鷲尾賢也さんのレビュー一覧
投稿者:鷲尾賢也
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紙の本編集とはどのような仕事なのか 企画発想から人間交際まで
2004/01/30 18:04
ポイント世代の編集論(著者コメント)
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パソコンやワープロによる原稿が圧倒的多数になっている。脱稿したというので、嬉々としてうかがったらFD一枚だったなんていうことはよくある。最初のころはおどろいたが、いまやもう当たり前。手渡しすらなく、メールで送られてくる原稿も多くなった。
故老のはなしのようになって恐縮であるが、出来上がった原稿を持ち帰るあの重量感が、私は忘れられない。ようやく貰えた、どんなデキなのだろうか。気持ちが昂ぶったものである。だから原稿を失くしては大変。どんなに酔っても、網棚に載せてはいけないと先輩によく注意された。いまではバックアップをとってあるので心配がない。実際の重さだけでなく、原稿の扱いのすべてが軽くなってしまった。
手書きの原稿には著者の息使いや、気持ちの揺れなどがよく見えた。品のない略称の「ふんどし」といわれる、挿入の追加原稿がたくさん張られていたり、はげしく削除されていたり、字が乱れていたり、まさにくるしい戦いの痕跡なのである。
原稿をまず読む。もし出来が悪かったら、修正してもらわなくてはならない。だからたのしみでもあるが、不安でもある。これは「いける」と確信できたときの喜びはいわくいいがたい。「まあまあかな」というときもよくある。合格点なのであるが、どこかチョット気にいらない。しかし、そういう手書き原稿をゲラにしてみると、おもしろいことに「おー。結構いいじゃない」ということがよくおこる。概して平均すると二〇パーセント増しに評価はあがるものだ。おそらく活字の力が加わるのだろう。
ところがパソコンやワープロ原稿にはそういうことがまったくない。ゲラにしてもプラスアルファがない。「まあまあ」の原稿は、ゲラになっても「まあまあ」。「駄目」なものは、ゲラにしても救われない。個性的な字が活字になる。こんなに読みやすくなったのか、といった予想外の感動や驚きが生じない。
私たち世代は活版で育った。さすがに号活字はほとんど使わなかったが、すべてポイントで訓練を受けた。本文はだいたい九ポ、括弧内は8ポ。目次などの字配りや文字使いをどうしようか、などとよく考えたものである。どうもいまのQ数指定は肌にあわない。
実際の現場を見れば、活字を拾い、組むということがどれほど大変な作業なのかよく分かる。無茶な直しをすると、印刷所に怒られた。赤字が入り、加筆や削除があるときは大変である。実際にもの(活字)を動かさなくてはならないからである。ページをまたぐ訂正など、なるべくしないようにするのが常識であった。だから字数を何度も何度も数えたものだ。ところがいまやすべてが画面上で処理されてしまう。直しもなにも重みがなくなってしまった。カンタンすぎる。
こういった技術の変化はこの十年ぐらいで驚異的に進んだ。DTPなどはもっと発展するにちがいない。ポイント世代が後生大事にした編集実務は時代おくれになったことは事実だろう。
ただ、ひとつだけまったく変わらないことがある。それは企画を立て、原稿をどのようにして依頼し、著者に引き受けてもらい、そして脱稿してもらう基本プロセスだ。そこで苦しむのは、パソコン世代もまったく同じだ。つまり相手が画面でなく、人間だからである。今回の『編集とはどのような仕事なのか』はそのあたりのことを書いたつもりである。(PR誌「トランスビュー」No.07より)
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