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thetさんのレビュー一覧

投稿者:thet

3 件中 1 件~ 3 件を表示

趨勢的論調を批判する啓蒙の書

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 邪馬台国関連の書籍は、氾濫という言葉が過言ではないほど出版されているが、アマチュアのものは確信犯的な独断に傾きがちであり、専門家のものは細密な学問的考証に傾きがちである。なかなかバランスのとれた全体像を鳥瞰できるものは少ない。著者は、もともと数理文献学の分野で実績を積んできた人であるが、その方法論を古代史分野に適用して、古代の天皇の在位年数の推計など、斬新な仮説を次々と提示し、幅広い読者を獲得してきた。 また、『季刊邪馬台国』(梓書院)の編集も担当しており、啓蒙家としても大きな役割を果たしている。
 本書は、著者の今までの研究成果をもとに、現在の考古学を中心とした学会とマスコミが連動して作り上げている趨勢−邪馬台国畿内説−を痛烈に批判した書である。論争へのアプローチは、主として、文献史学の立場からと考古学の立場からを中心として行われてきたが、およそ2000文字程度のいわゆる『魏志倭人伝』の解読については、既に細部にわたる議論が行われているから、余り新しい成果を期待することはできない。一方で、考古学では常に「新発見」の機会があるから、ニュース性においてはどうしても考古学の方が優勢になることは否めない。
 その結果として、マスコミ的には、考古学関係の情報量の方が多いということになる。邪馬台国論争の考古学的知見は、『考古学京都学派』(雄山閣出版)と称される京都大学考古学教室が主導してきたが、それは同時に「畿内説」の立場と殆ど同一でもある。現在の中心的存在は、橿原考古学研究所の所長を務める樋口隆康氏であるが、著者は、マスコミを通じて流される樋口氏らの発表が、「誤りと無根の事実に満ちている」と批判し、樋口氏らはその批判に答えていないとする。また、考古学・歴史学のすぐれた新進の研究者に送られる浜田青陵賞の受賞者である京都学派の若手の論客岡村秀典氏の著書『三角縁神獣鏡の時代』(吉川弘文館)に対しても、「強い思いこみと、『空想』を正しいと思いこむ能力と、決めつけばかりである」と手厳しい。
 「三角縁神獣鏡は魏鏡か国産鏡か」をはじめとして、議論の分かれる点について明快な整理をしており、文章も過激だが分かりやすい。邪馬台国論争は今後も果てしなく続くであろうが、現時点でその全体像を概観するための格好の入門書と言えよう。

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成功への確率を高めるキーとしてのストラテジック・マインド

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 「IT革命」論が賑やかに語られているが、目に見える現象としての「IT革命」と言えば、何と言っても携帯電話の普及であろう。プラットフォームでも、街角でも、老若男女を問わず、実に多くの人が携帯電話を操作している。
 ITビジネスの特徴の一つは、勝者と敗者の差が徹底的であることにあるが、iモードの歴史的勝利は何によってもたらされたか。著者の夏野氏自身が語っているように、最も大きな成功の要因は「偶然」であろう。多くの場合、失敗には、それなりの必然性があるが、成功は偶然によってもたらされる。
 しかし、やみくもにトライしてみても、偶然の神は微笑んでくれはしない。透徹したストラテジック・マインドこそが成功に至る偶然を生み出す基盤を作り出す。戦略なきIT活用がどのような結果をもたらすかは、「加藤の乱」の経緯を見れば分かりやすいだろう。iモード・プロジェクトにおける夏野氏の役割は、まさに戦略的なビジネス・モデルの構築にあった。
 夏野氏が副社長を務めていたハイパーネット社は、かってベンチャービジネスの花形企業であった。同社の社長だった板倉雄一郎氏の書かれた『社長失格』(日経BP社、1998年)などを併せて読めば、ビジネスにおける偶然と必然について、より多くの示唆が得られると思う。

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紙の本艶紅

2001/01/25 18:04

男と女の織りなした模様は?

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 久乃は、藍の経糸、茶の緯糸で平織りの反物を織っている。一見すると薄い藍色だが、光の加減によって、緯糸の茶が浮かび上がり、奥行きのある色合いになる。人生の模様を織り出すのは男と女だ。どちらが経糸でどちらが緯糸か。雪の日の京都の神社で、久乃と森高は運命の糸に導かれたように出会う。森高は滋賀県の栗東町にある競走馬のトレーニングセンターで、装蹄師をしている。ハンマーで鉄を叩き、馬に装蹄してやるのだが、力仕事と細やかに神経を集中させる仕事を同時にこなさなければならない。
 森高は複雑な過去を背負っている。それが、彼の深部に冷めた魂を漂わせ、女たちはそれを本能的に見抜き、抜き差しならないところまで深入りすることを避ける。森高の女出入りが修羅場に至ることはなかった。久乃も、似たような過去を持つ。それが相手に対する思いやりともなって、二人の中は急速に深まっていく。
 艶紅は、紅花から作った染料だ。森高と出会った頃、久乃は毎日紅花で風呂敷などを染めていた。いい赤が出せるのは寒いときだ。運命の偶然が二人を繋げたように、別の偶然が二人を引き離す。愛執は残ったままだが、艶紅の美しさを森高に見せる機会を持つことなく、久乃は堅い決意で森高を遠ざける。二人が織った模様は、華やかでもあり哀しくもある色合いだった。

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