ギャルが歌った歌が出てくる。
「アニスの香りのする/大麦糖が/アニーの喉を流れるとき/彼女は天国にいる」
作詞は、これまた再ブームのセルジュ・ゲンズブール。この詞を歌ったとき、フランス・ギャルは19歳で、歌詞に隠された意味にまったく気づかなかった。
フランス・ギャルの歌が大ヒットしたように、そのことは誰もが知っていることであり、愉しんでいることでもあった。しかし、著者によると、フェラチオが各種の辞書に載るようになったのはごく最近のことだ。誰もが知っているのに、隠されていることだった。
文学の章では、ラブレー、モーパッサン、ヴェルレーヌ、アポリネール、デュラスなどの詩や散文に現われたフェラチオが紹介される。なかでもマンディアルグの『満潮』に出てくる海辺で潮のリズムに合わせて行なわれるフェラチオの場面の美しく、すばらしい。
文学のほか、社会学、歴史学、動物行動学、などなど、文字通りありとあらゆる角度から、フェラチオと人類について考察される。
当然というべきか、クリントン大統領の「不適切な関係」についての記述もある。あのとき、クリントンの弁護士たちは「フェラチオは性行為そのものではない」と主張した。そしてクリントンは上院から無罪を宣告された。それを読んでいて思い出したことがひとつ。私の女友達のひとりが、「本当に好きな人に出会うまで、セックス
はしなかった。『やらせてくれ』と言ってくる男たちには口でしていた」と中学生のころを振り返って言う。「だからワタシは貞操堅固なの」と主張するのだが、なるほどクリントンの論理は昔からあったのか。
「くわえさせている」のか「くわえられている」のか。これは「挿入しているのか」「のみ込まれているのか」よりも深い問題である。なにしろ口には歯が生えている。男にとっては、つねに食いちぎられる恐怖と隣り合わせだ。実際この本にはそうした事故の報告もある。たしか小説『ガープの世界』に
はもっと恐ろしい事態も出てきた。
読めば読むほどじっと考え込む、ヘンテコな本である。
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