帝國グマさんのレビュー一覧
投稿者:帝國グマ
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2009/06/23 13:09
元本田技研工業狭山工場第一製造部車体組立課、山田次郎(仮名)はこう読んだ
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この本をはじめて手にしたのは21,2歳の頃だっただろうか、その時は埼玉県の本田技研工業狭山工場第一製造部車体組立課(こんなんだったか、なにせ古いことなんで)、通称・車組(しゃぐみ)に期間工として働いていた。大学へ行こうか、このままホンダの登用試験でも受けて正社員になろうか迷いつつその頃、ホンダ・オハイオ工場挽回生産のためアコード増産、また増産で疲労の極に達してた。たしか一直700台と想像を絶する生産量に気でも狂いそうな状態だった。そんなに疲れているのに、趣味の書店めぐりだけはかかさなかった。
そんな時に単行本「自動車絶望工場 ある季節工の日記」なんてのを手にしたもんだから「そんなこと言われんでもわかっとるわい!」プンプンと自分としては評価できない一冊だった。
その後、講談社文庫として再度の巡り会わせで、買ってじっくり読ませてもらった。いろいろと考えるところは多かった。多かったが、なにか消化できない課題が心に生じようとしていたので、この本は読後処分してしまっか、寮の誰かにあげてしまったようなきがする。
紙の本孤舟
2013/01/02 07:07
>以前、『毎日が日曜日』という高名な小説を読んで失望した。
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城山三郎だな。
私はこういう文章を見るとどうしても捨てて次へと、いくような文学感は持ち合わせて
いない。たとえ今、私自身を蝕む「パーキンソン病」が全身を覆いかぶさり文字が書けなくなろうと。ちょうど二時間かかった朝食の準備・食事も終わっことだし何か書いておこう。
はじめに書いておくこととして、私は私の考えが絶対的な感性と
もうしわけないこれ以上かけない、あとはまた体調のいい時に
紙の本陽だまりの彼女
2013/05/09 21:15
この名前。これはサイタマきたか?!
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最近の自分はまさに自称(このジショウなるお言葉こそまさにサイタマ語)「サイタマ評論家」として立たんと日夜、限りなく埼玉に近いサイタマと、あんた頭・大丈夫かい
という囁きをオモイッキリけっとばす、さらなるアンポンタンへどうやったら近づけるかと我が、こころの師今わ亡き臼井義人の名作「クレヨンしんちゃん」へ如何なる努力で
その境地と飛翔できえるか、まさに埼玉在住のまさに芥川賞への最短近道新潮新人賞受賞者・文豪佐川光晴氏を凌駕したかされたか、残るは宮代・北村薫、(経歴に一時期かならず県立春日部高勤務といれていた、その目的は?)
しかし「越谷オサム」てペンネームは・・・・・
紙の本愛と誠 1
2013/02/05 08:23
時の流れは、ひたすら無残。
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あれから30年という歳月ながれた。
あれからとは、もちろん梶原一騎が自分の枯渇して行く才能に気づかずやたらと八方美人宜しく、空手(極真→士道館)・映画総指揮(三協映画)・芸能事務所(梶原プロモーション)といったい幾つの顔をささえていたんだか。ああ忘れていた、梶原先生の本業は劇画原作者。なんでも日の出の勢いの先生当時の原稿料はノーベル賞の川端康成を凌ぐ勢いだそうで。先生原稿書くだけで一月1000万円の収入あったと息巻いていた始末。
先生、地獄の釜口の縁をあるていたは、ご自身思いも寄らぬことだろう。病後の先生の写真はまるで、これから「即身仏」を試みる高僧のような感があった。まあかまさかの「男の星座」なる引退作を残すはめになろうとは。
一応「愛と誠」にも言及しておこう。なんでもこの作、「あしたのジョー」の自己模倣とのことらしい。力石徹が死んじゃうところが「愛と誠」の大賀誠が花園学園転校と。かんがえるらしい。まぁ今となってはどうでもいいことのひとつでしかないが。
紙の本火山のふもとで
2013/05/20 06:45
「夜の樹」の著者との出会い
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ジュンク堂池袋本店、での喫茶店はいったい何階だったか。
そんな記憶ももうおぼろげな、一瞬の出会いと化した。
なんたることだ。
松家仁之「夜の樹」の著者に会えたというのに。そう自分は17歳だった。しかし運命はあくまで皮肉だ。活字での出会いから、まさかまさかの35年という膨大なる時の濁流の経過でのうえでの再会でしかなかった。
また自分も何故かこの松家仁之という文学界新人賞佳作受賞者の名をよく覚えていたもんだと。
しかしまさかまさかの新潮社へ入社していようとはまあちらは早稲田大学第一文学部に在学中に次点とはいえ文学賞に残ると言う軌跡にも等しい行為を既に達成しうる文才の保持者、当然と言えば当然か。
とにもかくにも書かねば。おれも。
紙の本毎日が日曜日 改版
2013/05/07 02:40
城山三郎と高橋三千綱
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このお二人の共通する面はあるか?作風・年齢・学閥。まるっきり空振りですな。では答えをそれは高橋三千綱がその時の新刊「坂道を越えた国」を城山へ送って城山から感謝のはがきを貰ったと言うこと。おそらく「なんだよそんなことかよ」と思った人もいたかと思うがその当時の高橋にはかなり勇気づけられた、はがきであり、文面だったらしい。
城山三郎というひとはかなりの侍だ。直木賞の選考委員を片手に余る出席で辞任したり。自分の文壇デビュー「文学界」新人賞選考委員の「軽信」という言葉へのこだわり。
時に「毎日が日曜日」これは私自身への皮肉のようなタイトルだ。
紙の本金曜のバカ
2013/05/07 02:39
はァッッ「越谷」!!!!!!
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この字は埼玉県東部地区に住んでいる人は、まずしっかり間違えなく読めると思う。
読めると同時に「まず~~~~~」おれは吉野家の牛丼・並を食いに行くべく牛丼屋
へまでの4号道・旧道までの順路を考えながら、ともかく友人吾妻との連絡を取るべく「携帯」を。兎も角、過っての東大生・吾妻くんへ。「おおおいっアズマおまえ(越谷オサム)なんてえの知ってるか。「おいおいそういうのはお前の専売特許じゃねのかよ」
とかっての東大生も「ハゲしいな桜井くん」という百年に出るかで無いかの超名作を
教えてくれた天才も彼自慢の「東電」株を一瞬に紙クズさせるドジドジの日々にい些か利鎌に錆でもわかせたか。斬れがない。こういうよう分からん書き方もここらで、幕を。しかし宮代に北村薫先生、そして草加に森尾由美、そして越谷に越谷オサム。と
覚えて貰えるようにともかく、カンバッテくれ。
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