コガラキさんのレビュー一覧
投稿者:コガラキ
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紙の本生還まで何マイル?
2010/03/31 22:34
迷宮に迷い、惑い、纏う勇気
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
著者はいくつ目が付いているのだろう、と読んでいてギクリとする。その、人間を書く視線の鋭さに。
文章がこれ以上鋭利になったとしたら、おそろしくて読めないだろうとまで思う。
この3ヶ月間の「街」の記録は、ウェブ上で、実際に3ヶ月間に渡って執筆されたものだという。
今まで「まともに文章を書いたことがない」と語る著者が、このような本を世に送り出してくれたことは、同じように文章を書こうという人々にたいへんな勇気を与えたのではないだろうか(少なくとも私にとってそうであった)。
この物語は不親切であるゆえに、読者に「読み解く」負担を要する。
その「不親切さ」は、(単に技術的なこともあるだろうが)「説明しすぎない」という美徳である。
書かれていること以上のものが、この本の中には描かれている。
1巻から4巻まで分冊されているのが歯がゆくなるくらいに濃密な、ひとつながりの3ヶ月間の記録である。
(後悔するので、これから読まれる方はどうぞまとめて4冊購入されることを強くおすすめします。1巻を読み終わった夜、残りを手に入れる算段で、睡眠時間を削られることになりますよ!)
以下は、各巻のとくに好きなシーンを、(本筋には抵触しないよう)引用して語ってみたいと思う。
迷宮街クロニクル1-「生還まで何マイル?」より
「すでに自分は死体とみなされ、-死ぬまでの距離は伸びなかったけれど、『殺されてから動けなくなるまで』にできることが増えていることに気づいた。-自分の死は定まった。-だがまだ死んではいないのだ。まだできることがあるのだ。仲間から期待されているのだ。その意識が全身にみなぎり、-彼は両腕だけで状態をはねあげた。限界を超えた、自分でも信じられない力だった。」
「美濃部が本当に死んだのは、腰に爪を突きたてられてから約五分後、仲間が美濃部を死んだと判断してから二分と三十秒後のことだった。」
人が死ぬとはどういうことか?
「死んだ」と見なされた人が何をなすか?
死した人が生きゆく人にどのような影響を与えるか?
ひとりひとりが、終わりの4巻までの間に、答えのようなものを見つけ、あるいは見つけられず死に、その死が街の重みを増してゆく。
「人間を描いている」というと、重たくて手に取りづらいというイメージが先行して、私などはためらってしまうのだが、この物語は人間を描いている、軽妙に。だからこそ薄ら悲しく、響くものがある。
軽くはないが、けっして軽薄ではない。
迷宮街クロニクル2-「散る花の残すもの」より
「三人。最長三ヶ月。それはどう考えても自信を与えてくれる経験とはならないだろう。真壁の経験では、短い期間で終わった恋物語ははじめたことそれ自体が苦い思い出となって残り続ける。
幸せな恋愛の思い出は冬も落ちない木の葉のように、次の日射しを待つ枝を風から守ってくれる。そういうものを少しずつ自分の中に蓄えていくことが誰にだって必要なのに、この娘は丸裸のままでいきなり難易度の高い相手にぶつかろうとしている。」
「『水上さんへの気持ちはそれはそれでいいから、この街で誰かとつきあってみるといいと思うよ』-
『私は自分より強い相手じゃないと嫌なんだよ。で、誰と?』-
『俺はまだ死にたくない。だから、あの街で二番目にいい男だね』
小さく吹き出した背中が揺れた。」
人は思ったことをすべて口に出すわけではないし、口に出された言葉を、相手がどのように受け取るかもわからない。
しかし、相手のかすかな反応を見て、また何か思ったり、それを口に出したり、あえて出さなかったりする。
あたりまえのことだが、この街の人々のやりとりを見ていると、そのことを強く実感する。
人のしぐさひとつひとつが雄弁で、簡素な言葉の中におおきな想いが含まれている(ように思える)。
街に住む彼らは、死に急ぐように恋愛をする。まさに明日死ぬかもしれないからだ。
涙を見せない軽快なやりとりが静かに胸を打つ。
迷宮街クロニクル3-「夜明け前に闇深く」より
「強くなりたい。それは即座に回答できた。もちろん腕力でも体力でも生命力でもない、一人の人間として毅然とある強さ。それが自分には決定的に欠けており、死を目の前にして追い込めば鍛えなおせるかと思ったのだった。
『鍛えなおせると思った、か。鍛えなおせなかったのか?」
みじめな思いでうなずく。
『今いる場所で手にはいらないものを他の場所に逃げてつかめるはずがないってことだけはわかったよ』」
大学を辞め家を飛び出し、街を選んだ青年が、父親と再会するシーン。
この「街」は異様なところだが、このやりとりは普遍的なものを感じさせる。
青年がいかように、なにを学びとるか。どこへ行くのか。
青年の視点に立っても、父親の視点に立っても、すべての読者に苦く思い出すところがあると思う。
迷宮街クロニクル4-「青空のもと 道は別れ」より
「『俺はただ、篤のことを覚えておいてやれと--』
『知るかいな! 知らんわ! 生きてる間に記憶に入り込んでこないくせに、死んだからって割り込ませてたまるか!』
久米篤、という名前にはまったく記憶がない。教官の口ぶりでは自分に関心があったらしいが、そこから踏み込んでこなかったということだ。生きている間にしかできないことがある。そして探索者の「生きている間」とは恐ろしく短い。だから皆、全力で自分の存在を他人に刻もうとし、それこそが野田がこの街の男たちに感じる魅力だった。-
『覚えとらんなあ。知らんなあ。たぶん話したことなんやろなあ』
それでも、命を投げ出した。自分のために。
深く息を吐いて目を閉じた。にじむ涙はたばこの煙が目に染みたからだろう。」
自分が望まず手に入れたもの。その重み。
みずからの理想を他人とすり合わせると、不協和音が聞こえる。
それでも、自分の矜持でもって生き、袖を触れ合わすこの街の人々は、痛々しくも、とてつもなく「格好いい」。
終盤、街を去る決意をした3巻での青年が、送別会で3ヶ月間を回想するシーンは、最後まで彼を見守って、または、彼の立場に立っていた読者すべてが共感し、感銘を受けるところがあるはずだ。(本文はご自分の目で是非確かめていただきたい)。
続編は予定なし、とのことだが、一度この「街」を体験した読者は、自分を試しに、未知のものに挑戦したくなるだろう。無性に。
そのような、勇気づけられる力を持っている、エネルギーに満ちた本だ。
だが、飛び出した先でも、今いる場所であっても、彼らのことを、折りに触れて思い出すことになるだろう。本当にそこに住んでいたかのように、自分の一部分が、迷宮に迷い込んでしまったように、いつまでも。
著者には、長い間、お疲れさまでした、ありがとうございましたと心から感謝を捧げたい。
自分の中のひとつの青春に、終止符が打たれると共に、これからを見据える力を頂いた。
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