三浦朱門(作家)さんのレビュー一覧
投稿者:三浦朱門(作家)
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紙の本阿川弘之自選紀行集
2002/01/11 13:04
異常と正常を結ぶ鉄道
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世間の人は道楽というと、「飲む、打つ、買う」の三道楽という。しかし我が畏友、阿川弘之の場合、道楽は「乗る、打つ、怒る」の三つとなる。
乗るは乗り物ではあるが、哺乳頼の生物エネルギーを要するものは、彼にとっては乗り物のうちに入らない。つまり馬、ラクダ、そして人類の女性、さらには自分でこぐ自転車などは乗り物ではない。早朝に横浜の家を出て、レース用の自転車を走らせて北上し、その夜は日本海の岸で、「荒海や佐渡に横たう天の川」をエンジョイしてもよさそうに思うが、彼にはその趣味はない。
打つは勝負事である。この温厚な紳士にして、かつての秀才がと思うほど、トランプ、麻雀、花札になると、人が変わる。
そして怒るというのも、彼の道楽というより仕方がない。ある時、私は彼と一緒に講演旅行をしていた。そして二三日、日本旅館で泊まっていると、何処でも刺身と焼き魚が出てきて、不味い訳ではないが、私はうんざりしてきた。車で移動する際、ドライブインで昼食になったので、肉に飢えた私が、カツカレーを注文したら、「バカ、それが文士の食う昼飯か」と怒鳴られてしまった。
彼にしてこの三つの道楽がなければ、文学部ではなく法科か経済に進んで、高級官僚か大企業の経営者になっていたであろう。
道楽というのは、その人の人格の深いところに結びついているところがある。従って、文士が道楽について書く時、それは彼の表芸と無縁ではない。つまり面白いし、彼の作品をより深く理解する糸口にもなる。
この度は乗り物のうち、鉄道が主になっているが、北杜夫と故遠藤周作という二人の奇人が登場する。阿川を加えて、この三奇人の奇人度は次のようになろう。
阿川は道楽をしていない時間はマトモである。つまり大体、目を覚ましている大半の時間はマトモである。北は目を開けている時間のすべてが奇人だ。遠藤は寝ている時間も、つまり寝相と寝言においても奇人で、二十四時間、奇人であった。
これは奇人度の量というか、奇人である時間の間題であるが、それに奇人である質、つまリオカシサの程度を掛けあわせると、北杜夫、奇人度八十、遠藤周作、奇人度七十、阿川弘之六十ということであろうか。阿川は常識人として通用するかどうかの、ボーダーライン上にあると言えよう。
たとえば周囲に家一軒ない、太古以来の山林の中にあるカナダの無人駅で、ただ一人、次の列車を待ちながら、熊に襲われて死ぬ場合に備えて、漢文体の遺書を書く阿川は、まさに正常と異常の境にあると言えよう。(JTBより提供)
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