ノスさんのレビュー一覧
投稿者:ノス
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紙の本知識の哲学
2008/06/24 19:52
それはビューティフル・ドリーマー
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「世界はどのようにできているのか?」という問いへの努力を、哲学ではどうやら、「形而上学」と呼ぶらしい。ただ、哲学が扱うのは、こうした「形而上学」的な問いに収まらない。哲学が取り組むもう一つの重要な問いとして、「『世界がどのようにできているのか』、といった事柄を、私たちはどうして、そして、どのように知ることができるのか」というものがあり、これこそが、本書が取り扱う「認識論」と呼ばれる分野なのである。
ところで、私たちが何らかの事柄を「知っている」とはいったいどのような状態を指していることなのだろうか。こうした「知識」の定義に対する古典的な回答の一つが、知っている理由が説明されうる(「知識とは正当化された信念である」)ということにある…らしい。ところがこの「知識」の定義が実は、さまざまな困難をはらんだものであり、本書は、この古典的な知識の定義が持つ困難への解決を出発点に、懐疑主義をぶった切り、返す刀で、個人が真理に到達することに内在的な価値があることを前提とした古典的認識論の道徳主義的な側面をあぶり出す。最終的には、知識は個人の内面にあるものというよりは、社会の中で共有された存在という理解の「認識論の社会化」を目指すべきという主張に至る、著者の構成力、そして文章力は鮮やか!
なんだけど、この本マジ難しい…。
たとえば、知識の古典的な定義に対して、反例を提示することで異議を唱える「ゲティア問題」に対して、外在的な情報知識理論によるドレツキの解決の方法。うーん具体的に分かりやすく書いてあるのだけれど…。でもその事例が、うる星やつらの映画『ビューティフル・ドリーマー』にインスパイアされているのは分かったよ!!
各章の最後に、それぞれの章を復習問題が置かれているのだが、これもクソ難しい。たとえば「1+1=2といった数学的信念が不可謬(間違いない、ということ)であると言われるのはどうしてだろうか。考えてみよう」(p.43)、と言われても…。おそらくさっきまで読んでいたところで説明してくれているはずなのに、考えてみる気力が全く起きない私には、哲学的な才能がないんだろうなぁ。問いに取り組む喜びではなく、答えを知れた喜びに快を感じるんだよ、私は。
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