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吾輩は猫である みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー79件

みんなの評価3.9

評価内訳

79 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

読む前に猫を飼おう

2003/06/08 09:57

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:穂高 嶺二(文筆業) - この投稿者のレビュー一覧を見る

この作品を読むと、漱石は猫が本当に好きだったんだなと思う。猫を飼ったことの無い人には、本当の意味でこの作品の理解は出来ないのでないだろうか? 江藤淳をはじめとして、漱石の作品の評論家は掃いて捨てるほどいるけれども、彼等・彼女等が猫を飼ったことがあるかどうかはその評論が妥当かどうかを決める重要なファクターであろう。主人公の猫が子供の寝床にもぐり込んで一所に寝ているところを、子供が「猫が来た猫が来た」、といって夜中でも何でも大きな声で泣き出して、目を覚まして飛び出して来た主人に物差しで尻ぺたを叩かれた場面など、この動物の行動がよく描かれているし、飼ってみるとそれがよく分かるのである。最後に猫が死んでしまうような終わり方になっているのが気に食わない点であるが、個人的にはきっとこの後で主人かおさんに助けられたのだろうと信じている。

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紙の本

夏目漱石が1905年に発表した処女長編小説です!

2020/05/05 09:09

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、夏目漱石の長編小説で、1905年に発表された処女小説です。同書は、あまりにも有名な「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」という書き出しで始まり、その出だしから読者の興味を惹きつけます。内容は、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」の人間模様が風刺的で戯作的に描かれた作品です。ぜひ、夏目漱石の代表的な作品ですので、多くの方々に読んでいただきたいと思います!

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紙の本

個人主義を笑い飛ばせ

2013/02/27 11:34

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

『吾輩は猫である』はこれまで何度か読んだことがあるが、最近また読み返してみた。しかし、今回ほどこれをおもしろく感じたことはない。それも文学的関心をかきたてられるという意味でのおもしろさではなく、笑いを催すおもしろさ、おかしさである。純文学を読みながら、クスクス、時にはゲラゲラと大笑いをする経験などこれまでの人生でも、なかったことである。
 漱石自身がモデルらしい苦沙弥(くしゃみ)先生とその家族、珍客、隣人がくりひろげるやりとりや騒動を、猫の視点から描いたこの小説は、人間やその社会のさまざまな愚昧や欺瞞を、諧謔味に富んだ語り口で徹底的に笑い飛ばしている。実際、人間精神の醜さや愚かさほど笑いの対象として格好のものはなく、そのような笑いほど気持ちのよいものはないことをこの書は悟らせてくれる。
 これが書かれたのは、日本がアジアの強国として台頭してきた日露戦争の頃、日本人のあいだにそろそろ西洋の価値観が根づいた時代である。この小説中、漱石は近代化した日本人の精神を痛烈に批判している。彼の生涯のテーマでもあった個人主義への懐疑もすでにこの時点で、はっきりうかがわれる。
「今の世は個性中心の世である...あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中で喧嘩を買いながら行き違う。それだけ個人が強くなった...人から一毫も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛でも人を侵してやろうと、弱いところは無理にも拡げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる...かくのごとく人間が自業自得で苦しんで、その苦し紛れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入って見給え。一家一門ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘を張れるだけ張らなければ損になるから勢い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。」
 個性を重視し、個人のわがままを最大限に尊重せんとする西洋流の個人主義は現代においてその極端へと突き進んだ観がある。個としての自らの存在に線を引き、他者の侵入を拒み、自らも相手の領域に干渉しない態度は、結局自他の境で軋轢を生じさせ、近代日本人の精神を疲弊させた。この後発表される彼の主人公の多くが個人主義のストレスで心を病んだ人々であることを考えると、上のような文明批評が綴られた本書は、彼の文壇デビュー作という以上に、漱石文学のプロローグ的存在として意義があるのだという気がする。

