コラム
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ) 2022年9月号
今月の特集は
『なぜ人は肉を食べるのか』
『社会人のための教養』
丸善ジュンク堂のPR誌 書標(ほんのしるべ)。今月の特集ページを一部ご紹介致します。
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今月の特集(一部抜粋)
『なぜ人は肉を食べるのか』
なぜ多くの人は肉を食べるのか。肉を食べるということは当たり前のことなのか。あるいは、肉を食べることは残酷なことなのか。その肉が食卓に並ぶまでどういう過程を経るのか。肉を食べることで世界はどうなるのか。そもそも人はいつから肉を食べているのだろうか。一般的に牛肉や豚肉はおいしいから食べる。では、おいしければ犬や猫の肉でも食べてよいのか。よくないと感じる人が大多数だろう。では、なぜだめなのか。牛、豚はよくてなぜ犬、猫はだめだと思うのか。ペットとして共生しているからだろうか。夏になれば蚊がわいてくる。とても鬱陶しくて手でぱちんとやる。つまり、殺生しているわけだ。しかし、蚊を殺しても、誰も罪悪感をもつことはないだろう。同じ生きものなのになぜだろうか。哺乳類と同じような神経系を備えていないからなのだろうか。単純にとても小さいからだろうか。改めて「なぜ人は肉を食べるのか」と問われると答えに戸惑い、そして、その問いから出発してさらなる問いも生まれる。自分がただ漠然と何の考えもなく、おいしいから肉を食べていたことを思い知る。
いま「肉食主義」という言葉があるという。それを手がかりに、動物倫理学からの視点や、肉食の歴史、培養肉の開発など、人が肉を食べることはどういうことか、どういう影響があるのか、どういう考えがあるのか、改めて問い直すような本を紹介したい。
肉食主義とはなにか
肉食主義とは何だろうか。『現代思想』2022年6月号「肉食主義を考える――ヴィーガニズム・培養肉・動物の権利……人間-動物関係を再考する」(青土社・1,650円)に詳しい。冒頭の伊勢田哲治+井上太一の対談「なぜ私たちは肉を食べることについて真剣に考えなければならないのか」とメラニー・ジョイ「肉食主義――「そういうことになっているから……」」を読めば、おおよそのことは理解できるだろう。特に前者の討議は動物倫理学、人間と動物の関係、食の変遷など議論が多岐にわたっており、大枠を理解するにはうってつけだ。後者のメラニー・ジョイは動物に関するイメージを基にした思考実験からはじまる論考で、先に挙げた私が感じていたような問いをさらに進めていき、肉食主義とは何かを問う。同じくメラニー・ジョイの単著『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか――カーニズムとはなにか』(青土社・2,860円)を読み進めれば、肉食主義とは、肉を食べることを一つの立場として推進しようとする人ではないことがわかる。肉食主義(カーニズム)とは、「むしろ逆にこれまで肉を食べるというのが一つのイデオロギーである、思想的立場であると捉えてこなかったのを、それがベジタリアニズムと同じような意味で一つのイデオロギーであり、思想的な立場であることを明確にするため」のものであるという。そう名付けることによって、当たり前だと思っていた肉食という習慣が、実際には私たちが選択し、あるいは文化的な刷り込みによって作られたものであることを明確にし、またこの論理が人種差別や性差別にも使われる論理と共通していることを明らかにした。たとえば、男性は自分が男性であるがゆえの特権性を意識せずに済んでいることも、それを指摘することによって当たり前であったことが実は特権的であったことを明らかにし、ともすれば男性自身に自問自答を促す可能性を持つ論理である。肉を食べるということは、当たり前のことではないのかもしれない。そう思うと、これまでとは違った風景が見えてくるはずだ。
動物倫理学
当たり前だが、肉を食べるということはその動物を殺生するということだ。生きている命を奪うということ。それがおそらく毎日のように行われ、さまざまな工程を経て、私たちの食卓に肉が並ぶ。そのことについて少なくとも私は何の罪悪感も持たずにいた。ピーター・シンガー『動物の解放 改訂版』(人文書院・4,840円)は、動物の権利やヴィーガニズムの思想的根拠として、広く読まれ続けている動物倫理学の古典的著作である。
彼の主張はシンプルで、人間も動物もまったく平等であるということだ。人間以外の動物であっても、苦痛を感じる能力をもつものに対しては、不必要に苦痛を与えてはならない、動物に苦痛を与えてもよいというのなら、それは「種差別」であり、それは人種差別や性差別と同様、擁護できるものではないと断罪する。その書きっぷりはやや苛烈でさえある。動物実験や工場畜産の例をあげ、動物虐待の実態を告発し、平等への配慮を説く。動物はモノではない。人間はやや動物より知能があるからといって調子に乗るんじゃないと叱られている気分にさえなる。確かに私は数行前に「工程」という言葉を使った。動物を作業台に載る物品のように捉えていたのだろう。「過程」に訂正したいが戒めとしてそのままにしておく。話を戻して、著者は菜食を勧める。しかし、肉食については完全に否定していないのである。そのロジックについては実際に手にとって確かめていただきたい。
本書が書かれたのは1975年だが、2022年では動物倫理学はどう進化したのだろうか。井上太一『動物倫理の最前線――批判的動物研究とは何か』(人文書院・4,950円)は、批判的動物研究という『動物の解放』の理論を基に活発化した動物擁護、動物解放の社会運動を出発点に、動物だけでなくあらゆる抑圧と差別に反対し包括的正義の実現を目指す研究を紹介する。また、批判的動物研究を主に哲学、社会学、ポスト人間主義、フェミニズムの観点から整理、検証し、諸正義を結ぶ領域横断的な解放理論として描き出す、まさに種を超えた理論の実践を紹介する。動物虐待の具体的な事例については、ダニエル・インホフ編『動物工場――工場式畜産CAFOの危険性』(緑風出版・4,180円)では工場式畜産の悲惨について、A.J・ノチェッラ二世、C・ソルター、J.K.C・ベントリー『動物と戦争――真の非暴力へ、《軍事―動物産業》複合体に立ち向かう』(新評論・3,080円)では戦時中の動物の扱いの悲惨さについて描いているので一読してほしい。
…続く
2022/09/01 掲載