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工藤秀之さんのレビュー一覧

投稿者:工藤秀之

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出版社コメント

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 なぜ日本が無謀な戦争へ突入しなければならなかったのか、その原因究明は戦後十分になされてこなかった。連合国により戦犯は裁かれたものの、日本の社会が主体的に戦争の原因を究明しその責任の所在を明らかにする努力を行うことはなかった。この責任回避型社会体質は、オウム事件にも当てはまる。いったいなぜオウムという宗教が日本の社会に生み出されてきたのか。本書は、オウムの教義とその変遷を丹念に追い、さらにオウム事件を生んだ日本の社会のあり方を問い直す。

 学校や会社で植え付けられる、「他人の気持ちを察する」「人を信じる」ことを良しとする価値観。“誰か”に自我を預けてしまうことの出来るシステム化された社会。このような日本で育った「信じやすい心」をもった若者たちがオウムの信者の中心であった。

 現実の社会に虚しさを感じ、自分の力では自己実現ができない若者たち。彼等の心に麻原彰晃の説く世界観はアピールした。日本の宗教は世俗化し、現実を批判する超越した論理を失ってきた。ましてや、中立的な宗教についての情報を得る機会も彼等にはない。

 現実を生きる私たちの孤独な生は、何によって支えられるのだろうか。宗教や生活の共同体はその力を失った。もちろん、極端なナショナリズムにもその可能性はない。

 本書の最後の言葉「オウムの人間たちは、その教祖を含め、孤独に耐えられなかったのではないか。私たちは孤独に耐え、その孤独を楽しみながら、自分の頭を使って、これからを考えていかなければならないのである。」。ひとりの人間が生きる事の困難への対峙が、本書の隠されたテーマのようだ。

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