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紙の本

我輩は漱石である。

2002/08/25 12:32

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る

『我輩は猫である』(以下、『猫』と略す)を読めば、作中人物の苦沙弥先生や独仙は、漱石自身がモデルになっているということにすぐに気が付くだろう。彼らは人間社会を風刺する知識人ではあるが、彼らもまた人間社会のしがらみの中で生きざるをえない者たちである。それを猫は風刺する。漱石は名も無い猫の目を通して、自分自身を含む人間たちを笑いものにしているのである。
 だが、それでは猫は完璧な存在かというと、そんなことはない。猫は餅と格闘して「踊りを踊っている」と人間たちに笑われたりもする。猫もまた笑われる存在なのだ。そして猫もまた漱石なのである。
 冒頭の「我輩は猫である」という一文で読者は否応無く猫と同レベルになり、作品内へ引きずり込まれることとなるが、漱石も全く独立した立場で『猫』を書いているわけではない。『猫』の猫の視点は漱石の視点なのである。それは苦沙弥先生や独仙とは違った意味で漱石が作品内へ取り込まれていることを意味する。
 漱石は苦沙弥先生や独仙といった形の自分を笑いものにし、猫の形の自分をも笑いものにしているのだ。あたかも漱石が現実世界の自分を笑いものにしているようで、そこには漱石の屈折した心情も窺われる。『猫』自体、イギリス留学で神経衰弱にかかった漱石の気分転換になるようにと、高浜虚子が執筆を勧めたものだという。
『猫』の中で『猫』を書いているのは苦沙弥先生である。現実世界で『猫』を書いているのは漱石だが、漱石は『猫』における猫である。そこにはさながらループのような関係が生じている。『猫』という作品は作品として独立したものではなく、漱石という作者を抜きにしては考えられない。『猫』の中に漱石があるのではなく、『猫』は漱石の鏡なのである。
 漱石は当初、タイトルを『猫伝』にしようかとも思っていたそうだが、虚子と話し合って『吾輩は猫である』の方を取ったという。タイトルが『猫伝』となってしまえば、作品世界は作品として独立してしまったことだろう。
 猫に名前が無い結果生じた効果も、タイトルの場合と似たように考えることが出来る。猫にたとえば「タマ」という名前がついてしまえば、猫はあくまでもタマとなり、人間の所有物となってしまう。また逆に、漱石から離れてあまりにも独立した存在となりすぎる。
 作品の最後、猫(漱石)は「人間の運命は自殺に帰する」ことを悟るが、この思想は後に『こころ』で結実することとなる。猫は苦沙弥先生の死を予言し、自らも死ぬことによって語り手としての役目を終えた。

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紙の本

冗長さを楽しめるかどうか、が読む鍵?

2005/05/13 17:59

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

飼猫の言葉で、作者漱石をモデルとした主人達明治後半の市民の様相を描く、「坊ちゃん」とともにあまりにも有名な漱石の初期作品。学校時代に読み、苦沙弥先生、迷亭君、寒月君などの名前を知らない人はいない、と言っても過言ではないかもしれません。でも、どんなお話しか、きちんと読んだのか、本当に面白かったのかどうか。中年を過ぎ、「もう一度読み直してみようか」と思い立った本のうちの一冊です。
哀しくもおかしくもある人間模様を描く、ぴりりとしたりくすりとさせる言葉は大変楽しませてくれます。考えさせてもくれます。でも、私的には今ひとつこの世界にひたりきれませんでした。面白さに到達するまでが少々「長い」。だらだらと長話、くだらない話、が続く世界です。
あちこち話が飛びながらうだうだと冗長なのは、それが漱石の意図した書き方なのかもしれません。学生時代に読んだ(つもりになった)時は、きっとこういうだらだらした部分は飛ばして読んでいたのではないかしら、と思いました。迷路や横道の多い話につきあって楽しめるかどうか、が読む人のゆとりの程度を反映するような気もします。最初は読みきりのつもりで書かれたものが10回の連載になったのだそうですから、その当時のペースで一ヶ月に1章ぐらいづつこちらも読む、というのが正解の楽しみ方かもしれないですね。全てがテンポアップしてしまった現在の、少なくとも私の、感覚では、この作品世界の時間感覚が少々付き合いづらくなってしまっている、ということなのでしょうか。
漱石先生、ごめんなさい。
注釈が思いのほかたくさん付いています。確かに故事・格言や当時の流行など、今ではほとんど使わない言葉もたくさん出てきます。岩波文庫版の注釈は丁寧なのですが、ここまで入れなくても、というのとこれも入れて欲しいなど、やや過不足を感じました。注釈の必要範囲も時とともに変わってきっと変わっていくのでしょう。でも、落語の世界や、はたまた「古事記」「源氏」とおなじく、明治の文学もそのままでは現代人が読めないものになっていくのか、と思うと寂しくもあります。「明治は遠くなりにけり」。ま、中には登場人物の創作、という言葉もでてきますし、「そんなの知りませんよ」とすっぱり奥さんに言い切られてしまうような無駄知識も多いですから、まずは注釈抜きで漱石の言葉の渦、人間について悶々と綴った文章にゆっくり飲み込まれて読みましょう。そうすれば楽しく味わえると思います。

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2005/10/25 16:12

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2006/03/06 08:50

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2006/05/25 22:21

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2006/06/06 09:07

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2006/09/10 21:46

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2006/12/21 12:36

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2007/01/06 18:08

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2007/04/16 23:23

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2007/05/24 11:38

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2007/08/03 14:07

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