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鳥頭さんのレビュー一覧

投稿者:鳥頭

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体験を語る難しさ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著作には、つねに功罪がつきまとう。ことに、本書のようにジュニア向けのエッセイの場合、問題はいささか深刻である。
 本書には、著者が北海道大学の大学院の入試に失敗したのを機に「二風谷には何かがある」と考え、萱野茂氏の居候になり、そこで10余年過ごした体験が描かれている。そこには、その土地にある期間住み着いた人間でなくては理解できないに違いないアイヌの知恵、考え方が記述されており、アイヌ文化を知る上での手助けをしてくれる。アイヌの現在をシャモ(和人)の立場からどのように理解すればいいのか、相互理解とは何か、などという問題を考えさせる契機になることは間違いない。アイヌへの差別が存在すること自体が、そもそもおかしいのだから。そして、萱野茂氏の助手としてアイヌ語教室を子どもたちのために立ち上げ、子どもたちにアイヌとしての誇りを持たせようとした足跡が書き込まれる。こころあたたまる光景である。
こうした記述のなかにあって、マスコミ、研究者のアイヌへのかかわりなどに関する記述は、あまりにも「ステレオタイプ」に過ぎる。簡単に言えば、アイヌの人々のこころも本当に知らず、土足で入ってくるようなことはするな、というに尽きる。
それは著者が、二風谷での生活を振り返る時の語り口でも同じである。簡単に言えば、自分が二風谷でしてきたことは、本当に良かったことなのか、そうではなかったのか、いまだに闇のなかにある、という自問である。
ひとつの気になるエピソードの記述がある。一九九三年、東京国立劇場で開催された「アジア太平洋・歌と踊りの祭典」でアイヌの子守歌(イヨンノッカ)を著者が独唱したというくだりである。この独唱を著者はひそかに誇りに思っていたという。そして著者は次のように記す。「私はやはりあの舞台に立つべきではなかったのだと思っている。あのイヨンノッカは確かに「私の子守歌」だと思う。だとするならば、それはあくまでも愛する者たちだけに歌っていればよかったのだ。」(189頁)
本書は、産経児童出版文化賞の推薦図書のなかの一冊に選ばれているはずである。要するにジュニア向けの良書の一冊としてのお墨付きを得たということになるのだろう。
 しかし、個人的体験に対する自問をあえて記述することの意味は一体何か、と問いかけた場合、それはみずからの行為に対する「免罪符」としての意味しか持たないのではないかと思える。「わたしは悩んでいる」と書くことによって、みずからの過去が美化されてしまう危険性である。これは厳しい言い方かも知れない。しかし、ジュニア向けの本であれば、子どもたちに与える影響は大きい。それは、昔話がほのぼのしたものなどではなく、他者を排斥する心理的なメカニズムを内包していることと同じである。
 本書は「永遠の少女」の作品である。

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